喫茶エクスカリバーへようこそ
「いらっしゃいませ」
森の中に、ポツンと佇む一軒家の重厚な扉を開くと、ニコリともしない女性がひとり、カウンターの向こう側で出迎えた。
来店に対する挨拶はこの通り受けているので、歓迎されいない訳ではないのだろうが、もっとこう、愛想良くしてくれても良いのではないか?
機嫌の悪い男は、ノロノロと仲間たちの後について店に入った。
ここ、本来住まう人のいない魔獣魔物の生息地である《魔領域》の森[クワイエットフォレスト]の第五層くんだりまでわざわざ危険を犯して出向いたのは、自分に[勇者]の資質があると信じていたからだ。
だが、その自信と期待に反して[聖剣]は抜けなかった。
ガッツリ根を張った大木のように地面に刺さった聖剣は、ぐらりとその身を揺らすこともできず、1ミリたりとも微動だにしなかった。
A級冒険者になって久しい[魔剣]使いのラングラーは項垂れ、仲間達に励まされながら、[聖剣]のすぐ近くにあった蔦が絡むガーデンゲートを抜けて、喫茶[エクスカリバー]の看板を掲げた赤い三角屋根の、森の様相に似合わぬ呑気な店舗に、入る前から毒気を抜かれていた。
「わぁ本当にこんな所にオシャレなカフェがあるぅ」
パーティメンバーの魔法使いリラが、目を輝かせて店内を見回している。
「すごく・・・良い匂いが、す、る」
ぐぅ と鳴った腹を抑えて、魔法戦士のルルガンは、鼻をクンクンと動かした。
神官のレメントまで、すっかり警戒を解いて、斥候の獣人ロロに話しかける。
「噂通りのただの喫茶店のようですね?」
「招き入れられたってことは、ボクたち客として利用できるニャ?」
みな「腹が減った」と、いそいそとテーブルについた。
未だガックリと肩を落としたままのラングラーをよそに、4人はキラキラした目でカウンターの向こう側を見る。
愛想のない店員らしき女性は、トレイに人数分の水が入ったグラスを持ってくると、メニュー表を差し出し言った。
「ご注文が決まりましたらお呼びください」
そしてカウンターの内側に戻ると、慣れた手つきでグラスを布で拭き始めた。
客もいないが、他にコックや店員がいる気配がない。と言うことは、彼女が店主なのだろうか?
人が住まう《聖領域》の1番近い村から、道なき森の中を徒歩で最短2週間。大型の魔獣蔓延るこんな場所で、仕入れから調理まで、たった1人で店を切り盛りしているのだろうか?
ラングラーは、気もそぞろに受け取ったメニュー表を開いた。
正直、とても飯を食う気分にはなれなかった。
[魔王降臨せし時、同時に勇者も顕現する]
伝説の[魔王降臨]が予言された噂が立ち上がるや、王都で[勇者召喚]が行われて久しい。
それなのに、召喚された[異世界人]達は[聖剣]に選ばれず、のこのこ王都に戻ると、その役目も果たさず、仲間と[スローライフ]とやらにうつつを抜かしているらしい。
事を重く見た王侯貴族どもは、自らの失態を全てその[召喚者]達におっかぶせると、[召喚者]の悪評と共に、伝説の[聖剣]を抜ける者を一般人からも募り出した。
王族、古の貴族、名のある冒険者にしかその資質がないと言われていたのにも関わらず、平民の[魔剣使い]にもその[能力]があるかもしれない。などとギルドの中でもやそしはじめると、その白羽の矢がラングラーに向けられたのだ。
[聖剣]を抜き、[勇者]と認められ王都に凱旋する予定だった。
そのつもりで意気揚々と旅に出た。
皆にもそう告げて来た。
王都の誰もが[聖剣]を抜くのはラングラーだと送り出してくれた。
それなのに[聖剣]はピクリともしなかった。
こんな事が有るのだろうか。むしろ、自分が抜けぬのなら他の誰も抜けないだろう。とすら思っていたのに、[聖剣]はあっさりとその現実を突きつけた。
このまま[魔王]に対抗できる者が不在では、街を、いや、国を、世界を、ただ何もできずに蹂躙されてしまう。
「よく飯を食う気になれるな」
ワクワクしながらメニューを選ぶ仲間達に、ラングラーは胡乱な視線を向けた。
「まだ完全にダメだと決まったわけじゃないだろ」
「[聖女]に選ばれないと[聖剣]は抜けないんだから、まずは[聖女]を探さないと」
