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グランキウスの魔女  作者: まんねんゆき
第四部:二人の魔女
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十:仮面の下の共犯者たち

 茶会での最初の「試験」を終え、マルトは、エレノアという『魔力のない魔女』が、少なくとも自分で主張するだけの能力はあることを認めた。

 しかし、あれでは、まだ足りない。


 数日後。マルトは、エレノアを、再びあの石造りの小部屋へと呼びつけた。


「エレノア。貴女に、二つ目の試験を課します」

 マルトは、試験官として、挑戦者の次の課題を告げた。

「貴女の『力』は、人の心を動かし、物語を作ることだと聞いたわ。ならば、今、この国が抱える、最も厄介な問題を、その力で解決して見せなさい」

「と、仰いますと?」


「わたくしの民は、わたくしを『天災』としてしか見ていない。ただ、恐れているだけ。恐怖による統治は、脆い。先日、ゲヘナも報告していたわ。経済が、人の心が、恐怖によって死んでいる、と」

 マルトは、窓の外、活気のない王都を見下ろした。

「この状況を、覆しなさい。民衆が、わたくしを、ただの恐怖の対象ではなく、希望、あるいは、少なくとも、共に未来を歩むべき『女王』として認識するための、具体的な道筋を、貴女が作って見せて」


 それは、エレノアが最も得意とする、しかし、最も難しい課題だった。

 エレノアは、一瞬、思案すると、自信に満ちた笑みを浮かべた。

「…承知いたしました、陛下。わたくしに、お任せを。民は、理屈では動きません。彼らに必要なのは、新しい『物語』ですわ」


 次の日、二人は「城下の復興を視察する」という名目で、王都の市場を訪れていた。

 もちろん、物々しい警護の騎士たちと、エレノアに付き従うガルドレインの貴族たち(その実、監視役のスパイ)を引き連れて。


「まあ、活気が戻ってきましたのね!これもひとえに、マルト陛下の力強いご統治の賜物ですわ!」

 エレノアは、銀鈴を転がすような声で、露店の果物を手に取った。

 マルトは、その隣で、ただ黙って、エレノアがどう動くのかを、冷徹な試験官の目で観察していた。

(…物語、ですって?どうやって…)


 エレノアは、マルトの腕に、ごく自然に自分の腕を絡めると、親密に囁いた。

「陛下。あそこの布地屋を見てくださいな。…ええ、貴女の瞳の色にもよく似合う緑ですわ。今度、この布で、お揃いのドレスでも作りませんこと?」

 その、年頃の少女らしい、他愛もない会話。

 しかし、それは、遠巻きに二人を見つめる民衆と、密偵たちの目に、「氷の女王が、隣国の姫君には、心を許している」という、具体的な「絵」として焼き付いていく。


***


 市場に隣接した、父の鍛冶場の片隅で、十一歳のリリーは、炉の熱が届く場所で、鉄屑の仕分けを手伝っていた。

 内乱の傷跡はまだ残るが、ガルドレインとの交易協定のおかげで、市場は活気を取り戻しつつあった。

 市民たちが、血塗られた革命の後に手に入れた「静かな日常」だ。


 リリーは、遠巻きに二人の統治者の姿を見ていた。


 華奢なエレノア王女が魔女王の腕に絡め、優雅に微笑む一方で、魔女王は少し困ったような戸惑いの表情を浮かべている。

 それは、恐ろしい魔女というよりは、奔放な姉に引きずり回される内気な妹のようにみえた。

 その姿は、まさに民衆が望む「平和の象徴」であり、市場の他の人々は、その光景を見て、喜びの溜息をついていた。


 リリーの視線は、エレノアの微笑みと対照的な、魔女王の横顔に注がれていた。

 彼女の瞳は、何を見ているのだろう。

 市場の活気や、隣国の王女の笑顔ではなく、彼女にだけ見えている何かなのだろうか。


「父さん、女王様にも仲良しが居るんだね。」


 リリーが純粋な気持ちで呟くと、父は、煤けた手拭いで額の汗を拭いながら、静かに、深く頷いた。


「ああ、そうだな。恐ろしく強くて、こわい方だって噂だけど。ああしてると普通の貴族のご令嬢にしか見えないな。本当に。リリー。この平和を、あの女王陛下が守り続けてくれるなら、私たちにはもう、それだけで十分だ」


