二:女王の布告
マルトの帰還は、グランキウス王城を前代未聞の嵐に叩き込んだ。
彼女がガルドレインで口にしたという、狂気の提案。
その報は、マルト自身よりも早く、ゲヘナが張り巡らせた情報網によって、腹心たちに突きつけられていた。
作戦室は、怒号と、絶望と、純粋な困惑が渦巻いていた。
「国を…差し出すだと!?正気か!」
最初に爆発したのは、騎士団長トマだった。
彼の顔は怒りで赤く染まっている。
「血を流し、仲間を失い、ようやく取り戻したこの国を、あっさりと他国にくれてやると!俺たちが築き上げたこの騎士団も、解体しろというのか!ふざけるのも大概にしろ!」
「経済的に見ても、自殺行為です」
ゲヘナが、冷徹な声で続けた。その額には、珍しく脂汗が滲んでいる。
「通貨の統合、税制の統一、法体系の抜本的な見直し…それを、敵対感情を持つであろう他国と行うなど。百年かけても終わらん!その間の混乱で、グランキウスは骨の髄まで食い尽くされるぞ!」
マーサは、ただ黙って、玉座に座る主を見つめていた。
その瞳には、悲しみと、そして主がもはや手の届かない場所へ行ってしまったという、諦観の色が浮かんでいた。
マルトは、その嵐の中心で、ただ静かに座していた。
彼女は、腹心たちが全ての怒りと絶望を吐き出し、疲れ果てた沈黙が部屋を支配するのを、ただ待った。
そして、ゆっくりと口を開いた。その声は、静かだったが、部屋の隅々にまで響き渡る、絶対者のそれだった。
「貴方たちの懸念は、理解している。だが、それは全て、些末な問題よ」
彼女は立ち上がると、腹心たちに、そしてこの大陸の全ての王たちに叩きつける、新たな世界の憲章を、布告した。
「これより、ガルドレイン=グランキウス連合王国は、以下の原則に基づき、大陸の全ての国に合流を呼びかける」
第一条:連合王国を構成する全ての民は、出自、身分を問わず、法の下に平等である。
第二条:魔女と人との間に、いかなる差別も設けない。
第三条:連合王国の元首は、ガルドレイン女王エレノアとする。
第四条:魔女マルトは、連合王国の最高軍事顧問に就任し、全ての軍事行動における絶対的な指揮権を有する。
第五条:自発的に合流した国家の旧王族・貴族は、その身分と資産を温存する。ただし、連合王国の法に則り、公平な徴税の義務を負う。
第六条:敵対の後に併合された国家の旧指導者層は、全ての身分と特権を剥奪し、一平民とする。
第七条:各国の軍は解体し、連合国軍として再編する。大陸平定の後は、これを順次縮小する。
「そして、最終目的は、ただ一つ。―――大陸の、恒久的な平定」
「…陛下」ゲヘナが、かすれた声で言った。「そのような無茶苦茶な条件を、誰が呑むと…」
「呑まない者は、敵よ。⋯⋯少なくともエレノアは快諾したわ。」
マルトは、こともなげに言い放った。
「敵は、私の力で排除する。ただ、それだけ。貴方たちの仕事は、私の後にできる瓦礫の山を、新たな国の礎として組み上げること」
(エレノアならもっとわかり易く説明も説得も出来るのでしょうね)
「いい、トマ。これは革命の続きよ、王家という権力を元にした略奪者を排除したのと同じ。他国という別の略奪者を排除、いいえ私達の内に取り込んで無力化する世紀の大革命」
未だ理解が及ばない腹心達に向かい改めて説明をする。
トマは、顔を上げ、女王の瞳を見つめた。
その瞳には、かつて己を打ち負かしたあの獣の熱も、王女エレノアのような狡猾さもない。
あるのは、ただ、「実行する」という純粋な意志だけ。
彼の怒りは、その途方もない理の力の前に、急速に萎んでいった。
「……御意に。騎士団は、陛下の大陸平定の剣として、その役目を果たします」
トマは、深く頭を垂れた。
彼に残されたのは、主が望むなら、最後まで戦い抜くという、騎士としての絶対的な忠誠だけだった。
