二:王子の反旗
マルトが、相棒の謎という、内なる問題と対峙していた頃。
遠く離れたガルドレインの王宮では、エレノアが仕掛けた権力闘争が、新たな、そして、より血生臭い局面へと移行しようとしていた。
宰相ヴァレリウスの失脚は、保守派閥の首を刎ねたかに見えた。しかし、それは、より凶暴な胴体を目覚めさせたに過ぎなかった。
権力の空白を恐れた古い貴族たちは、新たな旗印を担ぎ上げる。
エレノアの兄、第一王子であるアルフォンス。
軍人肌で、単純で、プライドは高いが、政治的な才覚は皆無。
宰相亡き後の保守派閥にとって、これ以上なく扱いやすい、完璧な「傀儡」だった。
その日の評議の間は、ヴァレリウスがいた頃とは違う、あからさまな敵意に満ちていた。
「―――エレノアよ!そなたの行き過ぎた外交政策が、この国に混乱を招いておるのだ!」
玉座の隣で、兄アルフォンスが、父王に代わって声を張り上げた。その背後には、保守派閥の貴族たちが、ずらりと控えている。
「魔女王との不健全な友好ごっこにうつつを抜かし、我が国の富を、かの国に不当に流出させているというではないか!父上が病に倒れられた今、この国を導くのは、正統な後継者である、この私だ!」
それは、事実上の、宣戦布告だった。
宰相という頭脳を失った彼らは、もはや陰謀ではなく、血統と正論という、より単純な棍棒を振りかざしてきたのだ。
しかし、エレノアは、その糾弾の嵐の中で、ただ、静かに、そして、どこか憐れむような瞳で、愚かな兄を見つめていた。
「…お兄様。貴方が、そのように大きな声を出されるお姿を、久しぶりに拝見いたしましたわ」
彼女は、ゆっくりと立ち上がると、評議の間の中心へと進み出た。
「わたくしがグランキウスから持ち帰った富が、どこに流れているか、ご存知ないようですわね。…では、お見せしましょう。わたくしの『友人』たちの声を」
その言葉と同時に、評議の間の扉が開け放たれた。
そこに立っていたのは、ベルトラムを筆頭とする、新興商人ギルドの長たち。
そして、彼らに支援され、保守派閥の圧政から解放された、地方の領主たち。エレノアが、この数ヶ月で築き上げた、彼女自身の派閥だった。
「アルフォンス王子殿下」とベルトラムが、深々と、しかし、その声には確かな自信を込めて言った。「姫君がもたらした交易は、我々の街に、これまでにないほどの活気と富をもたらしました。それを『不当な流出』と仰せられるのは、聞き捨てなりませぬな」
「そうだ!」と地方領主が続く。「我々の領民が飢えに苦しんでいた時、手を差し伸べてくださったのは、古い貴族の方々ではなく、エレノア姫君であったぞ!」
評議の間は、二つに割れた。
血統を盾にする、古い権力。
そして、金と、民意を武器とする、新しい力。
アルフォンスの顔が、怒りと屈辱に、真っ赤に染まっていく。
「…黙れ、下賤の者どもが!この私が、正統な…!」
「お兄様」
エレノアの、氷のように冷たい一言が、彼の言葉を遮った。
「貴方がその『正統』という言葉を口にするたびに、貴方の器の小ささが、露呈されていきますわ。…玉座とは、血筋だけで座れるほど、軽い椅子ではございませんことよ」
その日、評議は、何の結論も出ずに終わった。
しかし、誰もが理解していた。
もはや、言葉による戦いは、終わったのだ、と。
その夜。エレノアは、自室で、クーノ卿と向き合っていた。
「…姫様。時間の問題です。連中は、必ず、兵を動かします」
「ええ、分かっているわ」
エレノアは、窓の外、月明かりに照らされた王都を見下ろした。
「わたくしは、マルトのように、たった一人で国を焼き尽くすことはできない。だから、この国を、わたくしの手で、一度、壊すしかないのよ」
彼女の瞳には、マルトが王都の城壁を破壊した時と、同じ光が宿っていた。
それは、憎悪ではない。
ただ、自らの理想の国を作るために、古いものを、根こそぎ破壊し尽くすという、冷徹な、創造主の光。
「クーノ…これより、私たちは、次の段階に進みます。彼らの全てを調べ上げなさい。誰が誰に借金をしているのか、誰の息子が賭博に溺れているのか、誰の妻が不義を働いているのか。全ての醜聞を、根こそぎに」
ガルドレインを二分する、血で血を洗う内乱の火蓋が、今、静かに、しかし、確かに、切られようとしていた。
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