一周目のアレコレその5
一応のざまぁ回になります。
ヴァーリオ暗殺事件は瞬く間に、オーケス王国に広まった。
犯人は輿入れしたロックス王国の姫だった。
先の戦争で恋人を失った姫が、復讐の為にヴァーリオの暗殺を行ったとの事だった。
その後、姫も自害してしまったので、更に大騒ぎになった。
この件で、オーケスとロックスの間で結ばれた和平条約は御破算となる。
双方の議会は紛糾したが、先に動いたのはロックス王国であった。
再び侵攻を開始したのである。
再び和平を結ぶ事は不可能である為、やられる前にやるとばかりの迅速な侵攻であった。
かなり強引な展開であったが、それが結果的に上手く行った。
まず、オーケス辺境伯軍が機能不全に陥っていた。
軍の立て直しが上手く行って無かった事が原因だ。
その上、次期王と見込んでいたヴァーリオに対する王家の所業、その後の暗殺事件によって、辺境伯であるドーラムの心が折れた結果、辺境伯軍はアッサリとロックスに降伏したのだった。
今回、ロックス軍を率いたのは、前回の将校達だった。
彼等は戦争後、身代金の支払いによって国に帰った後、肩身の狭い立場に追いやられたのだが、王族がとんでもないやらかしを行い、再び開戦をする事となった結果、彼等が駆り出される事になった。
捲土重来、名誉挽回、汚名返上とばかりに侵攻するも、オーケス辺境伯軍が降伏をした為、無傷で征圧を完了する事が出来た。
その後の辺境伯領についてだが、捕虜になっていた期間、礼を尽くした扱いであった事もあり、ロックス軍も民への略奪や暴力を働く事は無かった。
損害0であった事で、略奪の必要性が無かった事も大きい。
それから、ロックス軍は怒涛の勢いで進軍するのであった。
オーケス王国は押されっ放しだった。
開戦当初は楽勝ムードが漂っていたのだが、今では厳しい状況にある。
一度は勝利している事や、今度はヴァーリオを遥かに凌ぐヴィオールが出るのだから、勝利は間違いないと言った具合であった。
民だけでなく議会でもこんな感じであった。
ただ一人、ヴィオールだけはそうは思っていなかった。
確かに自分は兄よりも優れているという自覚はあった。
だが、報告書や戦った兵達から見聞きした、ヴァーリオの戦術には心底驚いていた。
これまでの戦の定石を打ち砕く、大胆な戦い方。
かなりの無茶な作戦であったが、実際に結果を出したし、仮に自分があの場に居たとして、こんな戦い方を思い付くかと言ったら、それは否である。
凡庸と思えた兄の、意外な才覚にヴィオールは戦慄したのだった。
尤もこれは、ヴァーリオ本人の力と言うよりは、その中に合った前世の知識が由来なのだが。
また、ヴィオールには懸念すべき事があった。
まず、オーケスの戦力だが、辺境伯軍と第一王子派であった軍は、この国において個々の練度は最高クラスと言っても過言では無かった。
第一王子派は元は前王ヴォルカに仕えた者達だ。
辺境伯軍と並んで、精強さにおいてはトップクラスの猛者達である。
それが先の戦争で大きなダメージを受けて、再起もままならない。
時間的にもそうだが何より、彼等が支持していたヴァーリオの死が大きく影響していた。
結果、辺境伯軍は何の抵抗もせずに降伏した。
第一王子派も軍を徴収しようにも、そんな体力は残っていないと来たものだ。
この時点でヴィオールの手駒は随分と減った状態である。
最早、オーケス単独でロックスを抑えるのは非常に困難な状況であったのだ。
頼みの綱のホープスの動きは相変わらず遅い。
オーケスが落ちれば、次はホープスの番だと言うのに、だ。
ヴィオールは考える、ホープスの狙いを。
もしかしたら、オーケスとロックスが双方共に消耗した所を、纏めて撃破する腹積もりなのではないかと。
前回の動きの遅さからしても、その可能性が考えられた。
苛立つヴィオール。