「やっぱりダンジョンの中にいるのかしら?」
「魚料理があるニャ!」
各々メニューが決まったようだ。
ここまで、干し肉に硬いパンと、ろくなものを口にせずに数日過ごしていたのだ。
せっかくなら美味いものを食べてからダンジョンアタックに挑みたい。と言っていたのに、むしろ何度もしつこく[聖剣]に挑むラングラーに、お預けを食っていた他4人は、呆れはて愚行を放置していた。
皆が「無駄だ」と、止めたのにも関わらず、「ものは試しに」と、[聖剣]を握ったのは勝手をしたラングラーだろうに。
はやる気持ちは十分理解できるが、[聖剣]のありかを知っていて、そこに辿り着く実力がある者の中に『[聖剣]は[聖女]に選ばれた者のみが抜く事ができる』という言い伝えまで知らぬ者など居やしない。
むしろなぜ[聖女]を探す前に挑んだのか理解できない。
レメントは、呆れを通り越して哀れみを含んでラングラーを一瞥すると、言葉をかけずにさっさと店員を呼んだ。
「[今日のランチ・肉]を「「3つ」」・・・と、」
「[今日のランチ・魚]を1つお願いニャッ!」
「・・・1人一品以上頼んで下さい。客じゃないのなら店から出て行って。ここは無料の休憩所じゃないわ」
「んなっ!? 客に対して無礼なっ!」
「注文しないなら客じゃないだろ」
店主の正論に、ラングラーはカッとして反論した。
「大体1食金貨1枚なんて高すぎなんだよ!」
「おい! やめろラングラー!」
「すみません店員さん。コイツ[聖剣]が抜けなかったからイラついててっ」
慌ててラングラーを諌めるルルガンとレメントだったが、連れの無礼に眉を顰めるリラとロロに、店主はチラリと目を向けると、大袈裟にため息をついてから丁寧に悪態をついた。
「ハァ・・・メニューにも明記しておりますが、肉か魚を持って来たなら1食銀貨1枚です。料金も明瞭会計になっていますが、お気に召さないならご利用にならなくて結構。それとも字が読めないの?」
「なんだと!? バカにしているのか!?」
ガタン! と、音を立てて椅子を倒す勢いで立ち上がったラングラーに、店主は声を一層低くして警告した。
「椅子に尻を戻せこの愚か者が。注文するのかしないのかはっきりしろ」
「誰が食うかっ! こんなぼったくり料r」
ラングラーが文句を言い切る前に、音もなくその場から煙のように消え去った。
4人は目を見開いて身を固める。
「まったく・・・クソがっ・・・それは[店]じゃNGワードだ原価厨かよ・・・ご注文繰り返します[今日のランチ・肉]3つに[今日のランチ・魚]1つですね?」
まるで何事もなかったかのように注文を繰り返す店主に、4人はただウンウンと首を縦に振った。
「少々お待ちください」
店主がカウンターの奥に入っていくのを見送って、レメントが慌てて店の外に出、ようとしたが、扉が開かない。押しても引いてもそれこそピクリとも動かない。
レメントは、ドキドキしながら大人しく席に戻った。
金貨1枚は確かに大金だ。この国では、安宿大部屋素泊まりが大体銀貨1枚。金貨はその銀貨100枚分の価値だ。
だが、その料金の噂も街で聞いていた。そして『それでも食べる価値がある』と[聖剣]に挑んだことがある全員が言っていたのだ。
ここでの食事が、単に腹を満たす以外の目的がある事は、王都を出た時点ですでに織り込み済みだったのに。
残された4人に、ピリピリとした緊張が広がる。
[聖剣]のそばにある『美味い料理を出す[喫茶店]』の噂はよくよく知っていたが、よもやこのような店だとは思っていなかった。
その様相に気を抜いてうっかり入店してしまったが、まさか魔法による強制力のある店だったとは。
愚かにも《魔領域》五層目にある[店]が、普通の[喫茶店]であるわけがなかった。と、自分達の単なる飲食店と侮った判断を悔いた。
こんな場所でポツンと店を営むのが、単なる人間のわけがなかった。あの店主、よもや魔族か魔女か。
こんな危険な場所で営業しているのだ。[どの料理でも一品・金貨1枚 ※食材持参の場合・銀貨1枚]に異論はないが、食材を持ってこなかった自分らが、まさか次の食材に!?
