短編 ピン留め
小学生の頃に妹が遊んでいたゲームをふと思い出す。
家庭の事情で夏休みの間だけ親戚の家に預けられた少年が主人公で『夏休み』を疑似体験するというゲームだ。田舎の風景と少し切ないサブストーリー、それと、蝉の鳴き声。
都会のビルの中でも蝉の鳴き声が聞こえてくる。もしかしたら窓のすぐ近くに停まっているのかもしれない。
夏を象徴するような、サイレンのような音の響き。
匂いと同じ様に、音も記憶に紐付くのなら……いつか、目の前で蝉よりも喧しく騒いでいる女の事も思い出すのだろうか。
「だから、わたしちゃんは悪くないの。そこのさ、スマホポチポチしている男子が総合的に見れば悪いの! そうでしょ? 普段は真面目に仕事して後輩の面倒見て配信活動に勤しんでいるわたしを惑わせるんだよ? なんか抑えが効かなくなっちゃう謎のフェロモンみたいなの出してるに違いないの。こないだやってた義妹のゲリラ配信ヤバかったもん! わたしの推し輝きすぎってなっちゃって大変だったんだから! で、専用スレみたらわたしちゃんのモノとも知らず騒いでる人たちいてピキっちゃって、つい所有権を示しそうになっちゃっただけで。だから、こんな暑い日にわざわざ事務所に集まってこの茉莉花ちゃんをお説教だなんて見当違いといっても過言じゃないよ。はーあ、寄ってたかってこの美少女を詰問するだなんて時代に合ってないよ。なんですか、自分の彼氏のSNSのアカウント乗っ取ったらダメなんですか? そのSNSのアカウントで彼女を褒めまくったらダメですか。アカウント切り替えミスで誤爆したり彼氏の夢女に対してマウント取ったらダメですか?」
全部駄目だろ。
――もうすぐ七月も終わる。
外に出るだけで倒れそうな暑さの日。僕はペイントパレットとか言う禄でもない事務所の会議室で『不正アクセスをした疑惑のあるタレント』の処遇を巡る話し合いに参加していた。
部屋の中には僕を含めて三人。
マリリと僕とマリリのマネージャーの吉野さん。
このメンツの時点でなぁなぁで済ませる気満々なのが伝わって来る。目に余るマリリの暴挙が原因でこの『話し合い』が行われているはずなのだが『ごめんなさい』を言えないマリリちゃんのお陰で話し合いは進む気配が無く……。
というかこういうのって普通『タレントが不正アクセスされる』のであって、なにタレント自身が不正アクセスしてるんだよ。この二人、もはや僕に何しても許されると思ってないか。
いっそ法廷バトル申し込んで度肝抜いてやろうかな。
「ま、綾野くん、本人もご覧の通り反省しているみたいだから今回は水に流して頂ければなということで。あとはどうやって事態を鎮静化するかなんだけど。なにか良い案ないかな」
昨今、何が原因で炎上に繋がるかわからない。今はマリリの奇行を面白がっている人たちもどう転がるか解らない以上、マネージャーとしてはどうにか穏便に済ませたいのだろう。
僕としてはアカウントを掠め取られたことはさほど気にしていないものの、マリリが素直にゴメンねするまでは協力する義理も無いので。
「……あ、やっとピックアップ出た」
テーブルの上に置いたスマートフォンをタップして生徒を募集しつつ、二人の声を聞き流していた。
「あやのん、他の女見るのやめてくれる?」
「綾野くん、そろそろ口を効いていただけないでしょうか。ほんとに申し訳ないと思ってるんだよ? 身内といっても過言ではない綾野君以外にやってたらと思うと冷や汗止まらな」
「いや、あやのんだからヤるんだけど」
「ね、本人ももうしないって言ってるし、マリリ被害者の会の会員同士助け合いしてくれたら嬉しいなぁって……。具体的に言うと夏は色々とイベント控えてるから何かあったら困るというか。不安の芽は今のうちに摘んでおきたいなと」