足並みが揃えれば、十分にロックスを撃退可能なのにも関わらず、動かないホープスに対して。
また、何も考えずにヴィオールに期待だけを掛ける民衆や、議会の者達にも怒りを募らせていった。
根本的に戦力が足りない状況では、流石のヴィオールでもどうにもならない。
如何に、ヴォルカに匹敵する才覚を持とうとも、彼にはドーラムのような、右腕と言える存在が居ない。
また、戦乱の世の中で生き抜いたヴォルカ達と違い、平和な時期で育ったヴィオールでは、生きて来た環境が違っていた。
戦力やそれまでの経験の欠如は、将棋で言う所の飛車角落ちの状態である。
ヴィオールは詰んでいた。
それでもヴィオールは懸命に足掻いた。
父であるヴェイスは、ヴァーリオが亡くなってからは、まるで抜け殻の様になっていた。
生前は気にも留めてなかった癖に、今になってヴァーリオに詫びている始末である。
妻であるユーフィニアは身重な為、あまり無理をさせられない。
王妃である母のサポートを受けながら、ヴィオールは毎日駆け回っていた。
「マーストロ地方が敵の手に落ちました……」
「……そうか……」
腹心からの報告を受けるヴィオール。
連戦連敗のオーケスは、遂に国土に2割近くをロックスに奪われていた。
その報告を受けた国の重鎮達は、暗澹たる気持ちになる。
そして次は、敗戦の責任の押し付け合いなどで大騒ぎをしていた。
ヴィオールはその様子に、辟易していた。
最近の世論では、ヴィオールに対する風当たりが強くなって来た。
あれだけ期待されていたのに、結果を出せていないからだ。
今では亡きヴァーリオこそが、王に相応しかったなどと、まことしやかに囁かれている。
以前とは逆の評価になっている現状に、ヴィオールも流石に堪えた。
当初はヴィオールを中心に纏まっていたが、敗戦を繰り返す内に、右往左往する始末だった。
それをヴィオールがどうにかして抑え、今後の展望を話し合った後、彼方此方を奔走してどうにか形にする……そんなパターンである。
「まさか、これ程までに頼りにならんとはな……」
政務をあらかた片付け、どうにか一息ついた所で、ヴィオールは独り言ちする。
今の国の重鎮達……父である国王と同世代の者達だが、想像以上に使えない。
乱世を生き抜いた彼等の親世代に比べて、その子世代はヴィオールからすれば無能も良い所だった。
それでも本来の何も無い平和な時代であれば、特に問題は無かったのだが、今の状況においてはまるで役に立っていなかった。
「……いや、あの様な者達に持ち上げられ、いい気になっていた私も、同じ様なものか……」
神童、麒麟児、天才、傑物などと謳われておきながら、今の状況の打開策を見出せない自らの不甲斐無さに憤るヴィオール。
せめてもう一人、自分に並ぶ者が居たら、まだ状況的にはマシであっただろう。
「兄上が生きておられたら……」
ポツリと、本音を零した。
無能と揶揄されてはいたものの、実の所はヴィオールよりも劣っていただけで、王太子としては及第点に届いていたヴァーリオ。
あのまま何も起きなかったら、そのまま王へとなっていただろう。
それをブチ壊したのが自分達だ。
「ッ! 何を馬鹿な事を! こうなってしまったのは全て、私の責任だろうにッ! 周りに乗せられ、自分こそ王に相応しいと驕った挙句、情欲に溺れ、何の非もない兄上から婚約者を、王位継承権を奪った私のッ!!」
ここに来て、ヴィオールは漸く自分の過ちを認めた。
心の片隅にありながらも、決して目を向けようとしなかった己の罪を。
それは人間的な成長を意味したが、今更遅かった。
その後、敗戦を繰り返したオーケス王国は内部崩壊を起こす事になる。
まず、諸侯の一部がロックス王国に付いた。
勝てない戦いなのだから、領民や己の財産を守る意味では、当たり前の事だ。
「裏切り者共めッ! 彼奴等には貴族としての誇りは無いのか!」
