三:魔女の来訪
カーシャが騎士たちの監視に耐えられなくなる数日前。
アンディラは、何の先触れもなく王城の正門に現れた。
沼の土の匂いを纏った、みすぼらしい旅装の老婆。
衛兵が訝しげに槍を交差させるが、老婆が静かにその顔を上げると、衛兵たちは見えない力に圧されたかのように、道を譲った。
「…アンディラ様」
知らせを受け、駆けつけたマーサは、その姿を見るなり、崩れ落ちるようにその場に膝をついた。
老婆の皺深い手が、その震える肩に、優しく置かれる。
「…あんた一人で、よく支えたね。もういい。あの子の元へ、案内しな」
アンディラがマルトの執務室に入った時、弟子は窓の外をただぼんやりと眺めていた。
その横顔は、かつて館で心を閉ざしていた少女の頃よりも、さらに脆く、儚げに見えた。
「…師匠」
「ああ」
アンディラは、それ以上何も言わず、ただ黙って、窓の外に広がる王都の景色を弟子と共に眺めた。
言葉にならない慰めが、張り詰めていた部屋の空気を、ほんの少しだけ緩ませる。
「…グレンダは、何か?」
やがて、マルトが絞り出すように尋ねた。
最後の望みを託すように。
アンディラは、静かに首を振った。
「あいつはもう、別の『おもちゃ』を見つけたよ」
アンディラは、昨夜、自らの庵でグレンダと交信した時のことを思い出していた。
水鏡に映ったグレンダの研究室は、以前とは様変わりしていた。
カーシャに関する資料は全て片付けられ、代わりに、おぞましいほどに精巧な人型の器の設計図や、魂魄を定着させるための禁断の術式が、壁一面に広がっている。
「…グレンダ、マルトが…」
「ああ、あの話か」
アンディラの言葉を遮り、グレンダは全く興味のなさそうな声で言った。
「魂の癒着など、ありふれた現象だ。あの鉄の塊は、もはや研究対象としてはノイズが多すぎる。私は今、もっと面白いテーマを見つけた。魂を『取り込む』のではなく、ゼロから『作り上げた器』に捕獲し、その現象を完全に再現する。これこそが、真理の探求だ」
彼女の瞳は、かつてのカーシャに向けられていたものとは比較にならない、狂信的な熱に浮かされていた。
「あの小娘が自分の失敗作をどうしようと、私の知ったことではない。邪魔をするな」
交信は、一方的に断ち切られた。最後の望みは、弟子の苦境よりも、自らの探求心を優先した。
「…そう、ですか」
マルトの肩が、微かに落ちた。
アンディラは、一つの悲壮な覚悟を決めた。
彼女は、懐の奥深くから、一枚の古びた羊皮紙を取り出し、マルトの机の上に置いた。
そこに記されているのは、いかなる魂をも、その根源から引き剥がし、永遠の無へと封じ込めるという、最後の手段。
「師匠、これは…」
「あたしが、あんたにしてやれる、最後の『おせっかい』さ」
アンディラは、マルトの瞳をまっすぐに見据えた。
「これは、救いじゃない。あんたの友の魂を、あんた自身の手で消し去る、ただの呪いだ。だが、もはやこれしか道がないというのなら…それを選ぶのも、またあんただ」
アンディラは、それだけ言うと、弟子の背中に一度だけ、無骨な手を置いた。
「一人で、全部背負い込むんじゃないよ、マルト」
そして、来た時と同じように、静かに部屋を去っていった。
一人残されたマルトは、机の上に置かれた羊皮紙を、ただ見つめていた。
友を、自らの手で殺すための、術式。
それは、唯一の希望の光であり、同時に、地獄の釜の蓋そのものだった。
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