ep.04 仮面の裏側
初めての単独任務が下されたのは、颯と昴が十五歳の時だった。
その任務は、地方の有力者のもとで極秘に進行していた密輸ネットワークの壊滅。
標的となったのは、武器や違法薬物の流通ルートを統括していた二人の男たち――
彼らの活動は広範囲に及び、地元の治安に深刻な影を落としていた。
周到な警備と緻密な通信網を駆使していたが、月影一族の情報網はその隠れ家を見抜いた。
そして、二人に「排除」の命が下された。
出立前、瞬はいつも通り無機質に言い放つ。
「月影の名誉を汚すな」
「はーい」
「はっ」
兄弟の返事は対照的だった。
颯はどこか気だるげに、昴は律儀に。
だが、どちらにも揺るぎはなかった。
任務は月の沈む夜に決行された。
闇を纏うように、二人は静かに敵の根城へと忍び込む。
そして、それぞれの標的へと分かれた。
颯は迷いなく銃を構え、その指先は一切の情を知らなかった。
引き金が引かれると同時に、標的は声もなく崩れ落ちた。
その無慈悲さは、まるで呼吸するように自然だった。
昴もまた、標的の背後へと忍び寄り、銃口を向けた。
手は微塵も震えていない。だが、心が躓いた。
引き金にかかる指先に、重さが生まれる。
命を奪うという現実が、彼の内側を軋ませた。
その様子を見た颯は、氷のような視線を向け、冷笑を浮かべる。
「さーて、どうする? このまま迷ってる時間はねぇよ、カス」
挑発するような声。
続けざまに、
「ほら、さっさとやれぇ」
その言葉に、昴の意識が引き戻された。
兄の無慈悲な眼差しに射貫かれ、彼は感情を切り離すようにして心を閉じる。
そして――
引き金を引いた。
音が響く。
標的は沈黙とともに倒れた。
任務は成功。
だが昴の心に残ったものは、達成感ではなく、鈍い痛みだった。
それは、罪の形をした沈黙だった。
任務の成功は、一族内での彼らの評価を一気に押し上げた。
だが、兄弟の間に流れる空気は冷えたままだった。
颯は、昴の「迷い」を弱さと断じ、隙あらば試すような言動を繰り返した。
昴はそれに抗うでもなく、ただ淡々と受け流していた。
彼らの関係に、絆と呼べるものはなかった。
ただ、月影一族において、彼らが唯一「友」と呼べた存在がいた。
それが、正島一族である。
正島時忠は瞬の補佐を務め、その息子たちは颯と昴にそれぞれ付き従っていた。
颯には、同年代の正島忍。
茶色のボブカットに、薄く雀斑の浮かぶ頬。
素朴な外見とは裏腹に、その眼差しには深い影と忠誠心が宿っていた。
彼は常に颯に付き従い、その言葉に逆らうことはなかった。
忠実であることが、彼にとっての唯一の存在意義のようだった。
昴には、三つ年上の正島翼がいた。
ハーフリムの眼鏡をかけた長身の青年。
落ち着いた雰囲気と親しみやすさを併せ持ち、技術者としての才を感じさせる人物だった。
スーツの着こなしも洗練されており、知性と静けさをまとったその佇まいは、昴にとって憧れの存在でもあった。
彼の指先は繊細で、確かな技術と繊細な配慮がそこに宿っていた。
昴にとって翼は、数少ない心を許せる相手だった。
悩みを打ち明けると、翼は決してそれを嘲笑うことなく、真摯に耳を傾けた。
ある晩、昴がふと零した言葉がある。
「俺……一族のために生きることが正しいのか分からない。
任務で人を殺すたびに、心がすごく痛い。こんな生き方を続けられるのか……
不安だ……」
その声には、普段見せない脆さが滲んでいた。
翼は一瞬だけ黙り、そして静かに笑った。
「いけるよ。地獄で償えばいい。
その時、俺も一緒にいるから。安心して」
その言葉は、昴の心を少しだけ軽くした。
昴はそれを「赦し」だとは思わなかった。
ただ、その優しさが、救いだった。
彼らは、誰にも言えない孤独と葛藤を抱えながら、
それでも前を向こうとしていた。
影の中でも、誰かと寄り添えるのなら――
それだけで、歩ける気がした。