そう憤慨する国の重鎮達。
それをヴィオールは半ば冷めた目で見ていた。
ああやって自分達は貴族としての誇りを持って、最後まで戦う様な事を言っているが、何割かの貴族は既に、ロックス王国とコンタクトを取っている事を、ヴィオールは把握していた。
尤も、形勢不利だからと言って、直ぐに裏切る様な者達など、信用に値しない。
オーケス王国が落ちたら、次はホープス王国との戦が待っている。
つまり、ここでロックス王国に付いても、忠誠心を試す名目で、ホープス王国への鉄砲玉として利用されるだけだ。
それを理解しているから、彼等は彼等で、必死に被害を抑えようと根回しをしているのだ。
オーケス王国に尽くしているが、どうしようもなくなったから、降伏するというような落し所を模索している。
ヴィオールも、それを理解している。
今更裏切りの証拠を上げ、糾弾した所で状況は好転するはずもなく、却って悪化するだけだ。
やれる事は被害を最低限に抑えつつ、どうにか王家が存続出来る様に立ち回るしか無かった。
会議を終え、一人会議室に残るヴィオール。
彼は天を仰ぐ。
「私は愚かだった……己の分を弁えていれば、この様な事態になる事は無かった……」
それでも、ヴィオールは足掻くしかなかった。
せめて、愛する妻と子供が生き延びれる様に。
ユーフィニアは毎日を憂鬱な気持ちで過ごしていた。
戦争中、聞こえる話題は決して明るい物では無いからだ。
学生時代は戦争が起きつつも、そこまで深刻な話題は無かったのだが、それはあくまで、情報規制が成されていた為である。
追い詰められている現状では、それは徹底されず、学生と違って王太子妃と言う立場上、正確な情報が送られてくる。
勝利を信じて疑わなかったのに、それが何という様であるかと。
夫であるヴィオールは、そんな状況の中、彼方此方を駆け回っているのであまり会う時間が取れない。
妊娠時における不安定な状態と、国家の危機、夫とまともに顔合わせ出来ない状況に、ユーフィニアの精神はどんどん摩耗していった。
どうしてこうなったのか……そう思う。
本来あるべき形に収まって、貴族令嬢として、将来の王妃として、これからが本当の自分の人生を歩める筈だったのに。
嫌な事、考えても意味が無い事が、際限なく沸いて来たのだった。
心の平穏を求めて、ヴィオールの顔を見ようとしても、彼は毎日忙しく立ち回っていた。
その姿は、嘗ての様な常に優雅で、余裕のあった頃とは違った。
必死に勉学に励んでいた、かつての婚約者の姿がダブって見えた。
それがユーフィニアにとって何とも言えない気持ちを想起させる。
別に嫌悪感とかではない、言うなれば罪悪感だろう。
彼に非があった訳でも無いにも関わらず、どうしても好きになる事が出来ず、彼を裏切り、その弟と結ばれてしまった事に対する申し訳なさが蘇ってしまった。
ヴァーリオとの婚約の白紙撤回については、ユーフィニアの意志によっては継続も可能であった。
周りは白紙撤回を求める雰囲気があったものの、彼女が強い意志を以て望んでいれば、流石に白紙化とは行かない。
結局、婚約が白紙撤回されたのは、ユーフィニアがそれを受け入れたからだ。
結果、戦争に勝利した英雄である筈のヴァーリオは、王太子を降ろされた。
更に辺境の地に飛ばされ、和平の為の政略結婚の相手に殺される最後を迎えた。
あの時、将来の国母として、婚約者の生還を待っていれば、こんな事にはならなかったと、思うようになっていた。
今にして思えば、ヴァーリオは才覚は劣るものの、努力は怠らなかったし、及第点には届いていた。
自分との関係も、婚約者として尊重し、何よりも愛情を向けていた事が分かっていた。
それにも関わらず、ヴィオールに自分は懸想してしまった。
時が来れば、結ばれる未来は確定しているのだから、それまではヴィオールを密かに思う事くらいは許されるだろうと考えていた。
