ep.07 影の証拠
昴は思わず、視線を奪われた。
数秒の沈黙が、永遠のように感じられる。
だが次の瞬間、彼の瞳に冷たい光が戻る。
――今は、見惚れている場合じゃない。
心の奥で呟き、昴は意識を真綿議員の動向に向け直した。
この夜の目的はただひとつ。
真綿議員の「裏」を暴くこと。
それ以外の感情は、すべて任務の邪魔になる。
そして、真綿議員がゆっくりと歩を進め、幽紗の前で立ち止まった。
「幽紗さん、この作品は本当に素晴らしいね」
その声が昴の耳に届く。威厳と自信を滲ませながらも、どこか抑えきれない興奮の色が混じっていた。昴はその抑揚に敏感に反応し、幽紗の返答に耳を澄ませる。
「ありがとうございます」
幽紗の声は静かで、控えめだった。だがその言葉の奥に、儚さにも似た余韻があった。
「この作品は、存在しないものですから……」
そう言い残して、幽紗は一礼し、静かにその場を離れた。置き去りにされた言葉だけが空気に揺らぎ、誰もその真意を問いただす者はいなかった。
その時、ざわざわと小さなざわめきが、真綿議員の周囲に広がった。昴の視線が鋭く走る。群衆の中に、密かに近づく影の存在を捉えた。
末永理事長と数人のビジネスリーダーたちが、議員へと歩を進めていた。
「あら、真綿議員ではないですか。少しお話しする時間をいただけますか?」
末永理事長が、穏やかな笑みを浮かべて声をかける。
「もちろんです」
真綿議員はグラスを手に取り、いかにも余裕のある態度で応じた。その笑顔は、この空間の主導権を自らが握っていると確信する者のそれだった。
昴は陰の中に身をひそめ、慎重に彼らの会話に耳を傾けた。すべての情報を取りこぼさぬよう、神経を研ぎ澄ませる。
「実は、我々のグループは、あの土地の開発に大きな関心を持っておりまして――」
「それは素晴らしいことですね。あの地域には確かに可能性がある」
「ええ。ですが、開発権の取得には議員のご支援が不可欠でして……」
昴はポーカーフェイスを崩さず、そっと胸元に手を当てた。親指を滑らせるようにして、胸ピンに隠された録音装置を起動する。装置は周囲の音声を高精度で拾い、即座に暗号化して安全に記録した。
さらに、眼鏡のフレームに軽く指を添える。極めて自然な動作で録画モードへと切り替える。フレームに内蔵された小型カメラは、誰にも気づかれぬまま、議員と理事長たちの表情と会話を克明に捉えていった。
「具体的には、どういった形で?」
「多額の投資を想定しています。その代わり、いくつか便宜を図っていただければと」
真綿議員の表情に、わずかに関心の色が浮かんだ。
「詳細を聞かせてもらいましょう」
「この宴もその一環です。資金集めの場として、そして議員に我々の計画を理解していただく機会として」
「なるほど。それで、条件は?」
「議員にご協力いただければ、選挙資金として大規模な支援をお約束します。地域経済も活性化し、議員ご自身も大きな「成果」を得られるはずです」
パズルのすべてのピースが揃った。昴は確信する。録音も録画も完璧に作動している。任務は順調に進んでいた。
会話が一区切りついたのを見計らい、昴は装置を静かに停止させ、気配を殺してその場を離れた。彼の動きはまるで影のようで、誰の目にも留まらなかった。
「……揃った」
心の中で静かに呟く。これで、末永理事長たちの計画を阻止する材料が整った。あとは真綿議員に、真実を突きつけるだけだ。
昴は会場の出口に向かって歩を進める。煌びやかな装飾、賑やかな人々の声――どれも彼にとってはただの背景に過ぎなかった。任務が終わった今、彼の心は平常そのもので、感情に流されることはない。ただ、やるべきことを粛々とこなしているだけだった。




