キリエの休日
秋めいてきたからか太陽が沈むのが早くなった気がする。
腕時計を見れば時刻は午後の六時。明日から連休とはいえ学校であれこれお悩みを聞いていたら遅くなってしまった。
廃教会だとかホラーゲームのステージだとか陰気な女が住み着いているだとか散々な言われようの我が家に帰宅し、礼拝堂にズラリと並んだ長椅子に腰掛ける。
「ただいま、ロボットさん」
一人で管理するにはいささか広い礼拝堂を徘徊するロボット掃除機に声を掛けるも清掃業に忙しいらしく私には見向きもしない。近所に住む悪魔ことキリエが「忘年会で貰ったんだけど使ってないからあげるー」と持ってきたものなのだが、これが随分と便利なものでありがたく使わせてもらっている。もう少しロボット掃除機に関するエピソードが溜まったら『雑談枠』で話すのも良いかもしれない。
そんなことを考えながら何となくロボットさんの行方を目で追っていると……。
「あの、何してるんですか」
ご、ご、とロボットさんが何者かの足にぶつかって立ち止まっている。一瞬不審者かと思ってヒヤッとしたものの、すぐに見知った不審者だと気づき胸を撫で下ろす。
人の家に勝手に侵入していた不審者はエナメル生地のショートブーツを履いていて、大きめのパーカーを着ていて……。私はため息と共に立ち上がり長椅子と長椅子の間に寝転んでいる不審……霧江茉莉花に近づいた。
「キリエ……。あなたに合鍵を渡しはしましたけど、来るなら来るで一言くらいあっても良いかと思うんですけど」
「そんなこと言わないでよー。わたしとアンジェちゃんの仲じゃん」
「そこまで深い仲じゃありません」
「えー?」
キリエは床に寝ころんだままボケッとした表情を向けてくる。もしかしたらしばらく眠っていたのかもしれない。
出来ることならば私はこの大恩人ともいえる人間に対して敬意をもって接したいのだが、当の本人がこんな感じなので私の態度もなんともいえない……やや生意気な後輩みたいになってしまう。
「ほら、そんなところに寝転んでいたら汚れちゃいますから」
「立たせてー?」
妙に触り心地の良い腕を伸ばされ、仕方なく引き起こして長椅子に座らせる。
妙に眠そうなのは恐らく深夜まで配信していてその後も打ち合わせやら作業やらをしていたからだろう。典型的なワーカーホリック、きっとこういう人が独り身のままちょっと広いマンション買ってペット飼いだすんだろうな。
「なーに? わたしちゃんの美貌に見惚れちゃった?」
ま、自分で言うだけあってこの人、相も変わらず綺麗な顔をしている。人種の違いもあるからか、この綺麗な黒髪には憧れる。きっと高いトリートメントを使っているに違いない。
「はいはい、キリエは可愛いですよ」
雑におだてるとキリエは何とも言えない表情で遠くを眺める。
「正直なとこね、わたしも自分の見た目はけっこう良いと思って生きてきたのよ。それこそ子供のころからずっと可愛い可愛いって褒められてきたし、世の中の男共から視線を向けられることも当然のものとして過ごしてたの。つまりね、わたしは選ぶ側の人間であってそのうち良さげな男の子が現れたらサッとさらって既成事実ね、と思っていたの」
はじまったよ。えーと、こうなった時の社内マニュアルは、と。
キリエの長台詞を聞きながらスマートフォンを取り出し、ちゃらんぽらんにメッセージを送る。茉莉花ちゃん係の役目を果たしてもらわないと。
……ついでに。うちに来るのならそれはそれで構わないし。
「しかーし、現実はなんと過酷なのだろう。薄幸の美少女霧江茉莉花の前に現れたのは美少女にまるで興味を示さない坊っちゃんなのだった!」
「興味ねぇ」
ほとんど聞き流していた台詞だが、ちょっとひっかかる。
「異議あり?」
「異議というかなんというか」
キリエの隣に座り、綾野礼という人間の顔を思い浮かべる。
「単にあの人の中でキリエが美少女判定されてないのでは?」
「いや。いやいやそれはないって。だってわたしちゃんだぜ?」
見習いたい、この自己肯定感。
「ほら、礼さんって基本的に自分の価値観じゃなくて世間一般の常識だったりの、その、一般論に身を委ねて生きてるとこあるじゃないですか」
そんないまいち要領を得ない私の言葉を受けてキリエは一度目を閉じ、すぐに頷いた。
「……ああ、そういうことね。礼きゅんには判断基準が二つあって、基本的に一般常識で世の中眺めてるけど心の奥底の本人の価値基準は別にあるってことだ。つまり! うちの子は『ああ、マリリ可愛いよね』と表面的には思っていても心の奥底だと『ま、僕の初期装備の妹以下の顔だけど笑』って思ってるってことだっ!」
相変わらず頭の回転が速い。というか、そこまでは言っていない。
「ま、それで良いです。そうじゃないとキリエはともかく本物薄幸美少女の私を前にして『お、陰気な女じゃん。曇天の下で育つとみんなそうなるの?』とか言ってきませんから」