その結果がこれだ。
もし、ヴァーリオとの婚約を継続していたなら、こんな事にはなっていないだろう。
ロックスの姫が仮にヴィオールの元に嫁いでも、暗殺事件は未然に防がれた可能性は高い。
暗殺が成功したのは、単純に向こうの警備が杜撰だったからに過ぎない。
仮にも王子であった者が住むには、あの地における護衛や世話係は、王城の最低限の人員にも至っていなかった。
と言うよりも、ほぼ0である。
やろうと思えば簡単に暗殺が出来る位に、ザルであったのだ。
そうして今は、国の存亡に関わるレベルで事が動いていた。
毎日の様に届く敗北の知らせ、敵の進軍など暗いニュースばかりが続く。
その為、ヴィオールの能力を疑う者まで出て来た。
ヴァーリオに出来て、ヴィオールが出来ないとは何事かといった具合だ。
全く状況が違うのだから、一概に比べる事は出来ないのだが、そう言う事は考えもつかないらしい。
遂にロックス王国軍が、オーケスの王都付近まで攻めて来た。
後がない所まで追い詰められたオーケス王国。
此方が不利と見るや否や、オーケスを裏切り、ロックスに付く諸侯も現れた。
オーケス王国は滅亡の危機に瀕した。
その時である。
遂にホープス王国から援軍が殺到した。
十二分に力を貯めたホープス軍は、多少なりとも疲弊していたロックス軍を蹴散らす。
それに呼応して、オーケス軍も持ち直し、遂にはロックス軍を撃退する事に成功する。
どうにか、首の皮一枚で繋がったのだった。
しかし、その首はすぐに首輪に繋がれる事になった。
ホープス王国がオーケス王国に対し、内政干渉を始めたのだ。
表向きはオーケス王国への復興支援だが、実際はそれにかこつけたホープス王国による支配であった。
体力の尽きかけたオーケス王国に、それを突っぱねる力は無く、オーケス王国は事実上、ホープス王国の属国になってしまったのだった。
ヴィオールにとっては屈辱である。
そもそも最初からホープス王国が援軍に来ていれば、何の問題は無かったのだ。
それをギリギリまで救援に来ず、最後の最後に美味しい所を持って行った。
そしてそれを恩に着せ、復興支援を名目にオーケスの実効支配に乗り出す。
完全にしてやられた。
ヴィオールにとって、生涯忘れられない屈辱であった。
そんなヴィオールに対して追い打ちを掛ける様な出来事が起きる。
新たにホープス王国の王太子になったサイザーから、なんと自分の妃であるユーフィニアを寵姫として献上せよとの通達が下されたのだ。
既に第一子の出産を終えたばかり妻を献上せよとの言葉に、ヴィオールは憤慨する。
それを突っぱねようとしたが、それは家臣達に止められた。
今、サイザーに逆らえばどうなるか分からないとの事だ。
オーケス王国は、ホープス王国によって生殺与奪の権利を握られていた。
撃退されたとはいえ、ロックス王国は未だ健在だ。
ホープス王国のバックアップが無ければ、再び戦争が起こってもおかしく無い。
既にオーケス王国に戦う力は無く、ロックス王国が攻めて来たら一溜りも無い。
故に、ヴィオールはその屈辱的な命令を受け入れるしか無かった。
ヴィオールと離縁し、ホープス王国へと嫁ぐ事になったユーフィニア。
彼女は当初、非常に強い抵抗感を持った。
だが、それを受けなければ国が亡ぶ事を理解した為、泣く泣くそれを受け入れる事になった。
生れたばかりの我が子と、夫であったヴィオールと別れ、サイザーの寵姫として招かれたユーフィニア。
そこで彼女は驚愕の事実を知る。
サイザーは、彼女が幼い時に出会った、初恋の少年の成長した姿だった。
彼もまた、幼い頃に出会った少女が忘れられず、再び出会う事を夢見ていた。
ホープス王国の王位継承権を持つ彼は、初恋の少女に逢う為に懸命に努力した。
そして王太子にまで上り詰め、遂に大願を成就したのだった。
