十:玉座の魔女
王宮最奥。
王妃の私室の扉を、マルトは迷いなく開いた。
そこは、豪華絢爛な装飾とは裏腹に、不気味なほどの静寂が広がる空間だった。
部屋の中央には、王妃が使用していた書物や調度品が整然と置かれ、奥には大きな窓があった。
その窓を背にして、王妃が、静かに立っていた。
王妃の表情は、マルトが現れたことに、一瞬、深い驚愕に歪んだ。
しかし、すぐにその驚きは、全てを理解した絶望と、燃え盛るような激しい憎悪へと変わった。
「……レオンハルトが……。私の、私のレオンハルトが……!」
呻くような声と共に、王妃は部屋の壁にかけられていた細身の剣を、おもむろに手に取った。
「おまえが……!まさか、本当に、私のレオンハルトを……!この国を統べるべき、唯一の王を……!」
王妃は、剣の切っ先をマルトに向け、怒りに声を震わせた。
「血を穢す忌まわしき魔女が!私の全てを奪ったおまえだけは、絶対に許さない!」
マルトは、王妃の言葉に返すことなく、その場で静かに立ち尽くしていた。
部屋に入った瞬間から、全身の魔力の流れが、著しくおかしいことに気づいていたからだ。
まるで、呼吸を阻害されるかのように、魔力の供給が滞っている。
「……何……この魔力の澱みは……」
王妃は、嘲笑うように言った。
「ここでは、おまえの邪悪な力は使えない、今やただの小娘だ!」
その言葉を聞きながらも、マルトは右手に籠手の様にぴったりと密着しているカーシャの残骸の指が自身の意思に合わせて動く事を確認していた。
魔術を編み出すことは出来ないが、外骨格モードでも経験したように身体の内部、あるいはそれに密着した箇所への魔力供給までは完全に封じられていない。
つまり、この状況下でも、自身の肉体に宿る魔力と、カーシャの籠手への限定的な魔力供給ならば可能であるということだ。
完全な魔力行使はできない。
だが、僅かな魔力を身体に巡らせて、外骨格モード時に得た、常人離れした身体能力を呼び覚ますことは可能だった。
「来るがいいわ、エリザベート!魔力を失ったあなたは、ただの小娘!私のレオンハルトを奪った、ただの殺人者に過ぎない!」
王妃は、ヒステリックな叫びと共に、細身の剣を振り上げ、マルトに切りかかった。
マルトは、思いのほか強力な一撃を右手の籠手で剣を受け止める。
ここに、血塗られた王都の、そして、グランキウス王国の未来を賭けた、二人の女の一対一の戦いが始まった。
王妃は、正当な貴族のたしなみとして、幼い頃から剣術を学んでいた。
その細身の剣は、決して強力ではないが、正確で流麗な動きでマルトを追い詰める。
対するマルトは、剣術など学んだことはない。
兵士との戦いも魔力に任せて圧倒していただけで、剣筋をみるなど出来はしない。
しかし、彼女には、これまでの激戦で培われた常人離れした身体能力があった。
カーシャの外骨格モードで培った瞬発力と、シルマとの過酷な訓練で無意識に宿った身軽さで、王妃の剣技をかわし、必死に応戦する。
さらに、右手の籠手を武器モードに変形し、その予測不能な変則的な攻撃が、王妃の剣を弾き、あるいは防御をすり抜ける。
籠手から繰り出される一撃は、体内からわずかに供給される魔力で底上げされており、王妃の剣とぶつかるたびに火花を散らした。
マルトは、満身創痍の体で、身体能力と変則的な攻撃を頼りに、なんとか互角に渡り合う。
その一撃一撃には、シルマとカーシャ、そして、これまでの全ての犠牲者の「慟哭」が込められていた。
王妃の私室は、二人の女の、剣と身体能力による激しい戦いによって、瞬く間に、瓦礫と化していった。
どれほどの時間が流れただろうか。
瓦礫の中で、マルトは、息を切らして立っていた。
その足元には、王妃が、王宮を護る剣を深々と突き立てられたまま、もはや動かぬ体で横たわっている。
憎悪と、そして、どこか悲しげな瞳で、マルトは、冷たくなった王妃の顔を見下ろした。
王妃が、最後に口にした言葉が、マルトの脳裏にこだまする。
『……レオンハルト……私の……全てを……』
マルトは、満身創痍の体を引きずるようにして、元の広間へと向かった。
玉座には、両腕を断たれ、大量の血液を失い、絶命したレオンハルトが座っていた。
その顔は、死してもなお、苦痛と狂気の混じった表情で、虚空を見つめている。
血だらけの豪華な衣装は、すでに乾ききっていた。
彼女は、ゆっくりと、その玉座に歩み寄る。
そして、誰もいない広間で、ただ一人、その冷たい玉座の前に立つ。
「……これが、あなたの望んだ結末ですか」
彼女の声は、広大な空間に虚しく響くだけだった。
外からは、未だ王都の燃える匂いが漂ってくる。
果たして、自分は、何を手に入れたのだろうか。
憎悪の果てに得たものは、果たして、勝利と呼べるのだろうか。
彼女は、右手に残るカーシャの外骨格の一部に、そっと触れた。
(……シルマ。カーシャ)
(あなたたちが望んだのは、こんな未来だった?)
答えのない問いを胸に、マルトはそのまま立ち尽くす。
やがて、夜が明ける。
王都の空には、夜明けの光が差し込み、その光が、血と瓦礫に染まった王宮を、静かに照らし出す。
その光の中で、玉座の前に立つ一人の少女の姿が浮かび上がる。
彼女は、もう、かつての無力な王女エリザベートではない。
怒りと悲しみ、そして、血塗られた覚悟の果てに、この国の全てをその手に収めた、新たな支配者。
―――玉座の魔女、マルト。
彼女の統治は、恐怖と、そして、強大な魔力によって始まるだろう。
しかし、その心に、わずかに残された、かつての優しさが、この国を、どのような未来へと導くのか。
それは、誰にも分からない。
ただ、新たな時代が、今、始まった。
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