ひとり消えてしまった今、ラングラーを心配するより、相手のテリトリーにいる自分達がどうなってしまうのか。
誰ともなく ゴクリ と唾を飲む音が響くと、見事に両手に4皿を持った店主が目の前に現れた。
「お待たせしました。飲み物とデザートはお食事後お持ちします」
器用に皿をそれぞれの前に並べると、店主はカウンターの中に戻ってグラスを拭き始めた。
4人は目の前の皿を凝視する。
これは、食べても大丈夫な料理なのだろうか・・・。
なんの肉かもわからぬ丸い肉の塊から滴る肉汁に、えもいわれぬ美味そうな香りが立ち上がる。
それまでの恐怖が立ち消えて、途端に口内でじゅるりと涎が溢れた。
「あ、ムリ・・・!」
腹ペコだったルルガンが、たまらずナイフとフォークを肉の塊に突き刺した。
ドロリ と、とろけたチーズが溢れ出す。
慎重にフォークで持ち上げた肉を パクリ と口に入れたルルガンは、ウットリとその頬を紅潮させた。
「う、旨い・・・」
その姿を合図に、皆一斉に自分の皿に手をつけ始めた。
今日のランチ・肉のメニューは、チーズインハンバーグ。
分厚いミンチ肉の中に、みっちりと入ったモツァレラチーズは、伸びに伸びて肉に絡まり、その旨味のマリアージュを遺憾なく発揮させた。
「ニャッ! なんじゃこりゃ!? パリッパリニャ!」
今日のランチ・魚のメニューは、真鯛の洋風バター松笠揚げ。
白身の魚は鱗がついていて、一見食べにくそうだったが、口に入れるとパリパリと音を立てて弾け、肉厚な白身が柔らかにほどけると、舌の上を旨みと甘味が蹂躙した。
同じ皿の上に添えられた新鮮なサラダは、柑橘系のドレッシングがかかり、肉とバターの脂をさっぱりとさせた。
肉汁が染み込んだ揚げ芋は、ほっくりと絶妙な塩味と柔らかさでリラの口内をなぶり、バターを吸った焼き長芋は、今まで感じたことのない食感で、ロロをさらに恍惚とさせた。
「ヤバい」
「旨い」
「おい、しぃぃ・・・」
「ウミャイ! ウミャイ!!」
後はもう、4人は夢中で料理を口に運び、飲み込むのを惜しんで咀嚼した。
気づくと皿は空っぽになっていて、ちょうど良いタイミングで店主が皿を下げにくると、代わりに置かれたデザートは、これまた見たことのない3つの丸い物体だった。
「バニラとチョコレートのアイスクリームと完熟メロンのジェラートです。別々でも一緒にでもお好きなようにお召し上がりください。こちらのコーヒーは苦味が強いようでしたらミルクとお砂糖を入れてお飲みください」
アイスと共に、テーブルの上に並べられたカップの中、湯気が立つ漆黒の液体からは、これまた嗅いだこともないような香りが漂っている。
レメントは、勧められたミルクと砂糖壺には手をつけず、恐る恐るカップに口をつけた。
「苦い・・・でも・・・」
アイスクリームに匙を刺し、そっと口に入れる。
「つ、冷たい・・・凄く甘い・・・」
そして、思いついたようにアイスとコーヒーを交互に口に入れた。
「美味しいっ!!!」
みなレメントの真似をして、アイスクリームに舌鼓をうつ。
あっという間にアイスを平らげてしまったロロは、残ったコーヒーにたっぷりとミルクと砂糖を入れてこれまた「ウミャイウミャイ」と、歓喜の声を上げながら飲み干した。
「「「「ふはぁぁ・・・」」」」