……さて、これだけを見れば、紆余曲折あれど、ハッピーエンドには見えなくもない。
だが、現実はそんな甘い話では無かった。
サイザーは確かにユーフィニアに対して恋心を抱いていた。
その為に努力を惜しまなかったし、結果を出してきた。
彼の運命が狂ったのは、ユーフィニアがヴァーリオと婚約を結んだ時だろう。
叶わぬ初恋として処理出来ていれば、何も問題は無かった。
だが、彼は諦めきれなかった……ユーフィニアに酷く執着した。
どうにか彼女を手に入れようと、裏では暗躍していた。
ユーフィニアの婚約者である第一王子のヴァーリオが、第二王子であるヴィオールに劣るという事を知ってからは、そんな話をオーケスの民の間で流布する様に仕掛け、彼女と婚約者の間に亀裂が生じる様に立ち回っていた。
が、それは思った程の効果は現れなかった。
意外にも、ヴァーリオ王太子はそう言った噂を事実として受け止め、その上でユーフィニアを溺愛していたからだ。
流石に直接的に手を出せない為、どうにも手をこまねいていた頃、ロックス王国が戦争を起こした事を利用しようと考えた。
簡単な事だ。
オーケスがロックスによって危機に瀕した時、颯爽と助けて恩を売るか、疲弊した両国を纏めて叩き潰すかの2択だ。
流石に同盟を組んでいる以上、後者は無理なので、あの手この手で遅延を図り、オーケスの恩を売る形で戦争に介入する事にしたのだが、そこで計算外の事が起きた。
無能とされて来た第一王子が、ロックス王国を撃退し、更に何故か第二王子とユーフィニアが婚約を結んだ事である。
しかも、ユーフィニアが懐妊したというオマケ付きだ。
サイザーの計画はあっさりとご破算になった。
怒りと屈辱に燃えるサイザー。
本来ならば危機に陥ったオーケスを救う事で、こちらが優位になるようにしたのに、第一王子が予想よりも粘った挙句にロックス王国を撃破し、第二王子とユーフィニアが結ばれるなど散々であった。
その後、第一王子の暗殺を切っ掛けに再び戦争が始まった。
ホープス王国内では、今回ばかりは素直に援軍を出す流れになっていたのだが、サイザーは強固に反対した。
何故なら、奇跡はもう起こらないからだ。
奇策を用いて勝利した第一王子は既に亡く、辺境伯軍や第一王子派の軍も死に体だ。
そんな状況ではオーケスが勝つ事は先ず無理である。
実際、オーケスはロックスに押されっ放しで、滅ぼされるのは時間の問題であった。
そしていよいよとなった時に、十二分に準備をしていたホープスが、戦争に介入した。
疲弊していたオーケスとロックスを尻目に、快進撃を進めるホープス。
態勢は決した。
その後、漁夫の利を得た事で国力を増したホープスは、サイザーを王太子として、オーケス王国に対しての全権を預けた。
そして遂にサイザーは憧れの君を手に入れたのだった。
尤も、その頃にはサイザーのユーフィニアに対する想いは変わっていた。
嘗ての初恋で、執着していた少女は他者の子供を産み落としていた。
その美しさは変わっていないが、既に他者の物となっていた彼女に対して執着はあれど、愛情は無かった。
やっと手に入れる事が出来たが、大事にするかと言ったら、そうでもない。
現代風に言うなれば、以前買う事が出来なかったゲームを、中古で手に入れた……そんな程度の認識だ。
ユーフィニアは嘗ての初恋の少年が自分を迎えてくれた事に、嬉しさを感じたが、現実はそうでもなかった事に、酷く落胆する。
気が向いたら相手をする……興が乗らなければドタキャンはするし、愛を確かめ合うと言うよりはただの性欲処理係に近い扱いだった。
当然であるが、寵姫扱いの彼女は、サイザーと子を成すことは出来ない。
仮に出来た所で、王位継承権は与えられない。
運が良ければ、何処かの貴族との政略結婚の駒にはなれる程度だろう。
ユーフィニアの周りには、昔からの世話係は誰も居ない。
彼女は一人でホープスに来る事になっていた。