マルトは続ける。
「ゲヘナ、国境が無くなれば交易ルートの自由度がどれだけ上がるかしら?国境毎に課せられる税金が無くなれば流通にかかる費用は劇的に下がるでしょう。商人のあなたには夢のような話よね」
ゲヘナは考える。
国境の消失、関税の撤廃、全大陸規模の市場。
それは、彼が商人の端くれとして夢見た経済の絶対解だった。
「……財務卿として、申し上げます。瓦礫を基礎へと変える、その困難は想像を絶します。ですが、もし陛下が、その剣で、全ての国境線を消し去るのならば……我々は、その上で最も効率的な交易機構を作り上げてご覧に入れましょう」
ゲヘナは、最早反論ではなく、服従の誓いを述べた。
彼は、己の冷徹な計算が、マルトの狂気の結論と合致していることに戦慄していた。
「マーサ、これが実現すれば貴方の肩の荷を大分減らしてあげられるわ。国の運営なんてガルドレインの連中に任せて孫と遊んでればいいのよ。――残念ながらアランにはまだしばらく働いてもらうけど」
マーサは、静かに、しかし優しく微笑んだ。
マルトが口にした「孫と遊んでいればいい」という言葉。
それは、マルトが彼女自身の「公務からの解放」を望んでいる証拠に見えた。
「陛下。私の務めは、貴女の望む平穏を築くこと。ガルドレインの宰相代行と、協定の細部に関する交渉の場を設けます。あなたの後ろは、私が守ります」
その言葉は、宰相代行としてではなく、長くマルトの保護者として仕えた侍女頭の誓いだった
「グランキウスの民が不幸になったり、ガルドレインに食い物にされるなんて、私が絶対にさせない。ガルドレインは悪い国ではないわ、エレノアの統治も信用できる。でも彼女が倒れたら?私たちと相容れない指導者が立つ可能性は?でも、私たちが中から制御すればそんな危険も回避できる」
その言葉いは、選択の余地を与えない、絶対的な命令だった。
腹心たちは、もはや何も言えなかった。
彼らは、自らの主君が、もはや一国の女王ではない、世界の理そのものを書き換えようとする、天災と化したことを、悟ったのだから。
その少し前、ガルドレインの王宮もまた、熱病のような混乱に見舞われていた。
「魔女の国を吸収するなど、前代未聞!」
「法体系の統合など、不可能だ!」
「我が国の軍を、あの魔女の指揮下に入れろというのか!」
古くからの貴族たちが、ヒステリックに叫ぶ。
だが、その混沌の中心で、玉座に座すエレノアは、ただ静かに、そして楽しげに、その光景を眺めていた。
彼女の腹心たちが狼狽する中、彼女だけが、マルトが投下した爆弾の、本当の価値を理解していた。
「静まりなさい」
その凛とした一言に、騒がしい議場が静寂を取り戻す。
「あなた方は、まだ理解していないのね。彼女が、我々に何を『贈った』のか」
エレノアは、立ち上がった。
「彼女は、我々に、大陸そのものを差し出すと言っているのよ。そのための、血を流す役目を、全て引き受けてくれると。我々がすべきことは、ただ一つ。彼女が差し出したパイを、落とさずに受け取り、彼女が平らげた土地を、我らの法で治めること。これ以上の好機が、この先千年の歴史であるかしら?」
彼女の言葉に、ベルトラムら新興商人たちの目が、ギラリと光った。
統一された法、関税なき巨大な市場。
それは、彼らが夢見た理想郷そのものだった。
マルトの狂気は、エレノアの野心によって翻訳され、そして、商人たちの欲望によって、現実的な推進力を得た。
二人の女王が、それぞれのやり方で、自らの国を、そして大陸の未来を、力づくで捻じ曲げ始めた。
古い秩序が崩れ落ちる、地鳴りのような音が、確かに響き始めていた。
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