そろって腹を抑えて満足げにさする。
こんなに旨い料理を食べたことがない。
ここ数日の粗食が原因ではないことは明らかだ。
それなりに名のあるA級冒険者パーティだったが、王都でもこれほどの料理にはお目にかかったことはないのだ。
4人はそれまでの恐怖を忘れ、それぞれ文句無しで金貨をテーブルの上に出した。
「美味しかった・・・」
「これに出会えただけでここに来た価値ある」
「なんだか魔力がみなぎっているわ」
「違う料理も食べたいニャ!」
もうひと品。と、思ったところで、我に返ったようにラングラーを思い出したレメントは、名残惜しげに店主に声をかけた。
「時に店主殿、この辺りで[聖女]について何か知らないか?」
「[聖女]・・・とは、いずれの者を指すかわかりかねますが、僭越ながら[聖剣]の護りを仰せつかっておりますのは私でございます」
「えっ!?」
またしても4人は同時に固まった。
そして悟った。あの[聖剣]をラングラーが手にすることは決してない。と。
レメントが、恐れながら。と質問する。
「あ、あの、ラングラー・・・先ほど追い出された男は何処に飛ばされたのでしょう?」
「さぁ? 店の外にいるとは思いますが、なにぶん[店]がすることですので私にはわかりかねます」
ガタリ。と、慌てて3人が立ち上がるなか、ロロが満面の笑みでお礼を言った。
「美味しかったですニャ! また来ますニャ!」
「ありがとうございます。またのお越しをお待ちしております」
そこで初めて笑み返した店主に、4人は深々と頭を下げて店を出て行った。
パタン。
「挑戦者が少なくなったのは良いけど、たどり着く奴の程度も悪くなったなぁ」
扉がしっかりと閉まった後、大きなため息をついて店主は独りごちる。
ここは《魔領域》[クワイエットフォレスト]第五層にある、喫茶[エクスカリバー]。
訪うお客様を、美味しいお茶と料理でもてなし、癒しと神の加護を与える[ 守護者 ]が営む喫茶店だ。
「せめて今回のボンクラ達が、正しく[店]の事を宣伝してくれたら良いんだけど・・・」
店主がこの世界に[召喚]される際、女神から《契約の部屋》で依頼された仕事は[聖剣]の[護り]だ。[聖剣]を抜ける者の選別では無い。
残念ながら、伝説というのは、いつも何処かで間違って言い伝えられる。
「[聖剣]が抜けなきゃ[勇者]が出ないんだし[勇者]がいないんじゃ[魔王]も降臨しないんだから、あんなもん抜けない方がいいに決まってるじゃんね」
店主は、再び大きくため息をつくと、窓の外の[聖剣]に、忌々しげに目を向ける。
その柄にとまった小鳥が、チュピチュピ♪ と歌っているのに合わせて、[聖剣]は楽しげに何か応えているのが見えた。
のんきなもんだ。
まさに身から出た錆。毎日嫌でも目にするこの風景に、いっそぶち折ってしまおうか。と、何度思った事か。
その度に『勘弁してください』と、泣いて懇願するインテリジェンスソードに心底同情して、地中に根を張る事を条件に、存在を許してしまった自分が悪い。
窓から気持ちの良い風が吹き込んで、[店]は店主を慰めるように白いカーテンを揺らす。
巻き込まれた[異世界召喚者]でもある店主は、こうして今日も深い深い三度目のため息をつくのだった。
ちなみに[聖剣]の名称はエクスカリバーではありません。