世話係は全てホープスの人間だ。
誰も彼女を敬わない。
元公爵令嬢であった彼女を、所詮は属国の寵姫としてしか見ていない。
孤独の中でいつ捨てられてもおかしく無い状況に、彼女はあった。
ユーフィニアは思う。
あの時、ヴァーリオを捨てなければ、自分は王妃として輝かし未来を歩めたのではないかと。
何れは恋心を思い出に変え、王と成ったヴァーリオを支え、彼と立派な家族を築けたのではないか……そんな風にずっと、在り得たかも知れない未来を妄想していた。
「あれから、どのくらいの月日が経ったのでしょう……」
ユーフィニアは独り言ちする。
サイザーの寵姫となったものの、気紛れに訪ねて来ては、愛のある行為とは言えない、ただの情事もここ最近は無かった。
それでも、手入れを欠かすことは出来ず、常に準備を怠ることの無い毎日だ。
意味も無く延々と着飾る日々に、ユーフィニアは辟易していた。
何かをする訳でも無い退屈な日々。
籠の中の鳥でももう少し自由はあるのだが、彼女にはそれは無かった。
その上、世話係の質も態度も決して良い物では無かった。
サイザーが来ても良い様に、それなりに着飾ってはくれるが、それ以外では扱いは雑だ。
その目には貴族に対する敬意の欠片も無く、それこそ下に見ている節がある。
実際、ホープスの侍女達にとって、ユーフィニアは娼婦と変わらない。
自国の貴族令嬢である寵姫ならまだしも、他国のそれも実質属国扱いの元公爵令嬢に払う敬意など皆無である。
「あーあ、折角王宮付きのメイドになったのに、何であんな娼婦なんかの、お世話なんてしなければならないのよ」
「ほんとねぇ……」
「それにここ最近、サイザー様は全然御渡りにならないでしょ? ホント、無駄よねー」
「もう飽きたのかしらね? でも、下手に手を抜いてしまうのも良く無いものね……」
「ねー? あんなのが相手でも、ちゃんと仕事している私達って、大した物だと思うわ!」
今日も世話係達が好き勝手に言っている。
貴族令嬢であったユーフィニアには噴飯ものの暴言である。
だが、それを叱る事など今の彼女には出来ない。
以前、サイザーに世話係達の事について苦言を呈した事があった。
それについてのサイザーの言葉が、
「そうか、それがどうした?」
だった。
これが、サイザーのユーフィニアに対しての反応だった。
彼からすれば、情事の時にちゃんと着飾っていれば、それで良いという認識である。
かつての憧れの君も、今となっては最低限の手入れさえしていればそれで良い、その程度のレベルにまで落ちていた。
ここでユーフィニアは、自分の立場を思い知らされた。
サイザーにとって自分はもう大切な存在ではなく、ただのコレクター感覚で手に入れた物に過ぎない事に。
ぞんざいに扱って良い代物なのだ。
その事実にかつて無い怒りと悲しみ、寂しさと虚無感を覚える。
彼の中で、幼い頃の初恋の思い出など、とっくに無くなっていたのだ。
こうしてユーフィニアは、公爵令嬢時代からは考えも付かないような屈辱の日々を、黙って耐える事を余儀なくされた。
毎日思う事は、ヴァーリオと結婚していたもしもの世界や、ヴィオールと共に国を盛り立てる、あった筈の未来だ。
ユーフィニアはそうやって妄想の世界に逃げ込む事で、虚無の毎日から目を逸らしていた。
ユーフィニアが寵姫としてサイザーの元に召されてから数年経った。
その間に、サイザーは結婚し子供を儲けていた。
王太子妃が妊娠してからは、そこそこの頻度でユーフィニアの元へ訪れていたサイザーだったが、子供が生まれてからは一度も来ることは無かった。
子供が生まれてからの彼は、随分と落ち着き、穏やかになっていたそうだ。
その結果、民衆からの支持も上がったらしい。
更に第二子の妊娠の発表もあるなど、充実したプライベートを過ごしている様だ。
その陰で、ユーフィニアはすっかり放置であった。
