十八:魔女の帰郷
民衆の熱狂的な歓迎から数日後。
マルトの元に、王都から、国王の名で発せられた、冷たく、そして公式な「勅命」が届いた。
「―――王女エリザベートに勅命である。ただちに王城へ出頭し、国王陛下に、此度の戦勝について報告せよ」
その場にいたマーサたち侍女は、「姫様が、ようやく王城にお戻りになれる」と涙ぐんで喜んだ。
だが、シルマは「戦勝報告ですって?何よ、あいつら!マルトの手柄を横取りする気じゃない!」と憤慨し、カーシャは静かに警告を発した。
『警告:この召喚は、マスターの功績を王家の権威下に再編入しようとする、政治的策略である確率92%です』
マルトは、全てを理解していた。
これは、罠だ。
私を再び「王女エリザベート」という檻に押し込めようとする、父と、兄と、母の意志。
(……でも、行かなければ)
心のどこかに、蜘蛛の糸のように細く、まだこびりついていた、家族への情。
それを、自らの手で断ち切るために。
「行きます」
それは、彼女にとっての「最後の対峙」、そして過去との「決別の儀式」だった。
慌ただしく、出立の準備がされる。
マルトは、自らが「館の魔女」であることを示すため、質素だが品のある深緑のローブを纏った。
マーサが、侍女として甲斐甲斐しくその身支度を整える。
護衛には、ゲオルグが率いる、館に残った数名の兵士たちが同行することになった。
シルマもカーシャも、呼ばれてはいないが、当然のようにマルトの傍らに控えている。
***
王都の路地裏、
―――王都、南側の細い路地。
路地裏のひだまりで石蹴り遊びをしていたリリーは、投げた小石が届かず、悔しそうに顔を上げた。
十歳のリリーにとって、石蹴りは、一日の中で最も重要な、真剣な戦いだった。
その時、路地の突き当たりから、重く軋む車輪の音が聞こえてきた。
「なんだ、あんなところに馬車なんて」
ミナが顔をしかめる。
普段、貴族の馬車が通ることはない、裏ぶれた路地だ。
現れた馬車は、見た目こそ、黒く塗られた簡素なものだったが、使われている木材の質、飾りのない馬具の細部に至るまで、並々ならぬ豪華さが滲み出ていた。
まるで、高価な宝石を、粗末な布で包んで隠したような印象だ。
リリーと子供たちは、路地の端にへばりついて、馬車が通り過ぎるのを待った。
馬車の進みはゆっくりとしており、路地の石畳を慎重に乗り越えていく。
リリーが、ふと馬車の窓に目をやった、その瞬間だった。
分厚いカーテンのわずかな隙間から、一対の瞳が、外の世界を覗いていた。
その瞳とわずかに見える髪色から、リリーはかつて見た、エリザベート王女を思い出す。
しかし、その瞳は、リリーたちが知っている「王女」のイメージとは、あまりにもかけ離れていた。
冷たい湖のように澄みきっていて、そこには何の感情も宿っていない。
リリーたち路地の子供や、汚れた壁、通り過ぎる景色など、何も見ていないかのようだった。
その眼差しは、ただ、遠くの、巨大で、恐ろしい何かを見据え、その先に冷たい決意を湛えている。
馬車が通り過ぎ去った後も、リリーはしばらく、その場所から動けなかった。
「リリー?どうしたの、変な顔」
ミナの声に振り返る。
「……ううん、なんでもない」
リリーは、手のひらの小石を握りしめた。
あれが王女なのか、それとも他の誰かなのか。
幼いリリーには理解できなかった。
ただ、漠然とした不吉な予感だけが残った。
***
王都セントグランクスに到着した一行は、直接、王城へと通された。
城内の空気は、以前マルトが知っていた華やかなものとは違い、どこか張り詰め、冷たいものに感じられた。
玉座の間に続く、控えの間。そこで、一行は近衛兵によって行く手を阻まれた。
「これより先は、エリザベート姫様お一人にて。お付きの方は、これにてお待ちください」
その言葉に、シルマが噛みつこうとするのを、マルトは手で制した。
彼女は、近衛兵を、値踏みするような冷たい瞳で見つめ返すと、静かに、しかし、有無を言わせぬ響きで告げた。
「……わたくしは、あなた方の『姫君』として、ここに来たのではありません」
彼女は、一歩前に出る。
「魔女は、王城に招かれるのに、招待状など必要ない、と聞いていますが?」
その言葉の裏にある、絶対的な力の存在に、近衛兵は顔を青ざめさせ、なすすべもなく道を開けた。
マルトは、シルマとカーシャを従え、そのまま玉座の間へと続く、巨大な扉へと向かう。
控えの間に残されたマーサは、主君の、あまりに毅然とした、そして王家への敵意すら感じさせるその姿に、これから何が起こるのかと、不安に胸をざわめかせ、落ち着きなく部屋の中を歩き始めた。
一方、ゲオルグは、そんなマーサの様子には目もくれず、静かに部下たちに部屋の警備を命じると、一人、控えの間を出ていった。
「城内の警備状況を、確認してくる」
彼は、旧知の兵士たちに、にこやかに挨拶を交わしながら、城の廊下を進んでいく。
そして、人気のない、古い礼拝堂の一角にたどり着くと、そこに待ち構えていた影に、声を潜めて話しかけた。
「……お待たせいたしました」
そこにいたのは、摂政王子レオンハルトの腹心、ファルク卿の使いの男だった。
「それで、首尾はどうか、ゲオルグ。あの魔女の弱点は、探れたか」
「いまだ、確たるものは。しかし、あの鉄のゴーレム……カーシャとかいう使い魔が、彼女の力の根幹であることは、間違いなさそうです」
「そうか。続けよ。卿も、王子も、焦れておられる」
男は、ゲオルグの手に、ずしりと重い金貨の袋を握らせた。
「……これが、今月分だ。成功の暁には、約束通り、故郷の土地と、安楽な余生はお前の物だ」
「ええ、期待しておりますとお伝えください」
ゲオルグは、金貨の重みを確かめると、卑屈な笑みを浮かべ、闇の中へと消えていった。
彼の裏切りに、まだ誰も気づいていない。
そして、その裏切りが、やがて取り返しのつかない悲劇を招くことを、まだ、誰も知らなかった。
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