 父の言葉には、この平穏を失いたくないという切実な思いと、魔女王への静かな感謝が込められていた。

 リリーは、その言葉に安堵し、他の市民たちと同じように、二人の姿を見つめた。

 彼女の胸には、この平和が揺るがないことへの純粋な願いが広がっていた。


***


 一通り市場を練り歩き、民衆と密偵たちに十分な「物語」を提供し終えた頃、一行は、王都の郊外へと続く街道を、馬で進んでいた。

 やがて、見晴らしの良い草原に出た。エレノアは、ちらりとマルトに視線を送った。試験の第一段階は、いかがでしたか、と。その瞳が、問いかけている。


 マルトは、その視線を受け止めると、ふと、口元にかすかな笑みを浮かべた。それは、ドリスの元で、初めて力の使い方を覚えた時の、あの獰猛な笑みに似ていた。

 彼女は、エレノアの隣に馬を寄せると、誰にも聞こえない声で、囁いた。


「―――競争よ、エレノア」


 エレノアが、驚きに目を見開いた。

 その反応を見るより早く、マルトは、馬の腹を強く蹴った。

 黒馬は、嘶きと共に、街道を外れ、草原を疾駆し始める。

「なっ…陛下!どちらへ!」

 背後で、トマの慌てふためく声が響く。


「待ちなさい、マルト!」

 エレノアも、一瞬の驚きの後、すぐにその意図を理解した。

 これは、試験の続き。

 自分の脚本にはない、マルトからの、即興の問いかけだ。

 彼女は、楽しそうに叫ぶと、マルトの後を追って、草原へと躍り出た。


 風が、髪を激しく撫でていく。

 人々に見られているという、あの息の詰まるような感覚はない。

 ただ、風の音と、馬の蹄の音だけが、世界を満たしていた。

(…なるほど。これも、悪くない)

 マルトは、この、誰にも縛られない疾走感に、生まれて初めて、純粋な「楽しさ」を感じていた。


 やがて、二人は小さな丘の上で馬を止め、眼下に広がる壮大な渓谷の景色を眺めた。

 護衛たちの姿は、もうどこにも見えない。


「ふふ…っ。はぁ…っ。…参りましたわ、陛下」

 エレノアは、息を弾ませながら、心の底から楽しそうに笑った。

「まさか、貴女の方から、この芝居を仕掛けてくるとは。…ええ、最高の即興でした。わたくしの、完敗よ」

「…効率的な離脱だったでしょう?」

「ええ。最高の報告書が書けますわ。『魔女王は、姫君を振り回し、まるで子供のように、護衛を撒いて駆け出して行った』と」


 エレノアは、満足げに頷くと、馬から降りて、草の上に腰を下ろした。

「…たまには、こう、愚かな男たちの居ない処で、道化の仮面を外すのも良いですわね」

 不意に、エレノアが、本音とも取れる言葉を漏らした。

 マルトは、その言葉に、奇妙な既視感を覚えていた。

 彼女は、エレノアの隣に腰を下ろすと、ぽつりと、自分でも予期していなかった言葉を口にした。


「…私も、以前は『完璧な王女』を演じていたわ」


 エレノアは、驚いてマルトを見た。

 マルトは、遠い目をして、続けた。

「父も、兄も、母も、私を見てはいなかった。彼らが見ていたのは、『完璧な王女』という役割だけ。その役割を完璧に演じなければ、そこにいる価値はないと、ずっと思っていたわ」


 一瞬の沈黙。

 二人の間を、心地よい風が吹き抜けていく。

 それは、友情ではなかった。

 ただ、互いが「自分自身」ではなく、「役割」としてしか見られない、孤独な世界の住人であるという、静かな、しかし、確かな共感だった。

 仮面の下で、二人の『魔女』は、初めて、互いの素顔に、ほんの少しだけ触れたのだった。

読んでいただきありがとうございます。

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