「どういう会話してたらそうなるの」
「つまり、考えるだけ無駄なんですよ」
特にあなたは、ね。
「やれやれ。まさに環境が生んだモンスター。やっぱり拉致監禁するのが手っ取り早そうだ」
キリエはわざとらしく肩をすくめる。
やれやれなのはあんただ。
礼拝堂において罪を告白する者はいても犯行予告をする者はお目にかかれない。悔い改めて欲しい。
「キリエ……やるならせめて一年後にしてください」
「一年後って。礼きゅんが未成年だから?」
「……うわ。なんで一瞬でわかるんですか」
そう言うとキリエは心外だと言わんばかりの顔を向けてきて。
「アンジェちゃんそれはひどいよ。今のはクイズに答えただけじゃん」
などと口を尖らす。罪の意識が薄いらしい。まるで私が可笑しいかのような物言いだ。
「いいですかキリエ、答えに辿り着くのが正解とは限らないんです」
「深っ。場所も相まってわたしが失言したみたいな気になってきた」
「失言どころか確固たる意志を持って拉致監禁って言ってましたよ」
「ええー? 嘘だぁー」
ああ、この人と礼さんが何だかんだと仲が良い理由が分かる。
冗談の趣味嗜好が同じだ。
だから、両方好きなんだろうな……。…………。ほんとうに冗談ですよね?
・・・
「あれー。もしかしてアンジェちゃんダイエットでもしてる?」
「そういうキリエこそ差し入れにしてはヘルシーじゃないですか」
場所は変わって客間。
普段は英会話レッスンに使ったり私が映画を見ながらご飯を食べるのに使っている部屋で二人並んでソファに座る。
私が茹でた鶏ささ身とキリエが買ってきていた大盛りシーザーサラダというダイエットメニューが今日の夕飯。
「夏がね、少々忙しかったものでストレスでちょいと食べ過ぎ疑惑があるわけ。なのでこの馬肥ゆるでお馴染みの秋は節制しようかなと」
だぼっとしたキリエのパーカーを確かめるように触れると……。
「そう気にする程ではないような、でも筋肉が少ないような。いやこれは——」
「言うてアンジェちゃんも同じような風に見えるけどね」
「……」
ちょっとイジっておこうかなと口を開きかけるとしっかりと釘を刺された。
「いえ、私はべつに。体育の授業で運動したりしてますし。駅から家まで歩いてますし」
「それなのに今日の夕飯はささ身の予定だったんだ。ヘイシスター、正直に言いなよ。告解しよっ?」
キリエと目が合う。意地でも自分の同類を見つけて安心したいらしい。やれやれキリエにも困ったものだ質素倹約を心がける私がそんな暴飲暴食などするわけがない。
ない、のだが。
「……学校の人間関係を円滑にするためにお茶会に参加したところケーキを出されてしまったり、少々ハイカロリーな飲み物を飲みに行ったり。まあ、そんなことがあったような気がしなくもないですけど」
「ところでアンジェちゃん。わたしって太ってる?」
「太っては、ないですね」
「……」
「……」
今のキリエを太っている認定すると私まで太っていることになりかねないので発言は慎重にしなければ。
「…………ま、冗談はさておきほんとこの仕事って運動しなくてさ。駅前の二十四時間ジムとか契約自体はしてるんだけどさ、中々行かないのよ。契約するだけで満足しちゃうっていうか。いうてわたし太ってはないし。体重も大台に乗ってるわけではないし。顔の輪郭だってぜんぜん大丈夫だけどね」
運動ねぇ。職業柄、疎かになるのはわかる。というか実際、学校の授業が無かったら私もキリエのようになりかねない。
「あ、そんなに運動不足が気になるなら礼さんのドラム叩いていったらどうですか。それなりに良い運動になるみたいですよ?」
「ドラム?」
「礼さんはドコドコ叩きすぎてみるみる痩せるものだから歌姫さまに見張られながらご飯三人前くらい食べさせられてましたし、効果はあるみたいです」
「それってセーレンのプレッシャーが原因で痩せたんじゃない? セーレン込みの結果にコミットなんじゃないの」
「その可能性もあります」
「……本気セーレンの熱烈指導受けるくらいならわたしちゃんは大人しく肥えることにするよ」
あ、折れた。
キリエといえども遠慮したいものはあるらしい。
それにしても運動かぁ。
シーザーサラダをムシャムシャと食べるキリエは客観的に見れば問題なしに見えるものの、同じ女なので気持ちは大いにわかる。
「……そういえばテレビで見たんですけど、ご飯って三十回くらい噛んでから食べると良いらしいですよ」
「ふーん」
そんなこんなで、私たちはもくもくと夕飯を食べ終えたのだった。
・・・
人恋しいのか何なのか。
キリエは帰る様子が無いので先にお風呂に入れることにした。どうやら事務所から強制的に連休を貰ったようで時間を持て余しているようだ。色々とお世話になっているので私としては一泊しようが二泊しようが何なら住んでもらっても構わないけど……。
キリエって友達いないのだろうか?
