ep.31 君の涙の理由
「おかえり」
「ただいま」
昴は微笑んで答えた。
翼は駆け寄り、わくわくした様子で言った。
「ねえ、もうさ、そろそろ付き合っちゃえよ!」
昴は小さく笑った。
「うん、そろそろだな」
「え、マジで!?」
翼は目をまんまるにして驚いた。まさか昴が即答するとは思っていなかったらしい。
「来月、告白しようと思う。服装どうしようかな……スーツだと堅いし、でもラフすぎても誠意がないし、髪型もちゃんとしなきゃ……」
昴は一人でぶつぶつと悩み始めた。
「うるさい!」
翼がぴしゃりと遮った。
「昴の服はモノトーンしかないんだから、俺に任せな!」
「やけにノリノリだな」
「当たり前!……ほら、明日も仕事だから、さっさと寝て!」
そう言いながら、翼は昴をぐいっと部屋に押し込んだ。
翼は本気だった。親友のために、できる限りのサポートをすると決めたのだ。
その夜、昴はベッドの中で静かに考えた。
──自分はこんなにも、変わったんだ。
過去に縛られていた心は、少しずつ自由になって、新しい未来を歩き出そうとしている。
幽紗となら、その未来を信じてもいい。
そんな確かな想いが、胸にあたたかく灯っていた。
翌朝、朝食を取りながら、ふたりは告白プランを練った。
「重すぎない?プロポーズじゃないんだから」
「バカ、誠意は大事なんだよ。誠意!」
翼は妙に力説しながら、最高の場所と服装を考え続けた。
一ヶ月が経った。
いよいよ告白の日。
翼が選んだ、カジュアルだけど上品な服を着て、昴は緊張しながら玄関を出た。
「頑張れよ!」
翼が背中を叩き、笑顔で送り出してくれる。
昴は深く息を吸い、幽紗との待ち合わせ場所へ向かった。
胸の中には、不安と期待が入り混じった強い鼓動。
──でも、それ以上に、幽紗への想いが確かにあった。
彼女の前に立ったとき、昴はしっかり目を見た。
心に準備していた言葉を、一言ずつ、丁寧に紡いだ。
「俺と付き合ってください」
幽紗は、少しだけ驚いたように目を見開いた。
そして、そっと微笑みながら言った。
「昴くん、すごくうれしい。ありがとう。でも……ごめんなさい」
昴の心臓が、音を立てて沈んでいく。
「……そっか。だよね、無理だよね」
無理に笑おうとしたけれど、うまく笑えなかった。
だけど、幽紗は首を振った。
「違うの。私も昴くんが好き。でも、私みたいな人は、昴くんにはふさわしくないと思う」
「どうして……?」
昴は必死に理由を知りたかった。
幽紗の瞳に、涙がにじんでいた。
それを見た瞬間、胸がギュッと痛んだ。
昴はそっと幽紗の手を取った。
真っ直ぐに、彼女を見つめた。
「幽紗は初めてなんだ。俺をこんな気持ちにさせたのは。
一生に一度しか会えない人だって、そう思ってる。だから、手放したくない」
幽紗は何も言わなかった。
静かに手を離し、背を向けた。
そして、ふっと、消えるようにその場を去った。
昴はその小さな背中を、ただじっと見つめていた。
胸に広がる、どうしようもない寂しさ。
──俺は、幽紗のことを、何も知らなかったんだ。
昴は固く心に誓った。
幽紗のすべてを知って、守りたい。もう、誰にも渡さないために。
家に帰ると、すぐにスマホを手に取った。
震える手で、翼に電話をかける。
「翼、俺……幽紗のこと、全然知らなかった」
静かな声。でも、その中に滲んでいたのは、迷いと、揺るがない決意だった。
「そうか。分かった」
翼の声は短いけれど、重たくて、あたたかかった。
「……うん。頼む」
昴は深く頭を下げるような気持ちで、電話を切った。
すぐに準備に取り掛かった。
幽紗のことを知るために。
彼女を守れる存在になるために。
──そして、ふたりで未来を歩くために。