どうしよう。夏の100連無料のガチャを引き終えてしまった。真野先輩に誘われてはじめた『レッドメモリー』というスマホゲー。程よい盆栽ゲーで気軽にやれる上にシナリオもキャラクターも良くて僕にしてはハマっているのだけれど。どうせ課金するなら今度行く事になっているワンダフル・カーニバルで実物のガレージキット買う方が良い気がするし。
「……二人とも」
「なーに?」
「どうしたの?」
「この戦車乗りの子、あと四人欲しい」
・・・
額に汗をにじませる二人がようやく安堵したかのように椅子に座る。
「これ経費じゃ落ちないからさ。自分の不始末なんだからここはマリリが全額払ってよ」
「なんでよ。というか直接あやのんに課金するなら良いけどこれはちょっと間接的すぎない? 誕生日プレゼントにギフトカード送るよりも虚しいというか。なにが悲しくてわたしのお金で他の女を強化してプレゼントしないといけないの」
「キミが暴走したから」
「だからその理屈はおかしいって。わたしちゃんがそういう状況になるのはこのきゃわいいきゃわいい礼きゅんが原因で自分でもどうしようも無いって話をさっきからしてるんじゃん。わたしは悪くありません。愛、愛ゆえによ。既婚者の吉野が愛を否定するんですか?」
「既婚者の立場から言わせてもらうならキミのは愛というより執ちゃ――」
「黙りなさい」
計十枚の課金用カードをコンビニで買い足した二人は僕のスマートフォンを眺めながらブツブツと言い争っている。仕方ない、ここは僕が仲裁してやろう。
「二人とも何度もコンビニに走って行ってくれてありがと。おかげで神聖属性が強くなりました」
「はいはい、それはよござんした」
「それに、ふふ。覚悟決めて一気に課金した方がお得なのに「これで当たるから」って汗かきながら何度もコンビニまでカード買いに行く姿はガチャよりも見応えあったよ。大人ってお金だけじゃなくてユーモアもあるんだね」
そう感謝を伝えると二人は口角をピクッと動かし、大人として発散できない苛立ちを飲み込んだ虚しい笑顔を僕に向けた。ふふ、愉快だ。
「じゃ、これ真野先輩に見せびらかしてくるから帰るね」
荷物をまとめて帰る準備をすると、両側から無言でがしりと肩を掴まれた。
「…………冗談だよ」
仕方なくスマートフォンの連絡帳を開き、妹が所属する事務所ラインオーバーのマネージャーをタップ。
これで許可が下りれば、今回の事はそういう『プロレス』だったと受け取ってもらえる可能性もある。
そうして。
五分ほどで連絡は終わり、二人が交代でコンビニにダッシュしている最中に考えていた案を実行に移す。
とはいえ、そう大したことではないのだけれども。
「マリリのスマホ貸して?」
「いいけど、へんなことしないでよー?」
誰が言ってんだ。
液晶画面にヒビを入れるつもりでマリリのスマートフォンを受け取るが。
「ふふ、残念。画面に塗るタイプのコーティングしてるから丈夫なのだった」
あわよくばへし折りたかったが筋力が足らなかったか。
「それであやのん、どういう感じにするの?」
「不幸中の幸いというか。丁度良いイベントあるから、その宣伝に紐づければ良いかなと」
七月の最終日。個人的にそれなりにめでたい日がある。
文章を入力して二人に見せると。
「あー。普段のわたしちゃんがやりそうな感じではある」
「これならちょっとやり過ぎたサプライズの範囲でオチがつくかな?」
悪くは無さそうな反応が返ってきた。
『くくく、エリオットが愛するお兄さんのアカウントはマリリが貰っちゃたもんね! 次は、本人を攫いに行っちゃうぞ! みんなもその瞬間、見逃さないでよねっ! 今から突入だっ→→』
現時点で妹の誕生日配信にマリリが登場するのは告知されていないのだが。
当日、程よいタイミングでこんな感じの事をSNSで投稿すればエリオット・リオネットの誕生日配信を見に行く人は少しは増えるだろう。
そのついでに、マリリの火種が消えるのであれば。
それはそれで悪いことではない。
――僅かに聞こえる掻き消えそうな蝉の鳴き声を、頭の片隅に留める。
三章エピローグのおまけみたいな話でした




