ep.19 動かない指先
春の光が湧める日、昇は新たな任務を与えられた。
標的の名前は名富健一。
かつて一流弁護士として名を馳せ、政財界に顔が利く男だった。しかし、その裏には誰も知らない深い闇があった。
名富は、国際犯罪組織LEMの違法活動を暴こうとした結果、家族を人質に取られた。命を守るため、彼は自ら手を汚し始めた。証拠を偽造し、嘘の証言を重ね、組織のメンバーをかばう。
やがてそれは明るみに出て、彼は家族とともに国外へ逃亡。以来、消息を絶っていた。
名富の裏切りは、政治に激震をもたらした。無関係な人々が巻き込まれ、政府の信頼は地に落ちた。
LEMは政治家を操り、薬物取引、企業脅迫、腐敗の限りを尽くしていた。
名富を野放しにすれば、さらなる混乱は避けられない。
「消すしかない」
それが結論だった。
翼は、名富が南米に潜伏していることを突き止めた。
昴と翼は即座に動き、フライトと装備を手配。誰にも気づかれぬよう、慎重に南米へ向かった。
広がる熱帯の空気の下、二人は名富の行動を徹底的に洗い出した。
朝、決まった時間に車で買い物に出かける習慣――それが唯一の隙だった。
昴のスマホに指示が届く。
「交通事故に見せかけて処理しろ」
警察にもLEMにも気取られず、静かに終わらせる。それが理想だった。
作戦はこうだ。
翼が家の前で監視し、名富の出発を確認する。
昴が指定地点で待ち伏せ、車に細工を施す。
ブレーキにわずかな異常を仕込み、ある瞬間、ハンドル操作を不能にする。
すべてが計画通りに進んだ。
名富が車に乗り込み、いつもの道を走り出す。
「今だ」
翼の通信が入る。
昴は手元のリモコンに指をかけた。
しかし、その瞬間――
脳裏に鮮烈な映像が蘇る。
──あの日。
幼い自分が目撃した、夜の交通事故。
血の臭い、飛び散るガラス、断末魔の悲鳴。
動けなかった。ただ、立ち尽くして見ているしかなかった。
「……!」
昴の手が震えた。
身体が、過去の記憶に縛られる。
「昴!聞こえるか!?」
翼の声が必死に飛び込んできた。
それでも、昴は動けなかった。
名富の車は、そのまま通り過ぎた。
計画は、失敗した。
「……っ、ごめん……!」
ようやく昴はリモコンを落とし、顔を歪めた。
翼はしばらく沈黙した後、低く言った。
「……まだ、明日がある」
二人は深く沈黙しながら、その場を離れた。
だが、その失敗は、取り返しのつかないものだった。




