明星は響く(3)
気が済むまでドラムを叩くと、ガソリンが尽きた車みたいにぷすぷすと身体から力が抜けていく。
頭の中で回路が繋がったような感覚があった。電気信号が綺麗に流れたような、手足の動作が綺麗に意図した通りに動いたような……。
「とりあえず、水飲みなさい?」
いつからか視界の端に立っていた清廉に補給を促される。
特に話しかけられなかったから、意識の外に追いやってしまっていたけれど、僕が倒れないように見張っていてくれたのだろうか。
足元に置いていた水筒を手に取り、その中身を全て飲み干す。危ない、また水分補給せずに倒れるところだった。アンジェに定期的に飲むよう言われていたのに……。これはもう事前にタイマーセットして三十分に一回は休憩するようにしないと駄目だな。
首元のアイスリングに触れると、中身はただの液体になっていた。
「休憩っていったのに。二時間ずっと叩いてたわよ」
「止めてくれれば良いのに」
「倒れる前には止めるつもりだったわよ。でも、せっかく集中していたんだから……」
清廉は一度口を止めると、言葉を選ぶように再び口を開いた。
「……ねえ綾野。一人の時、いっつもあんな感じで練習してるの?」
「どうだろ」
練習している自分の姿を客観視できるのならば毎回、フラフラになるまでスティックを振る羽目にはならない。あんな感じ、と言われる姿は僕の中には無い清廉だけの感想だ。
おそらくキラキラした汗を流しながら楽しそうに練習していたに違いない。
「綾野は何を思ってドラムを叩いていたの」
ただドラムを叩いていただけだというのに、清廉は随分と深堀してくる。
「べつに大したことは」
「教えて。おねがい」
いたって平静の僕とは対照的に、清廉は心配そうに僕を見つめている。
どうやら、清廉から見て僕は『楽しそうに』ドラムを叩いている風には見えなかったらしい。そのあたり適当に誤魔化しても良いけれど、そういう態度は練習を見てくれている上に心配までしている清廉に対して不誠実なようにも思える……。
「……しいて言えば。悲しかったこと、かな」
普段であれば言わない言葉だけれど、清廉の目があまりに真っすぐだったのでつい正直に口をわってしまう。押しに弱いとも言う。
「ドラム楽しいんじゃなかったの?」
「喜怒哀楽、全部ぶつけて楽しんでるよ」
昨日、教会での練習中。通りがかったアンジェが『うわ、辛気くさ。もっと楽しそうに練習できないんですか?』と笑っていたのを思い出す。
僕としては徹頭徹尾楽しんでいたのだけれど……確かに純粋に音楽を楽しむという行為とはかけ離れていたかもしれない。
――執念とか、そういう類の感情が原動力なのだ。
「……」
何か口にしたそうだった清廉は六秒ほど天井を眺めると。首をグルグルと回しながら祭壇と出入り口までの道、身廊を進み、その真ん中で立ち止まる。
「歌うわ。……なんだか胸がモヤモヤするのよ」
ボソボソと清廉は僕に対してであろう不満を呟く。
感情が動いたら歌うとかミュージカル映画かな? と思いつつも僕としては清廉の歌を聞けるのはただただ嬉しいので姿勢を正してその時を待つ。
「歌うのは、インサイド。知ってる? 後ろ向きなのに爽快感のある不思議な曲。歌詞の意味がよくわからないまま歌って、よく分からないままオーケーが出ちゃって、よく分からないまま二千万再生超えて。私が、何にも理解出来なかった曲……。でも、今なら歌詞を理解できる気がする。――灼け落ちるキミを止められなかったボク。集中してるだけで効率の良くない練習を止められなかったあたし。少し、重なる」
清廉は胸に手を当て、目を瞑り。
――声を、発した。
ぞっとするほど美しい音の粒。
それが、清廉一人から溢れ出す。
インサイド、初めて聞いたmiuの歌だ。端的に言えば全力現実逃避みたいな曲。
