十三:鋼の心臓
その冬、マルトの領地は、深い雪に閉ざされていた。
館の外では、村人たちが静かに冬ごもりの準備を進めている。
しかし、館の主であるマルトに、安息の時はなかった。
(……なぜ、勝てなかった?)
あの日、『沈黙の谷』で喫した完全な敗北。
その記憶は、数ヶ月が経った今も、棘のようにマルトの心に突き刺さっていた。
以来、彼女は、時間が有れば、館の地下にある書斎に籠り、答えを探し続けていた。
壁には、あの番人の構造分析図や、魔力吸収のメカニズムに関するグレンダの仮説が、無数に書き込まれている。
自分の魔術は、通用しなかった。カーシャの物理攻撃も、決定打にはならなかった。
(力が、足りない……?)
答えの出ない問いが、彼女の頭の中をぐるぐると回り続ける。
(そうだ、あの時、番人は私の魔力を吸い込んで、力を増したように見えた。魔力が……強くする……?)
その、ふとした思考の断片が、天啓のように、彼女の脳を貫いた。
「カーシャ。あなた、私の魔力で目覚めたのよね。……私の有り余る魔力を、あなたの身体に直接注ぎ込んだら……?あなた、強くなる?」
カーシャの青白い瞳が、高速で明滅を始めた。
彼の思考回路が、主から与えられた、前代未聞の仮説を検証しているのだ。
『……理論的可能性を検証中……。マスターの魔力を当機の動力源に転用した場合、変換効率は著しく低いものの、瞬間的な物理出力は、理論上、現在の三百パーセント以上に増大可能です。しかし……』
カーシャは、言葉を続ける。
『マスターの肉体にかかる負荷は、未知数です。魔力だけでなく、生命力そのものを直接燃焼させるに等しい。深刻なリスクを伴います』
「でも、できるのね」
マルトの心に、一筋の光明が見えた瞬間であった。
***
その日から、館の地下室は、マルトとカーシャ、そして水晶を通じて参加するグレンダの、秘密の研究室となった。
「面白い!実に面白い!」
グレンダは、マルトの着想を聞くや、狂気的なまでの興味を示した。
「有機的な魔力源を、前史文明の遺物の直結動力炉とするだと?前代未聞だ!やれ!そのデータを全て、私に送りなさい!」
魔力伝達効率を最大限に上げる為には常時マルトとカーシャが接触している必要がある。
マリオネットモードを発展させ、カーシャが鎧の様にマルトの全身を覆う、『外骨格モード』の概念が誕生した。
しかし、理論と実践は違った。
単純に魔力を流し込むだけでは、制御不能な嵐となって、マルト自身を内側から破壊してしまう。
グレンダが、古代の術式を元にした、無数の接続理論を提案する。
カーシャが、それを元に、膨大なシミュレーションを繰り返す。
そして、マルトが、自らの身体と魔力を使って、その理論を一つ一つ、検証していく。
館の地下にある貯蔵庫でマルトが、カーシャの液体金属を自らの右腕に纏わせ、同調を試みる。
「……いくわよ」
魔力を流し込んだ瞬間、マルトの脳内に、凄まじい情報奔流が叩きつけられた。
『―――右腕部フレーム圧、3.8psi。外気温度、16.2度。魔力変換効率、41.3%。床との接地摩擦係数……』
「ぐ……っ!」
無機質なデータの洪水に、マルトの意識が眩む。
制御を失った魔力が腕の中で暴発し、彼女は壁際まで吹き飛ばされた。
「……やはり、無理か」
水晶通信の向こうで、グレンダが忌々しげに呟く。
「有機的な感覚野と、無機的な情報系統。両者の間に発生するフィードバック・ノイズが、お前の魔力制御を破壊している。解決するには……」
グレンダは、難解な術式と理論を並べ立てるが、どれも机上の空論だった。
その時、マルトの脳裏に、毎朝の日課が蘇った。
水龍との誓約。
あの、あまりに巨大で、異質な存在と、自分はどうやって繋がっている?
(……私は、ただ力を流しているだけじゃない)
(聴いているんだ。沼の声を。大河の流れを。そして、私の泉の流れを、そのリズムに合わせている……)
「カーシャ」
マルトは、静かに立ち上がった。
「もう一度。でも、今度は、私もあなたの『声』を聴く。あなたも、私の『流れ』を感じて」
マルトは、再びカーシャの腕を纏うと、目を閉じた。
彼女は、アンディラの教えの通り、ただ、聴いた。
カーシャの内なる、無機質なデータの奔流。
それは、もはやノイズではなかった。
彼の存在を支える、規則正しい、もう一つの「世界の声」。
そして、カーシャもまた、主の魔力の流れの奥にある、微かな感情の揺らぎを、初めて「情報」として受け止めていた。
ゆっくりと、二つの異なるリズムが、一つの調和へと収束していく。
マルトが念じると、鋼鉄の腕は、ぎしり、と音を立てて、固く握りしめられた。
今度のそれには、痛みも、魔力の逆流もなかった。
ただ、カーシャの冷たい論理と、マルトの温かい魔力が、完璧に一つになった、確かな手応えだけがあった。
それは、まだ不格好な、ほんの小さな一歩。
だが、マルトとカーシャは、瓦礫の山の中から、金剛石の原石を掘り当てたような、確かな手応えを感じていた。
魔法が通じぬ敵を、打ち砕くための、鋼の心臓を。
二人の魂から生まれた、全く新しい力を。
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