きぼうのほん
漫画を描く人、小説を書く人、作家を志す人が絶えることはない。
ここにも一人、漫画家になるのを志して漫画を描いている若い男がいた。
時期はお盆。毎年、暑い夏の日に、同人誌即売会が開催される。
その若い男は、今年も自作の同人誌を描き、同人誌即売会で売ることにした。
真夏の暑い一日のことだった。
都市の外れに位置する、大きな大きな会場。
同人誌即売会は、その大きな会場で開催された。
自作の本、同人誌を書いて売る人、サークル参加者。
同人誌を買い求めにやってくる、一般参加者。
それに運営者を含めると、何万人もの人が会場を訪れる。それが同人誌即売会。
そんな大きな会場に並べられた机と椅子の一角に、
その若い男のサークルは軒を連ねていた。
用意した同人誌は、苦労して描き上げた漫画で、
誰に見てもらっても恥ずかしくない力作だと自負している。
そのはずなのだが、いざ同人誌即売会が始まると、誰にも見てもらえない。
同人誌即売会では人気サークルへと人が流れていくばかりで、
その若い男のような無名のサークルの本など、
手に取って開いてもうらうことすら難しい。
立ち読み大歓迎!などと手製の看板を掲げてみるも、効果は無かった。
「はぁ、せっかく描いた本も、見てもらえないと売れるわけないよなぁ。」
溜め息をついて周囲を見ると、隣近所のサークルは大盛況。
その若い男のサークルの前に谷を作るように、周囲には行列ができていた。
「仕方がない。少し休憩でもしようか。」
そうしてその男は、誰も寄り付かない自分のサークルスペースを抜け出し、
休憩と散歩を兼ねて会場を歩くことにした。
同人誌即売会の会場は、内も外も熱気が溢れていた。
本を売りたい人、買いたい人、お祭りを楽しむ人達がひしめき合っている。
人気サークルには人が行列を成し、流れるように本を買っていく。
そこまではいかなくとも、空いているサークルでも、
並んでいる本を手に取り、本の中身を吟味し、
買うか否かと思案する人達もたくさんいた。
「いいなぁ、本が売れてる人達は。
いや、売れなくたっていい。
頑張って描いた本を、見てもらえるだけでもいいんだけどな。」
そんなことを溢しながら、その若い男は会場の中を練り歩いていく。
すると、ある一角に、人が全く立ち寄らない場所を見つけた。
不幸にも不人気サークルとなってしまったサークルが集まる一角だった。
そこでは本が売れるどころか、手に取って中身を見てもらうこともない、
苦しいサークルの人達がうつむき加減でサークルスペースに収まっていた。
人気の無いジャンル、表紙がパッとしない、理由は様々。
いずれにしても、本の中身の良し悪しすら見てもらえない人達だった。
「うち以外にも、本を見てもらうことすらできないサークルは、
あんなにもたくさんあるものなんだな。
本を手に取ってもらえない辛さはわかるな。
ちょっと、協力させてもらおうかな。」
そうして、その若い男は、人の寄り付かない不人気サークルの集まる一角で、
一冊の本に手を伸ばした。
その本を選んだのには、特に理由はなかった。
強いて言えば、手近にあったからとか、その程度の理由だった。
きぼうのほん。
表題にはそう記されていた。
「これ、読ませてもらっていいですか?」
その若い男が声をかけると、
そのサークルの人と思われる、椅子に座っていた若い女が、
椅子から腰を浮かせて感謝の言葉をあげた。
「読んでもらえるんですか!?ありがとうございます!」
「あっ、読むだけですので・・・」
返って恐縮したその若い男は、オドオドと本を手に取って広げてみた。
きぼうのほんの中身は、漫画よりも絵や字が大きい、絵本のような本で、
書き出しはこんな内容だった。
その若い男は、漫画を描くのが好きだった。
子供の頃から漫画を描き、やがて大人になると、
漫画家は憧れから目標になった。
その若い男は、同人誌即売会に参加した。
自分で描いた漫画を、人に見てもらう、買ってもらうために。
でも、不幸なことに、その若い男のところには、人が寄り付かなかった。
漫画の中身が悪いせいではない。
