よくある一日
放課後。
とあるJRの駅近くの釣り堀に寄り道し、ビール瓶のケースを裏返しただけの椅子に座る。この場所に来るのは二度目だ。
長方形に仕切られた川の一部には鯉が放流されており、リールの無いシンプルな釣竿で釣りを楽しむ事が出来る。都内ではあまり見かけない水辺と自然の雰囲気、背後を通る電車の通過音が不思議と調和した穏やかな場所だ。
一緒に釣り堀にやってきた同級生の小林と大場はそれぞれ離れた場所に座り、おのおの釣り糸を垂らしている。普通学校の友人と一緒に来たら近くに座って喋りながら釣りを楽しむだろうに……変わり者たちめ。少しは僕の協調性を見習ってほしいものだ。
犬の糞みたいな練り餌を付けた釣り糸をポイと投げて、あくびをする。
「……」
ああ、なんて穏やかな時間なのだろうか。
高校に入ってちょっとしたアクシデントをきっかけに喋るようになった小林と大場。改めて友人なのかと考えると、どうなのだろうかと疑問は残るものの……。ここ数か月で出会った変な人たちと比べると紛れもなく心身ともに健全で気の置けない連中である事は間違いない。
「ふあぁ」
九月の末。文化祭が目前に迫り生徒会役員である小林は小忙しいようで眉間に皺をよせているけれど、僕はかつてないほどにノーストレスだ。ここ半年は毎月のように面倒ごとに巻き込まれ――いや実際のところは自ら興味本位で首を突っ込んでいたのだが。
ともかく。
あれこれあった最近と比べると何も起きない九月は何とも平凡で心が安らぐ。
「……首を突っ込む、か」
そう。僕というやつは自分で首を突っ込んで痛い目をみる習性があるようだ。
近所に住み着いた悪魔を例にとっても――向こうが百おかしいとしても――実は最初に行動を起こしているのは僕なのだ。迂闊にもほどがある。
「お」
釣り糸の先のウキが沈み、竿が水面に引き寄せられる。
クッと力を入れて鯉を吊り上げ、生きた鱗の手触りにヒヤッとしつつ釣り針を鯉の口から取り、リリース。
この吊り上げる感触。面白い。
くく。釣り餌にまんまと引き寄せられて何も気づかず吊り上げられる鯉とは可愛いもの――。
「…………」
ふと、鯉の姿が自分と重なった。
いや僕じゃん。
あれーなんか変な人いるなーちょっと面白そうだから小突いてみよー。で、痛い目を見ている僕そのものじゃん。
「……はぁ」
釣り針に釣り餌を付けるのをやめて、ポイと水面に糸を垂らすと鯉は寄ってこなかった。
そうだ。これからはちょっと小突いたら面白そうな人間がいても、のこのこ近付いて痛い目を見ないようにしなけれ――バシャッ。
元気よく跳ねた鯉の水が僕の顔にかかる。世の中には不可抗力もあるらしい。
・・・
釣り堀で二人と別れ、しばらくの間ぶらぶらと街を歩く。
十月が近づいてきてもまだ暑く感じる気温の中でも、沈みかける太陽を見ると確かに季節が巡ろうとしているのだなと気が付く。
あまりにも多くの普通を見ずに目を伏せて生きていたからか、幾度も目にしたはずの夕日がやけに鮮烈に眩しく瞳に映り――呆れる。
僕は十七にもなってこんなありふれた光景を新鮮なものとして感じているのだ。
大気の向こうでゆらめく太陽は、美しかった。
「……」
そんな夕焼けの下に、一人の影が伸びていた。
未だ暑いのにマントを羽織る王子様みたいな恰好の、どこかで見覚えのある男の子。
周囲を緊張させるほどにひどく整った愛らしい顔立ちはどこぞの妖精ちゃんを彷彿とさせる。
「やあ、元気?」
少年なのか少女なのか判断のつかない声色と髪の長さ。夕焼けに飲まれた髪色は少なくとも黒色ではなく煌びやかに光を孕んでいる。色素の薄い瞳は友好的で、親戚の子を見るかのように柔らかだ。
「ながいこときみを見守っていたけど、ようやく本調子みたいだ」
再び声をかけられる。
聞き間違えでもなく明確に――僕に向けての言葉だ。
夕日を眺め感傷的だった気持ちがざわざわと揺れる。ああ、本当に――。
何人見守ってんだよ!