あまりにも歌詞と乖離した疾走感のあるメロディ、力強さと透明感が同居したmiuの歌声。初めて聞いてから、何度も聞いた鮮烈な歌。
知っているはずの曲が目の前で、アカペラで歌われている。
知っているはずの曲と比べればギターもベースもドラムもエレクトーンも何もかも足りないはずなのに――今の方が、満ちている。
まるで別の曲みたいに。歌詞が頭に流れ込んでくる。
ダウンロード購入した『インサイド』が言葉も無く闇の中を駆け抜ける曲だとすれば、いま聞こえてくる『インサイド』は。
『だって、しょうがないじゃん、このままいけばキミが消えるかもだけど、すっごい綺麗だったんだもん! 止められないよ!』
という歌詞には無い全力の言い訳が聞こえてくるほど感情が籠っている。
歌詞の情景が浮かんでくる。
僕が何度も何度も聞いた方は……体験版だったみたいだ。
教会が清廉の歌声に共鳴し、たった一人の女の子は息苦しいほどの存在感を放つ。呼吸が止まるほどの躍動感。
圧迫されるような息苦しさは、自分が腕を抱き寄せていたからだと後になって気がつく。
この恐怖にも似た感情は――畏れだ。
本物の才能に対する畏怖。
逃げ出したくなるほどの隔絶。
清廉未羽――目を離せないほど眩ゆい星が輝く。
・・・
「――っ、はぁ」
清廉が歌い終わると同時に、僕は呼吸を止めていた事に気がついた。
夏だというのに寒さにも似た鳥肌が止まらない。
「拍手くらいしなさい、はじめての生歌披露なのよ?」
汗をにじませつつも微笑む清廉に、僕は立ち上がり惜しみない拍手を送る。
「ふっ、ふふ、そっか。歌手ってこういう気持ちなんだ。……あたしさ、プロの前でしか歌ってなかったから。知らなかったな、拍手がこんな嬉しいってこと」
「せーれん?」
どこか悲しそうな表情を浮かべる清廉は、フっと苦笑した。
「歌うのはずっと好きだけど。前、公園であんたに言われた通り、よくわかってなかったの。作詞の意図とか……想いとか。インサイドって曲は特に難しくて、歌詞の意味、全然理解出来なかった。共感出来なかった。あたしならトモダチが燃え尽きるのなんて絶対止めるし、未熟なまま行かせはしないのにって。だからさ、わざと気持ち抜いて歌ってみたら……オッケーでちゃってさ。あんなの、あたしの中で七十点の――」
あんなの。それは、僕がさんざん聞いたインサイドのこと――。
「待った。それ以上は困る」
「は?」
慌てて清廉の言葉を遮る。
ふう、あぶな。危うく語らせてしまうところだった。
だが。
「……」
話を止めた代償に、清廉が不機嫌そうな顔でコチラを睨んでいる。……怖い。
「その、インサイド。miuの曲で一番好きだから。本人に悪く言われると悲しいというか」
寝苦しく、気分の悪い夏の朝でも。あの歌だけは、清々しかった。
「じゃあ、今歌ったのと前のインサイド、どっちが良いと思うのよ」
「そりゃあ……今のだけど」
「ならなんで」
「どっちも、良いから。……どっちも、良いから」
「二度も言わなくてもいいわよ。というかどういう意味よそれ」
疑問符を浮かべる清廉の目に応えるように、頭の中で言葉を並べる。
「この曲、なんかしらないけど聞いてるとスカッとするんだよ。毎日聞いても飽きないぐらい爽やかでさ。たぶん、せーれんが歌詞よくわかってないのが効いてるんだと思う」
「……一応、褒めてるのよね?」
頷いて返事をする。
きっと世の中でもこういう具合の出来事って間々あるのではなかろうか。物凄く派手で豪華で面白い映画よりも単館上映の低予算な映画の感じが良い、みたいな。
「今の、最新バージョンのインサイドは聞いてる方の気持ちが強く揺らされちゃうレベルだから、一回聞いたらしばらく休憩したい感じ。劇場のIMAXみたいな」