この頃になると、ユーフィニアの精神に変調が見られた。
何もする事が出来ない虚無の日々を妄想によって過ごすが、ふと我に返った瞬間に認識する現実が、彼女を狂わせていった。
単調な日々は、これまで様々な活動をして来た彼女にとって、拷問に近い。
如何に元公爵令嬢とは言え、そんな日が続けばおかしくもなる。
更に周りからも馬鹿にされ見下されるなど、女としても人としても屈辱に塗れているのだ。
ある日、遂に彼女のおかしな挙動が表に現れた。
今までは表面上は真面であったのだが、それが出てしまったのである。
世話係からの報告を受け、サイザーは久しぶりに彼女の前に立った。
「ッ……!」
絶句する、彼女の変わり果てた姿に。
焦点の合わない目、口は半開きで涎を垂れ流している。
虚空に向かってブツブツと話し掛けている姿は異様であった。
彼の中にある、寵姫として召し上げられても凛とした佇まいであった、ユーフィニアとは思えない有様だった。
考えてみれば、彼女に会うのはどれくらいぶりだったか、新しい家族や政務に明け暮れ、彼女の事に見向きもしなかった。
そのツケが、今になって出て来た。
その後、医者に彼女を見て貰ったのだが、状況は芳しくない。
精神に異常を来した原因を調べてみれば、完全にサイザーの自業自得である。
せめて、もう少し彼女の事を気に掛けるなり、世話係の変更や何かしらの仕事を与えていれば、良かったのだろうが、もう遅い。
恋焦がれ、執着し、手に入れてからは扱いが雑になるなど、サイザーが大分やらかした結果がこれである。
仮にも初恋で、ずっと執着していた女性を、自分の所為で壊してしまった。
この事について、サイザーは心の底から後悔した。
何だかんだで、サイザーはユーフィニアが手元にある事に安心していた。
ユーフィニアに対して、愛情も興味も失せた様でいて、その実いるだけで安心感を得ていたのだ。
それが無くなった。
人間、失って初めて気が付くと言う物がある。
大抵それは手遅れなので、もうどうしようもない。
だからこそ、激しく後悔するのだ。
世間では、ユーフィニアが勝手におかしくなったという認識だが、サイザーはそう思わない。
王太子として、いい加減に気に病むのは止めろと心が警告を出すが、彼の中のかつての純粋な思いが、それを否とする。
今回の件は、彼にとって心に大きなしこりを残す事になった。
こうして、それまで碌に見向きもしていなかったユーフィニアを、サイザーは何かと気に掛けるようになった。
世話係も一流の者達を揃え、王宮付きの医者を付け、自身も甲斐甲斐しく面倒を見ていた。
そんなサイザーに対して、不満を持つ者が現れた。
現王太子妃である。
彼女からすれば、自分やその子よりもユーフィニアに対して情を抱く夫の姿は噴飯ものであった。
寵姫なり愛人を持つこと自体は、貴族としてある程度は容認出来る。
大した権力も持てず、所詮は情欲を発散する為の存在に過ぎないからだ。
ユーフィニアの場合は、実質属国扱いのオーケス王国に対して、立場を明確にする為の駒と考えれば、そう腹も立たない。
実際、それまではそういう扱いだった。
それが、彼女がおかしくなった時から、気に掛けるようになるとは何事かと思った。
何故、壊れた女にそこまで入れ込むのか?
後継ぎを産み、更にもう一人を懐妊した自分よりも、壊れた寵姫を思うサイザーに対して、王太子妃は不信感を持つ。
彼女とて将来の国母となる女性だ、普段ならそこまでの不満は抱かない。
ただ、時期が悪かった。
妊娠し、肉体的にも精神的にも不安定な時期に起きたのが問題であった。
その後、王太子妃は無事に第二子を産むのだが、それ以降は徐々にサイザーとの仲が険悪になって行く。
ありがとうございました。
評価を頂けると嬉しいです。
また、感想や誤字脱字報告もして頂けると嬉しいです。