とりあえず心の中で叫んでおく。
妹にマリリに見守られすぎだろ僕、もはや感心するよ。なーんでこんなに変なのを引き寄せちゃうかな。もう手一杯どころか床に散らばってるレベルで変なのに囲まれて生活しているというのに、散歩してるだけでご新規の変人とぶつかってしまうのかよ。
ふと釣り堀の鯉を思い出す。あの鯉は釣り糸を垂らすというアクションの結果寄ってくるけれど……こっちの変なのは僕が何もしなくとも寄ってくるんかい!
「王子さま、お話する前にちょっとオーディエンス、いやテレフォンしてもいいかな」
「ふふ。ご自由にどうぞ」
許可を取った上でスマートフォンを取り出し柚乃さんに電話をかけ、五回ほどコール音が鳴り――。
「もしもし柚乃さん、妹みたいなのが目の前に現れたんだけど!」
『うわ。急に叫んでるし』
「僕としては本物なら面倒だし走って逃げるつもりなんだけど一応迷子の可能性もあるから確認したいんだけど」
『……あぁ。そういう。いやぁ、私が言うのもなんだけど。毎日楽しそうっすね』
「楽しくないよ。で、どっちだと思う?」
『さあ……。んじゃ、私これからエリさんと洞窟の探索なんで失礼するっす』
ぷつ、と通話が切れる。
おいおい、そりゃないよ。
「お話は終わった?」
「……。え、ああ、そうなの? ごめん、忘れてた。そっかじゃあ僕もこれから合流す――」
「ツー、ツー、って音鳴ってるよ?」
「めざといな」
小芝居を諦めてスマートフォンをポケットにしまい王子さまに近づき、腰を曲げて視線を合わせる。顔立ちは僕の美的感覚の標準ラインといったところ。改めて王子さまの顔を見れば妹の顔に近いものを強く感じる。
「んで、王子さま。僕になにか用?」
「用件がないと話しかけちゃ駄目なのかい?」
「雑談なら付き合うよ。ちょうど散歩中だった、し……」
しまった。付き合うとか言っちゃったよ。
綾野礼、まるで成長していない。
「お散歩か、いいね」
ひんやりとした小さな手が僕の手を掴む。
やれやれやれ。仕方ない。近くの駅まで送っていくとするか。
他愛のない話をしながら、王子さまを連れて歩く。そもそも王子さまが電車移動なのかは疑問だけれどいざとなれば交番に迷子として押しつけ……お任せすればいいか。
「実はボクが前に住んでいた国は滅亡してね。こっちの世界に来たんだ」
「わお」
「実はボクは最後の妖精王でね」
「やっば」
「実はボクの同類がきみに迷惑をかけるんじゃないかって」
「ほう」
「実はボクらって――」
「それな」
「……」
僕と一人称の被る王子さまの与太話に頷きつつ、小さな手の感触を確かめる。妹もこのくらいのサイズで成長が止まっていれば可愛げがあったというのに今や大型犬サイズ。
もしあの頃のまま成長が止まっていればもう少し――。
「見て、礼。この蛹。そろそろ羽化しそうだ」
通りすがりの公園を囲む背の低い植木、そこにポツンと揺れていた蛹を王子さまが指さす。種類のわからない蛹は、たしかに今にも羽化しそうに見えた。
「王子さま。蝶々、好きなの?」
「似てるからね」
罠発見。
ここで『何に似てるの?』と聞くと雑談の枠を超えたあれこれを聞かされる流れが隠されていると見た。妹に似てる子供なんて禄でもないと相場が決まっているのだ。
「何に似ているかというと、ボクらの生態かな。栄養をたっぷり蓄えて――羽化する」
ま、自分から喋り出す場合もある。
こういう時はだっこして強引にこの話を切り上げる必要がある。妹の場合はこれでどうにかなるのだが――。
「うわっ、礼。驚くじゃないか。あははっ」
……喜んでる。
残念ながらこの反応。本当に残念ながら妹とそっくりだ。
本当にご同類なのであれば性質が悪い。うちのおバカちゃんは人心を惑わす類の可愛い妹なのでそんなのが沢山居るとなると世間様に迷惑がかかる。
と、ここまで考えてようやく疑問が芽生える。
……この王子さま、なんで僕の前に現れたんだ?
