五:偽りのスタンピード
マルトからの「取引受諾」の返書を受け取ったエレノアは、すぐさま、次なる一手へと駒を進めた。
彼女が選んだ戦場は、政敵ドルン伯の領地、ガルドレイン南西部の山岳地帯。
そして、彼女がマルトという最強の「軍事力」を動かすために用意した大義名分は、あまりに突飛で、しかし、誰にも非難できないものだった。
数週間後。
ガルドレインの王宮は、一つの凶報に揺れていた。
「ドルン伯の領地にて、大規模な魔獣のスタンピードが発生!伯爵の私兵だけでは、到底抑えきれぬ模様!」
評議の間で、宰相ヴァレリウスは、苦虫を噛み潰したような顔で、その報告を聞いていた。
ドルン伯は、自らの手で鎮圧し、軍功を立てる好機と息巻いているが、ヴァレリウスには、そのタイミングがあまりに良すぎることに、一抹の疑念を抱いていた。
その混乱の最中、エレノアは、摂政として、一つの決断を下す。
「…これほどの災厄、我が国の騎士団だけでは、多くの犠牲を出すやもしれません。…ですが、幸い、我々には、この大陸で最も強力な『友人』がおりますわ」
彼女は、グランキウスの女王マルトへ、正式な「救援要請」の使者を送ったのだ。
「ドルン伯領の民を救うため、かの魔女王陛下に、お力添えを願う、と」
その報は、即座にマルトの元へも届けられた。
もちろん、エレノアからの、本当のメッセージと共に。
『―――マルト。舞台の準備は整いました。貴女が求める「お宝」は、スタンピードの中心地、古い鉱山の奥深く。あとは、主役である貴女が登場するだけですわ』
三日後。
ドルン伯の領地の上空に、一頭の水龍が、その巨大な姿を現した。
その背には、深緑のドレスを纏った、グランキウスの魔女王マルトが、静かに立っている。
「な…なぜ、グランキウスの魔女が、ここに…!?」
ドルン伯の兵士たちが、信じられない光景に、色めき立つ。
マルトは、眼下に広がる「スタンピード」を一瞥した。
それは、エレノアの諜報網が、特殊な薬物で暴走させた、百頭近い森の獣の群れ。本物のスタンピードとは、似ても似つかない、茶番だった。
(…これが、あの女のやり方)
マルトは、呆れると同時に、その手際の良さに、ある種の感心を覚えていた。
彼女は、約束通り、主役の役割を演じる。
「―――鎮まりなさい」
その一言と共に、天から降り注ぐ、清浄な魔力を帯びた豪雨。
暴走していた獣たちは、その雨に打たれ、瞬く間に鎮静化し、森の奥へと帰っていく。
ドルン伯の兵士たちが、何日もかけて押しとどめていた「災厄」を、マルトは、たった一人で、ほんの数分で、終わらせてみせたのだ。
その圧倒的な光景を、遠巻きに見ていたドルン伯は、恐怖と、そして屈辱に、その拳を固く握りしめていた。
領民たちは、自分たちの領主ではなく、突如現れた、隣国の魔女王を「救世主」として、称え始めた。
その混乱の裏で、マルトは、誰にも気づかれることなく、目的の鉱山へと、その身を滑り込ませていた。
鉱山の最深部。そこには、前史文明の錬金術工房が、静かに眠っていた。
数日後。
ガルドレインの王都では、この一件の報告が、評議の間の議題に上がっていた。
「ドルン伯は、自領の魔獣の管理もできず、あまつさえ、隣国の女王陛下の御手を煩わせた!領主として、あるまじき失態である!」
エレノア派の貴族が、ドルン伯を激しく糾弾する。
宰相ヴァレリウスは、自らの腹心を庇うこともできず、ただ、黙って、その光景を見つめていた。
エレノアは、この偽りのスタンピードによって、マルトに「貸し」を作り、民衆の支持を得て、そして、政敵の権威を、見事に失墜させてみせたのだ。
二人の『魔女』による、最初の共同作戦は、完璧な形で、表向きその幕を閉じた。
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