「……じゃあ、その、旧バージョンは何なのよ」
さっきは体験版とか思ったけれど……やっぱりあれはあれで悪くないんだ。
「家で見る午後のロードショー」
「は?」
「ぼけっと見るには丁度良い」
「…………」
もう何度清廉を怒らせたか分からないけれど、怒っている事は雰囲気で察する事が出来るようになった。まず、グッ、と眉間と腹筋に力が入るのが分かるのだ。
恐る恐る清廉の目を見ると――。
怒ってました☆
「あのね綾野。自分ではダメだと思ってるけど。そうね、あんたの例えに乗るなら何だかんだ旧バージョンだって劇場で流せるクオリティだとは思ってたのよ。なにご自宅レベルまでランク落としてるの。IMAⅩじゃなくたってせめてドルビーアトモスとかあるでしょ。好きなら気を遣ってワンランク落とすくらいに留めておきなさいよ。そこまで悪くないわよ旧だって!」
「うぅ」
理不尽だ。清廉が自分で旧インサイドをダメだって言うから反論したのに、僕の方が旧インサイドを軽んじているみたいになってる……。
「あと聞いておきたいんだけど。一応、感動してたわよね、さっき」
「もちろん」
「なんで泣かないの。あんたを泣かせるって目標はまだ健在なんだから。丁度良いタイミングで丁度良いシチュエーションだったでしょ」
「突然歌い出したから心のどこかで、あ、ミュージカル始まったなって思ってたから。それが良くなかったのかも」
「ばか! そのお笑いに毒された頭どうにかしなさい!」
清廉は近くの長椅子にドカッと座ると深いため息をついた。
「あーもう、綾野と話してると、すぐおふざけになっちゃうじゃない」
「そんなつもりは無いんだけど」
「あんた、その感じで生きていたらろくな女と出会わないわよ」
「?」
なんで女の話になるんだ。
「安定しているようで不安定だったり、楽しそうに見えて悲しそうだったり、飄々としているようで子供っぽかったりするの……見てるこっちが揺らされるのよ。……上手くも無いただ必死に頑張ってるだけのドラム。わかんないけど、なんだか苦しかったわ。苦しいのに、がんばれって、思えた」
清廉は考えるように、自分の指先を見つめる。
「足りないものばかりだわ。あたしの人生、成功しか詰まって無いから。……誰にも寄り添えないのよね」
アンニュイな雰囲気で凄いこと言ったな……。
それに……的外れだ。少なくとも僕は、清廉に寄り添って欲しいなんて思わない。隣で応援して欲しいとも思わない。スターは、輝いてさえいればいい。
「せーれんは実にばかだな」
「はぁ……。慰めなさいよ。そんなこと無いよ、とか言ってさ」
「落ち込んでるの?」
「べつに落ち込まないわよ。ただ事実確認していただけだもの。でも、言われたら少しは気が紛れるでしょ」
「そんなこと無いよ」
「なんで今それ言うのよ!」
清廉の沈んでいた気勢が少しだけ盛り返す。
「トモダチとして、気の利いたこと言ってみなさい」
そんなこと言われてもな。何も言わずとも勝手にまた飛び出すのが清廉だろうに。
……とはいえ。いくら最新鋭のステルス戦闘機とはいえメンテナンスと補給は必要か。
「せーれんは人間性見せずに歌ってくれるだけで十分だよ。僕、miuの歌声聞くだけでけっこう救われてるから。寄り添えなくても、遠くから呼んでくれるだけで十分だ」
「……綾野」
清廉の見せる静かな表情に安堵する。
どうにか上手くいったらしい。流石の僕も正面から褒めるのは恥ずかしかったけれど、これで清廉の機嫌が直るのなら――。
「あたしは寄り添いたいのっ、なんで遠くに突き放すの!」
「……ん?」
「……ん? じゃないのっ」
どうやら僕の清廉に対する認識と、清廉が求める理想の姿は随分と乖離しているらしい。……寄り添いたい、か。プンプンとしている清廉の言葉が引っかかる。