名探偵であればこれまでの情報から何か閃くのだろうけれど、いかんせん僕は雰囲気でしか会話の内容を憶えていないので王子さまの意図がまるで見えてこない。
そもそも興味ない相手との謎解きゲームって面倒なんだよなぁ。
「礼。なにか気になる? ボクは聞かれたことには答えるつもりだよ? でも、聞かないなら教えてあげなーい」
「僕は言いたいことがあるなら聞くつもりだけど自分から言わないなら聞かない」
「……性格わる」
「そういう信条なんだ」
「じゃあボクもそういう信条にする」
初対面のはずだが無邪気に人を試すようなこの感じ、既視感しかない。
抱きかかえていた王子様を一度地面に下ろし、その股の下に頭を入れてグッと立ち上がる。
「わはっ、たかーい」
どうしたものかな。
肩車した王子さまを見上げると楽し気な目を向けられる。
どうやら僕はこの顔に弱いらしい。話を自分から聞き出す気にはならないものの、楽しそうにされる分には悪くない。
結局。
両者信条を譲らないまま解散となった。はたしてあの王子さまは何者だったのか、真相は闇の中だ。
・・・
「適当すぎーっ!」
すっかり日の暮れた帰り道。
偶然を装い背後から声をかけてきた仕事帰りのマリリに今日あった事を話したところ、この一言を頂いた。
「普通さ、深堀りするでしょ。なんでそのまま別れちゃうかな。話聞いたわたしの方が気になっちゃうよ。いったい何者なのよその王子さまは。ショタなの、ロリなの」
「子供の性別なんてどっちでもいいよ。それに、今更変なのが一人二人増えたくらいで騒いでたらやってらんないし。ね?」
「まるでわたしが同類の不審人物かのような視線を向けないでくれるか。な?」
それはギャグで言っているのか?
「というかほんと気を付けた方がいいよ? 一方的に名前知ってるとか、居場所知ってるとか。そういうのって放っておいたらつけ上がるんだから。いつか寛容と無関心のツケを払うことになるかも」
「今も惰性で不利益を被り続けてるよ」
「でも、わたしちゃんは有用でしょ?」
マリリは自分の能力に価値があると思っているらしい。
不審者の言い分につい口角が上がる。
仮にこの悪魔がポンコツだったとしても僕が無関心を抱く事は無いだろうに。
「なーんでニヤってしてんの」
「最近のマリリって僕に詳しくなくなったなって」
そう言うとギク、とした様子でマリリが分かりやすく狼狽する。
「ぬっ。ち、違うから。ちゃんと知ってるから。服のブランドも使ってるシャンプーも歯磨き粉も知ってるし。今日だってほら、そのリュックにしかけたナップルエアータグ使ってどこにいたのか把握してたし!」
「自白始まったな……」
背負っていたリュックを探るも中にはそれらしきものは見当たらない。
「ふふ、どーこだ」
「ふふ、どーこだ。じゃないんだよ。捕まれ」
「せっかくだしゲームしようよ」
「ゲーム?」
「そ、謎解きゲーム」
マリリは僕のリュックを奪うと両手で抱きかかえる。
「リュックを手探りで確かめるのは禁止。わたしちゃんの思考を読んで一発でタグの場所を見つけるの。どう?」
「僕に探させるな。自分で取り出せ」
「もし一発で成功したら、そうだ。シフト2あげる」
「え」
「配信者としては一つ欲しいなって思って色々なサイトで申し込んでたんだけど。なんと二つ当たったんだよねー」
マリリのVサインが非常に腹立たしい。だが。
「それは……マリカセットなのでしょうか」
「さーてね。んで、どうする?」
「僕はともかく妹が欲しがってるからなー。僕はともかくね」
悪魔の提案に乗り宝探しゲームに興じる事にする。
謎解き宝探しゲーム、面白そうじゃないか。
「ところで僕が当てられなかったらどうする?」
「んー?」
僕の一言が意外だったのかマリリは小首をかしげる。
「マリリの軽犯罪は事務所の方に糾弾するとして、このゲームは僕に有利過ぎるからマリリも条件出していいよ」