だって、その若い男が描いた漫画の中身を、まだ誰も見ていないのだから。
そこまで読んだところで、その若い男は首を傾げた。
この本は何だろう。偶然だろうか。
これではまるで、自分と同じではないか。
その若い男は、きぼうのほんの先を読み進めた。
その若い男の本は全然手に取ってもらえない。
周囲を見れば、自分のサークル以外は人が溢れている。
だから、気分を変えたくて、その若い男は席を立った。
他のサークルを見て回る。
すると、ある一角に、人がいないサークルが集まっているのを見つけた。
その若い男は同情か哀れみか、本の一冊を手に取った。
本の名前は、きぼうのほん。
きぼうのほんを開くと、そこには漫画家を志す若い男の話が書かれていた。
その若い男はギョッとした。
きぼうのほん、これはその若い男自身を描いたかのようだったから。
この先には何が描いてあるのだろう。先を読むのが恐ろしい。
すると、きぼうのほんを売っている若い女が、上目遣いでこちらを見た。
「あの・・・どうでした?その本の内容は・・・?」
「あっ、ええ、興味深い内容だと思います。」
「そうですか!?じゃあ・・・!」
「えっ、ええ、この本、一冊ください。」
「本当ですか!?ありがとうございます!」
若い女は机に頭をぶつけんばかりにお辞儀をし、涙すら浮かべていた。
「よかった、本が売れて。初めて本を買ってもらえた。」
若い女は本当に嬉しそうで、まるで成仏でもしてしまいそうなほど。
そんな流れで、その若い男はきぼうのほんを買うことになった。
「結局、買うことになってしまったな。
まあいい。続きが気になるし、自分の席に戻ってから続きを読もう。」
いくら人が寄り付かないとはいえ、
自分のサークルスペースをあまり長く空けるわけにもいかない。
その若い男は、きぼうのほんを抱えて、自分の席に戻っていった。
その若い男が席に戻ると、周囲の様相は若干変化していた。
周りの行列が途絶え、人の気配が少なくなっていた。
完売。
そんな文字が周囲のサークルで踊っていた。
「いいなぁ、もう完売したのか。それで人が空くようになったんだな。」
それでもその若い男のサークルスペースには、人が来ることはない。
だから、その若い男は、買ったばかりのきぼうのほんを開いた。
続きを読み始める。
即売会で出会った若い女が売る本を、その若い男は買うことにした。
本の中身が自分の行動そっくりで、自分の行く末が知りたかったからだ。
その若い男が買ったのは、きぼうのほん。
きぼうのほんを買ったのは、その若い男ただ一人だった。
きぼうのほんを手に、その男は自分の席に戻った。
周囲のサークルの行列は途切れ、人の気配は少なくなっていた。
人が少なくなれば、今までは見えなかったものが見えてくるようになる。
その若い男が描いた本が、通りがかりの人達の目に触れるようになった。
興味を惹かれた人が、本を手に取る。
すると、その様子に興味を惹かれた他の人達も本を手に取る。
あっという間に行列のできあがり。
行列などというのは、切っ掛けは些細なことでできあがるもの。
本の中身はその男の力作。不評なわけがない。
やがて一人が本を買い、さらに次の人が
その若い男が、きぼうのほんをそこまで読んだところで、
目の前にスッと本が差し出された。
見るとそれは、その若い男自身が描いた本だった。
見上げると、来場者であろう人がこちらに向かって口を開いた。
「この本、ください。」
「あっ、はい。ありがとうございます!」
本が売れた。
まるで、きぼうのほんに描いてあったとおりに。
あれだけ売れなかったのに、周囲のサークルから人の気配が消えて、
今度はその若い男の順番が巡ってきたかのように。
辛抱強く順番を待っていたその若い男に酬いるように。
「この本、買います。」
「わたしも。」
それからその若い男の本は、次から次へと売れていった。
完売、とはいかないまでも、持ってきた本の大部分は売れた。
思わぬ誤算、嬉しい誤算だった。
まるで、きぼうのほんの内容が現実になったかのようだった。
