ep.12 追光
東日幽紗――その名が広く知られるようになったのは、聖田美術大学を卒業してまもなくのこと。
二十二歳の若さで発表したデビュー作『純』が、すべての始まりだった。
淡い色彩に包まれたその一枚は、まるで静かに息をするような人物を描いていた。
一見して穏やか。だけどその奥には、見た人の心をひそかに震わせる、熱く激しい感情のうねりが潜んでいた。
その繊細な筆致と、どこか懐かしいような空気感。そして、古典的な技術に支えられた確かな画力。
それらすべてが合わさって、幽紗は一気に「天才」と呼ばれる存在になった。
だけど――彼女自身は、いつだって静かだった。
派手な言動はしない。着飾ることにも興味がない。
ただ毎朝、陽が昇る頃に起きて、公園を散歩して、草の香りや鳥の声を感じて、アトリエに戻る。
そして、何時間も、何日も、ひたすらキャンバスに向き合う。
その姿は、まるで絵そのものと会話をしているみたいだった。
「絵はね、見てもらって初めて、生きるの」
幽紗がぽつりとそう言ったことがある。
彼女の描く世界は、静かで、優しくて、そして不思議とあたたかい。
見た人の心に、ふっと火を灯すような、そんな絵だった。
彼女には、ひとつの大きな夢がある。
――ダリアに会うこと。
かつて世界を魅了した伝説の画家。今ではほとんど幻のような存在。
彼女の正体は謎に包まれていて、顔も、年齢も、何もかも分からない。
けれど、たった一度だけ発表された『東のはじまり』という作品を見て、幼い幽紗は一瞬で心を奪われた。
その日から、ダリアは幽紗にとって特別な存在になった。
いつか会いたい。感謝を伝えたい。そして――肩を並べるような画家になりたい。
だから、今日も描く。
世界にたった一枚、自分にしか描けない絵を。
彼女の絵筆が生むのは、静けさと、あたたかさと、ほんの少しの祈り。