「なるほど律儀だ。じゃあぴったり釣り合いとれるような条件にしないと。とはいえ、ここで普段通りの欲求を発露してもつまらない女だと思われるから……。うん、決めた。わたしの親に会って?」
「親? べつに良いけど。会う理由は僕が負けた時に聞くよ」
「……いや理由なんて一つだろ」
条件が出揃ったところで推測、推理を始める。
ま、推理といってもリュックという有限のスペースにタグを隠せる場所は限られている。そうだな……せいぜい六択ほどだ。
一番大きな、普段参考書を入れる場所。
ノートパソコン等を入れられるリュック内収納。
ティッシュや小物を入れる小さなポケット。
背中のあたりにある財布だったりをしまえる便利なポケット。
リュックの左右にあるペットボトルや水筒を入れられる開きっぱなしのポケット。
「さてどこでしょう」
「消去法で考えるなら、さっき探った一番大きな場所と僕が普段財布を入れてよく触るとこは無しかな。で、落下する可能性がある場所は避けると思えば左右のペットボトル入れも無し。で、ポケットティッシュが入っていて僕が探る可能性がある場所も無し。つまり、ノートパソコンをしまえて、なおかつ衝撃吸収のクッションがあるリュック内収納が怪しい」
「じゃあ、リュック内収納でいい?」
つらつらと話をしている最中。
試しにマリリの表情を探ろうかと思えば流石に元子役。にこやかな表情から情報は読み取れなかった。
というか、僕にそのあたりの察しの良さは無い。
だが……。
「消去法だとその辺りが妥当かなって思うけど。でも、じゃあどこでタグを仕込んだのかなと考えると十中八九、事務所の会議室の中だ。んで、僕はマリリがこのリュックを漁っていたとて普段通りの行動だなと思うだけだけど」
「失礼な」
「失礼なのは人のリュックにタグ仕込んだマリリだよ」
「はー、はいはい、どうせわたしが悪うございますよ」
ほんとに悪いんだよ。
「推測を続けると。僕は気にしなくともマリリは可能な限り素早く犯行を終えたいはずだ。つまり、リュックのチャックを開けて仕込むとは考えにくい。さりげなく近づいて、さりげなく仕込むとすれば……。ペットボトル用のポケットが怪しい」
「さっき落下するかもって言ってなかった?」
「僕はGPSタグに詳しくないけど、ああいうのって内臓電源あるはずだから充電する必要がある。ならやっぱり取り出しやすい方が良いはずでしょ」
「なるほどね」
「んで、それじゃあ左右どちらに仕込んだのかと思うと。僕は右利きだから……そうだな、ペットボトルとか折り畳み傘を入れるなら右の方が使うことが多いかな」
普段意識した事は無かったけれど試しに右と左、どちらが使いやすいか腕を曲げてみると右側の方が使いやすそうだ。
「だから、あまり使わない左側のペットボトル入れの中にタグを……リュックの素材と同じ色のテープでも使って貼り付けたんじゃないかな」
マリリの持つリュックに手を伸ばし、推測した場所に手を入れると。ガムテープのような手触りと硬質な感触があった。ご丁寧なことにガムテープの下からヒモが伸びており手早くタグを取り外す事が出来た。
……なんだろう。
しっかりと推測して答えに辿り着いたのに喜びとかよりも『ほんとに仕込んでるのかよ』という呆れが勝つ。
「おっめでとうっ! シフト2ゲットだねっ」
バカな悪魔からパチパチと拍手を送られる。
思うに、これは転売業者から買うよりも悪趣味で嬉しくない。
やっぱりこの取引は無しにしよう。ゲームで遊ぶ度にこの暗黒宝探しが脳裏をよぎるのは勘弁願いたい。
・・・
タワーマンションのエントランスに消えていくマリリを見送り、今日を振り返る。
楽しい釣りの後、さして面白みのない不思議ちゃんに時間を取られた気もするけれど最後がこれなら。
語るほど特別でもない、楽しい一日だった。
よくある一日でした。
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