いなそー。
「ん」
ふと礼さんにキリエの相手をするように頼んでいたなと思い出してスマートフォンを見ると私が送ったメッセージに既読はついていたものの返事は無かった。
予想通りで期待以下。そっけない反応はいつも通りにしても返事くらいはしろ。
ほんとこういうとこが……と、さらに不満を重ねようとすると——ポンと礼さんからメッセージが飛んできた。
『ねえ、知ってる? チンアナゴって感情豊かで仲間と喧嘩するんだって』
——実に腹立たしい。
小さく舌打ち。もといキッスをしそうになると。
「アンジェちゃーん、アイス買いに行こ?」
半袖短パン姿のキリエが肩にタオルをかけて現れた。
アイスか。この時間に食べると先ほどまでのダイエットメニューが無意味になる気がするのだけど——。
・・・
「そういえばレイきゅんがやってるゲームでレドメモってのがあるんだけど」
「ああ、たまにやってますね」
夜風が涼しくて気持ち良い。
運動がてら最寄りのコンビニではなく、すこし離れた場所にあるスーパーへと向かう。
普段は夕飯を食べ終えたら外に出ることが無いからちょっと新鮮な気分だ。それにキリエとこんな風に一緒にいることも、新鮮だ。
「で、参考までにどういう女の子好きなのって聞いたら強くてイベントボーナス稼げる生徒って言ってたのよ」
「好きなキャラ言うのが恥ずかしいとかではなくて?」
「もうまっすぐな目で『見てマリリ、この生徒ってバフの時間長いんだよ』って。あのタイプのゲームやってて数値しか見てない人いるんだって驚いたわ」
「礼さん、けっこうチマチマとした作業積み上げてくの好きですからね」
「盆栽ゲーってやつね。わたしちゃんにはまるで向いてないジャンルだわ」
「でしょうね」
相槌をうちつつ、キリエを横目に見る。
明るくて、面倒見が良くて、どこか近寄り難い。
私、こういう雰囲気の人に弱いのかな。……妙に安心する。もし私に家族とか、姉がいたらこんな気持ちになるのかな——なんてことを何故か思ってしまう。
「なーにアンジェちゃん。わたしに聞きたいことでもあるの?」
私の気の無い返事に思うところがあったのかキリエが歩きながら下から覗き込んできた。これだけ察しが良いと逆に息苦しいだろうな。
「キリエって、なんで今の仕事してるんです?」
「……なんで、ねぇ」
前からほんの少し抱いていた疑問にキリエは思案する。
理由を考えているのか、言うかどうかを考えているのか。恐らく後者だろう。
キリエは何歩か歩いて、タタッとキリエが先行して街灯の下に立ち——。
「内緒」
悪戯っぽく微笑んだ。
「可愛こぶっちゃって」
「実際可愛いもーん」
やっぱり、へんな人。
そんなことを思いながら私たちはスーパーに入店すると——。
「ねーえー。このケーキが美味しそうだなって思うんだけど。一緒の食べる?」
「歯磨き粉買いに来ただけだから。というかこの時間からケーキって……増量するよ? あ、ちなみに今のは時代に配慮した言い方ね」
「……オブラート破けてますけど。ぞーりょーなんてしないけど」
「目怖っ。とにかくケーキは無し」
「えー。じゃあゼリーは?」
「駄目」
白い半袖シャツに黒い短パン、全く同じ服を着ている兄妹を発見した。妹の方は帽子を深く被り灰色のマスクをしてなお美少女オーラが隠れておらず……相変わらず仲の良い兄妹だとこ。
そういえばこのスーパーって二人の家から近かったっけ。
兄の方、礼さんは私たちに気付くことなく買い物かごを持って店内を進んでいく。
一方の妹、エリさんは私に気付くとヒラヒラと手を振り、隣のキリエに気が付くと勝ち誇ったような笑みを浮かべこれ見よがしに礼さんの背中に抱き着いて離れていった。
「アイス、どうします?」
口元をひくひくさせているキリエに尋ねると……。
「ケーキも買おっか!」
さすが悪魔、躊躇なく堕落した。ストレスと甘味で和らげるつもりだ。
キリエはエリさんが先ほど手に取っていたケーキをカゴに入れ、更に美味しそうなデザートをポンポンとカゴに入れる。これなら夕飯をしっかり食べた方が良かったじゃないですか……、と呆れるものの。
「そこのプリンも美味しそうですよ」
私も今の光景に思うところはあったのだった。
「良いねー。じゃあそれと、甘いものだけだと飽きるからしょっぱいのも……。あ、そうだ。この前食べたケバブも買って帰ろっ」
たまには。こんな夜更けも悪くない。