だから、その若い男は、またサークルスペースを空けて席を立った。
きぼうのほんを手に、作者に、あの若い女にお礼を言うために。
きぼうのほんがなければ、
きっと自分は諦めて途中で帰ってしまっただろうから。
きぼうのほんは、それを引き止めてくれた。
そして、それもまたきぼうのほんのとおりだったことを、
その若い男は知ることになる。
同人誌即売会の一角。
きぼうのほんを売っていたサークルスペースを訪れると、
そこはもぬけの殻になっていた。
その若い男はきぼうのほんを手に、周囲のサークルの人達に聞いた。
「あの!ここで、この本を売っていた人を見かけませんでしたか!?」
「さあ・・・。」
「いつの間にか、いなくなっていましたよ。」
「そこ、人なんていましたっけ?」
だが、きぼうのほんを売っていた若い女のことはわからず、
逆に聞き返されるような状況だった。
そこで、その若い男は、ふと思いついた。
「そうだ!この先がどうなるのか、きぼうのほんに描いてあるかも!」
一縷の望みをかけて、その若い男は、きぼうのほんの続きを読んだ。
その若い男は、本を売るのに一段落し、席を立った。
再びここを訪れると、もぬけの殻だった。
今日はお盆。
その若い女が同人誌即売会にいられるのは、ほんの僅かな時間だけだったから。
最初から、そう決まっていたから。
だからその若い男とその若い女は会うことはできなかった。
もう会うことはできなくても、きぼうのほんが一冊でも売れて、
わたしは満足している。
きぼうのほんを読んでくれた人がいて、わたしは感謝している。
きぼうのほんが、わたしの願いを叶えてくれた。
次は、あなたの願いが叶いますように。
きぼうのほんは、そう結ばれていた。
そこから先はもう何も書かれてはいない。
奥付けには連絡先も何も書かれてはいない。
まるで真夏の暑さに化かされたかのように、その若い男は立ち尽くしていた。
間もなく、今日の同人誌即売会は終わりの時間を迎えようとしていた。
真夏、お盆の時節。
今年もまた、同人誌即売会が開催されようとしていた。
その若い男は、今年もまた本を描いて、
本を売るサークルとして参加しようとしていた。
今年、その若い男が描いた本。
そのタイトルは、きぼうのほん。
去年、その若い男が同人誌即売会で買った本と同じタイトルだ。
きぼうのほんは、その若い男の、そしてあの若い女の行動を書き起こし、
ふたりの願いを叶えてくれた。
だからもう一度、きぼうのほんに願いを託すことにした。
今回のきぼうのほんの中でも、その若い男はやはり同人誌即売会に参加する。
そして、再会する。
去年、偶然にも出会った、きぼうのほんと、あの若い女に。
出会ったら何を話そう。何を聞こう。
聞きたいことはたくさんあるけれど、まずはきぼうのほんを読んでもらおう。
自分が描いたきぼうのほんを。
準備のため、机にきぼうのほんを並べていく。
やがて今年も同人誌即売会は始まった。
人が流れるように通り過ぎていく。
すると、一人の人物が立ち止まって、その若い男に話しかけた。
「あっ、その本は・・・!
その本、読ませてもらっていいですか?」
そこにいたのは・・・。
今日もまたどこかで同人誌即売会が開催される。
そのどこかに、きぼうのほんがあるかもしれない。
望む人のところに、きぼうのほんが現れますように。
終わり。
今年も同人誌即売会の季節なので、テーマにしてみました。
欲しいものは全て買いたいけども、財布の中身には限りがあり、
売られているものは全て売れて欲しいけれども、そうはならない。
同人誌即売会の全てに幸あれと願って、この話を考えました。
きぼうのほんは、書いた内容がそのまま現実になる本のようです。
売れなかった本が売れるようになったように、
もしかするともっとすごいことも現実にできるかもしれません。
例えば、お盆でこの世に帰ってきた死者を蘇らせるとか。
お読み頂きありがとうございました。
2024/11/7 誤植訂正
第10段落14行目
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