プロローグ/ディスカラレーション
雪。
枯れた木々。
生も死も静止した白い景色。不思議と寒さは無かったけれど――。
お腹が減った。
ぐぅと鳴るお腹をさすり、足を進める。きゅ、きゅ、と無垢の雪を踏むと一瞬足元が光った気がしたけれど。
ぐぅと鳴るお腹の方が気がかりだった。
いったいどれほど歩いたのだろう。これからどれほど歩くのだろう。
……クスクスと笑い声が聞こえた気がした。
……トントンと肩を叩かれた気がした。
何かに導かれるように歩き続けると、実の生った枯れ木を見つけた。
七色に淡く輝く果実に目が奪われる。
よもつ……なんだっけ。図書館で読んだ本に書かれていた文字を思い出そうとしたけれど。
ぐぅと鳴るお腹に掻き消され、ごくりと唾を飲み込む。
ああ、おいしそう――。
・・・
――集中が途切れて、環境音が耳に入り始める。
パソコンで流しっぱなしにしていラジオのタイムフリー。部屋の外ではお母さんのパタパタとした足音とガラッと開けられた窓の音。洗濯物を干しているんだろう――と思っていると。
「ゆーちゃーん、あとお願いー」
壁越しに急いだ様子のお母さんの声が聞こえて「了解っす」と小さく返事をする。
もう朝かぁ。
「ふぁあ」
液晶タブレットにペンを走らせてタップ、左右反転させて細部をチェック。
んー悪くない。むしろ良い。
テレビアニメ『現世直通大魔法少女』十二話が衝撃的過ぎてつい描き始めること七時間、我ながら上々の出来栄えじゃん。触手にあちこちベタベタにされたミミちゃんのエッチな表情がたまらんぞおい。
「はい完成っ、推しのイラストは進むわー。わぁーわぁ……はぁ」
また時間を無駄にしてしまった。
我が麗しのお姫様の記念イラスト提出期限まであと僅か。
「ま、まあ大丈夫っしょ」
ファイルを切り替えて描き途中のイラストを表示。雪景色みたいに真っ白だ。進捗ゼロ。カラコンを取り外して目元をマッサージして改めて見ても真っ白。
「……これはダメかもわからんね」
ほんと。趣味のイラストなら直ぐに描けるのに。
こういう時、他のイラストレータ―さんはどうやってモチベーションを回復させるんだろ。若輩者にはわかりませんよ。
あのお姫様に会えば。
あの恐ろしいほど華やかな瞳と目を合わせればもしかしたら――。
いや。ちょっと難易度高いっすねぇ。創作意欲よりも諦めが浮かびそう。
この世に、あの子以上の美少女なんていない。
それはとても残酷なことでして。
特に『ママ』であるわたし、日村柚乃からするとそれはもう残酷でして。アレ以上を描けるのかだなんてもう無理無理。
「あ。そっか。これがスランプなんだ。うわぁ、これですかぁ、はじめましてーっ」
スィッターランドとピクシーズにイラストを投稿するようになってはや数年。あれこれチヤホヤされてバーチャルアイドルの『ママ』になってしまったのが運の尽き。
わたしのペンでは届かない美の化身と鉢合わせてしまった。今まではどうにかこうにか絞り出すようにイラストを納品して来たけれどもやはこれまで。
最近は趣味の深夜徘徊……不思議探しも出来て無いし学校もダルいし。
私の中のエリオット像が――のせいで掴めないし。
色々と浅いなぁ、わたし。
「ママは空っぽになっちゃたよーエリちゃぁん」
エリちゃぁーん。ちゃーん、ちゃーん……。
・・・
「レー、見て。夏の心霊現象祭りだよー。一緒に見よ?」
金色の瞳が青色に変わる。
スマートフォンの中には不思議な生き物がいた。雪景色も相まって荘厳だ。
普段より狭いベッドの上で寝返りをうつ。
「なんでそっち向くの。こっちみて」
時刻は二十三時過ぎ。普段であればそろそろ眠くなってくる時間だけれど、今日は文字通り朝から晩まで寝ていたからか眠気が襲ってこない。
「まずは海外の最新映像だって。あ、たぶんね、このスポットは出る気がする。エリの直感がそう言ってる」
スマートフォンをタップして別の画像を表示すると、合成を疑うほどに巨大な生物ヘラジカが現れる。最近SNSで見かけてから僕はすっかりこの巨大生物に夢中だ。何回見てもデカすぎる。こんな生き物が現代に生きているのであれば北欧神話の狼だとか出雲神話の蛇だとかの存在も大きさだけは本物だったのではないかと思うほどだ。
「うわっびっくりした。急に出てくるとびっくりする。今の本物かな」
なぜか僕の隣に寝転ぶ妹は大きめのタブレットを両手で持ち、ネット配信の心霊番組を再生。B級オカルト映像を僕に見せようとしてくる。
「エリは海外の妖精? みたいなの信じてないけど。リアリティがないっていうか……ねえ聞いてる?」
雨に打たれ体調を崩し期末試験を休んでしまった上に妹がいつにも増してベタベタとしてくる現状、憂鬱だ。ベッドから蹴り落としてやろうかな。
「レーも一緒に見よ? なんでエリが誘ってるのに見ないの。ねー」
「エリちゃん、最近ベタベタしすぎ」
仕方なくスマートフォンから顔を上げ妹に目を向ければ、そこには心霊番組の一歩先行く不可思議な色をした瞳があった。
この見た目だけは優れた生き物の名はエリーゼ。通称エリちゃん。不可思議な髪色とガラス細工のような煌びやかな虹彩を持つ――便宜的には恐らく哺乳類の我が妹。 実際は妖精、もしくは未確認生命体と呼んだ方が適当かも知れない。よしエリちゃん、キミは今日から未確認生命体2号だ。
「怖いんでしょー。ふふ、ねー、怖いんでしょー」
しかしまあこの妹。人間離れした非常に恵まれた容姿をしているものの、今はせっせと兄への嫌がらせに興じているのがなんとも残念でならない。
「あ。またヘラジカ見てる。でっか」
僕のスマートフォンを覗き込む妹に抵抗する体力もなく枕に頭を沈めると、妹も僕に倣って枕にボスンと頭を沈めて至近距離でじっと僕を見つめた。
「ふふ」
機嫌の良さそうな妹。この距離感は昔同じ布団で寝ていたころを思い出す。
「レーは、幽霊っているとおもう?」
「いないよ」
「なんで」
幽霊。現世への思い残しだとか怨念だとかの残留思念。であれば。
「いるならどうして……」
言い淀むと、妹は不思議そうな顔を浮かべる。
「レー?」
「なんでもない。ま、わざわざいるかどうか証明する必要がないとは思うよ。急に出てくるとビックリするし。いるに、間違えた、いないに越したことはない」
「やっぱり怖いんだー、でも、それならエリが守ってあげるからね」
妹はニヤリと微笑むとグッと僕にくっ付いて来た。
「エリちゃん……」
僕もそんな妹をぐっと抱きしめ――そのままグルリと一回転。邪魔者をベッドから落とす。
「ぐえっ」
「さっさと巣に戻れ」
「やだー、もっと遊びたいー」
ベッドの下から妹の声が聞こえてくる。
まったく、幽霊なんてバカバカしい。オカルトなんて、我が家の妖精だけで十分だ。
あー、ほんと幽霊って怖い怖い。絶対出ないでくれー。
現れない幽霊編、完結まで毎日投稿します、よろしくお願いします