ただただ歌姫として輝きます、その為なら何もかも置き去りにします! とでも言うのなら僕はどうかと思いつつも全面的に応援するつもりなのに。
――寄り添いたいって、よく言うよ。
・・・
あれこれ揉めつつ練習を再開し、気がつけば十九時となった。
「せーれん、駅まで送ろうか?」
「大丈夫よ、パパが迎えに来るって言ってるから。そろそろ来ると思う」
帰り支度を済ませた清廉は電子ドラムを叩いて時間を潰している。ご家族が迎えに来てくれるなら安心だ。僕もわざわざ駅まで行くのは手間だから助かる。
「というかさ、せーれんドラム叩くの上手くない?」
「あたしゲーセンでドラムヒロイックってゲームやり込んだもの。譜面は独特だけど、ドラマー気分味わえるわよ?」
清廉は得意げに笑い、慣れた様子でスティックを掌の中でクルリと回すと――。
ピンポーン、と教会の雰囲気にはまるでそぐわない電子音が響いた。アンジェがペイントパレット加入に伴い強化された防犯対策の一つ。モニター付きインターフォンだ。小型モニターがついた子機で来訪者の顔を確認する事が出来て、子機は普段アンジェの部屋側の廊下に設置されている。
「随分と現代的ね。あの大扉をコンコン、じゃないんだ」
もっともな感想をもらす清廉と共に子機を確認すると……。
「反社の人だ……アンジェ一体何を」
黒いスーツにオールバックの、目つきの鋭い男の人が立っていた。
「反社じゃないわよ。あたしのパパ。むしろ捕まえる側だから」
「警察?」
「そゆこと。じゃあね、綾野。また明日」
清廉はバイバイと手を振ると、ベースを背負い持ち運びが面倒なアンプを置いて教会から去っていった――のだが。
コンコンと、施錠したままの大扉がノックされた。
清廉、忘れ物でもしたのかな。
ギィ、と音を立てて大扉を開けると――。
「――こんばんは。娘がお世話になったようだね」
「ひゃい。はじめまして、綾野礼です」
「綾野……礼……」
ああ、名前を吟味されてるぅ。
ひょろっと細長く、目つきの鋭い清廉パパ。その目はまるで娘に近寄る羽虫を始末するかのようだ。この見た目でパワプロ好きなんだこの人……。
「私は清廉喜代孝。きみのことは娘から聞いている。あの子と遊べるとは辛抱強いものだと感心した」
「は、はい」
清廉、親にすらちょっと取っ付きにくい人間だと思われているぞ。
「ここは綾野君の家なのかな?」
アンドロイドが周囲の情報をスキャンするかのように清廉パパが辺りを見渡す。
娘が廃墟みたいに古びた教会に居ると知った時はさぞ驚いただろう。
「いえ。友人の家を借りています」
「綾野君のご自宅はこのあたりに?」
「そうです」
「……ここが地元ということかな?」
「あー、いえ、小さい頃に引っ越してきました」
「それは都内から都内?」
「はい、都内から都内です。そんな離れてはないですけど」
「年齢は?」
「そろそろ十七です」
身辺調査されてるっ。
「……質問ばかりですまない、職業柄知りたがりでね。お詫びと言ってはなんだが綾野君。もう日も落ちた、車で家まで送ろうか」
「だ、いじょうぶです。その、ほんとに近所なので」
「そうか。では、気をつけて帰りなさい。私達もこれで失礼するとしよう。これからも娘と仲良くしてやってほしい」
「はぃ」
重力増したかのような威圧感よ。犯しても無い罪を告白してしまいそう。
清廉パパの後ろ側を見ると清廉が大笑いしていた。
そうして――銀色のセダンに乗って去っていく二人を見送るのだった。
「捜査一課って感じですね。こっそり見てたのに目合いましたよ」
アンジェも帰って来たのだった。
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