聞き屋のお姉さん
――――チリリン。
皆さまはこの音を聞いて、何を思い浮かべますか?
夏の暑さを涼しげに彩る風鈴でしょうか。
猫の首についた鈴でしょうか。
それとも、主人が使用人を呼ぶベルでしょうか。
わたしにとって一番身近なこの音は、来客の合図です。
――――チリリン。
おや。お客さまですね。いらっしゃいませ。
本日初めてのお客さまは、恰幅の良い中年の女性のようです。
「まったく、聞いてちょうだいよ! うちのお嫁さん、この前妊娠が発覚したってのに、木箱持ち上げようとするもんだから、つい怒っちゃったよ!」
あらあら。
「息子も息子で、もうちょっとお嫁さんを気にかけてやらないと! 目を離すと『大丈夫』って言って無茶しようとするんだから」
それは心配ですねぇ。
「まぁ、息子なりに気遣っているのは分かるんだけどさぁ、もうちょっと優しい言葉が欲しいよね! うちの旦那もそうだったけど⋯⋯」
まぁまぁ。
「とにかく、まぁ⋯⋯無事に産まれてきてくれるといいね」
そうですねぇ。
「⋯⋯よし、そろそろ帰ろうかねぇ」
ありがとうございました。
本日の最初のお客さまは、ニコッと笑うと銅貨を置いて帰って行きました。
――――わたしは『聞き屋』を営んでおります。
『聞き屋』は、お客さまのお話を聞くお仕事です。
人は誰かに話すことで、気持ちを整理したり、悩む気持ちを軽くしたりできるのです。知り合いには言えなくても、赤の他人にならば言えることもあります。
そういったお客さまのお手伝いが少しでもできればと、わたしは『聞き屋』を始めました。
お話を聞いて欲しいというお客さまは多く、毎日何人もの方が『聞き屋』を訪れます。
妻が亡くなり寂しいお爺さん。
勉強の息抜きをしたい学生さん。
仕事や子育てに日々邁進している方々。
何でも聞きますし、聞いた話は他言しません。お返事をすることもありません。
ただ、聞くだけです。
一応お店なので、お客さまから報酬は頂いております。
少しのお金だったり、食べ物だったり。童子からはどんぐりを頂いたこともありますね。そのお客さまのお気持ちで報酬を頂くのが、わたしの『聞き屋』のルールです。
――――チリリン。
二人目のお客さまですね。
今度は小さな童子です。いらっしゃいませ。
童子は不安げに視線を彷徨わせると、タンポポを一輪置きました。綺麗です。これが報酬ですかね。
「え、と⋯⋯あなたは、何でも聞いてくれるって⋯⋯」
はい。何でもおっしゃってください。
「⋯⋯僕、友達いなくて。いつも一人で」
まぁ。
「僕も仲間に入れてって言いたいのに、勇気が出なくて⋯⋯でも、みんなで遊んでるの羨ましくて⋯⋯」
あらあら。
「⋯⋯僕も、友達欲しいなぁ⋯⋯でも、声かけて嫌な顔されたらどうしよう⋯⋯」
まぁまぁ。こうしてわたしに話してくれるように、お友達になりたい人にも素直に気持ちを伝えてみるというのはどうでしょうか。
「⋯⋯うん、お姉さんに話したらちょっと勇気出たかも。⋯⋯明日、頑張って話しかけてみる」
はい。頑張ってください。
上手くいっても、ダメだったとしても、わたしはいつでもあなたのお話を聞きますからね。
童子は決意のこもった瞳でわたしを見つめると、真っ直ぐ前を見ながら帰って行きました。
お友達、できるといいですね。
◇
――――チリリン、と鈴が鳴りました。昨日の童子のようです。
おや、今日は随分と明るい顔をしていますね。何かいいことでもありましたか?
「あのねっ、今日クラスの子に『一緒に遊ぼ』って声をかけてみたんだ。そしたらね、『いいよ』って言ってくれてね、一緒にこおり鬼したよ!」
それはよかったですねぇ。
「それでね、『今日から友達』って言ってくれたんだ! 僕、友達できたんだ!」
ええ、ええ。なんだかわたしも嬉しいです。
「お姉さんのおかげ。⋯⋯また来てもいい?」
もちろんです。わたしはいつでもお待ちしていますよ。
◇
――――チリリン。
あら、今日もやって来たのですね。今日はお友達と何をして遊んだのですか?
「お姉さん。僕、とんでもないことに気づいたよ!」
え? なんでしょう?
「僕、お姉さんに自己紹介してない! 初めてお姉さんとお話してから一週間も経ってるのに⋯⋯。お父さんが、挨拶は大切って言ってた! ⋯⋯ごめんね」
あら。そんなことを気にしていたのですか?
ここに来る方は名乗らない方がほとんどですので、気にしなくてもいいですよ。
ほら、俯かないで。
「僕、琳太郎っていうんだ。⋯⋯お姉さんだったら、琳って呼んでもいいよ。友達もそう呼ぶから⋯⋯」
そうですか。わたしもいつまでも常連客を童子と呼んではいけませんね。お言葉に甘えて琳と呼ぶことにしましょう。
――――では、今日はどんなお話を聞かせてくれますか?
◇
童子――――改め、琳はそれからも何度もやって来ました。
琳は友達のこと、学校のこと、家族のこと、いろいろなお話を聞かせてくれます。
いつも嬉しそうにお話を聞かせてくれるのです。
わたしに向けて常に笑顔で話してくれる人は珍しく、わたしもいつしか琳が来るのが楽しみになっていました。
そんなある日のことです。
チリリンと美しく鳴るはずの鈴が、ガシャンと音を立てて落下しました。
何かが鈴にぶつかったようです。
「――――これが『キレイなお姉さん』? うわっ、気持ち悪い」
「やっ、やめてよ、龍くん!」
二番目の焦ったような声は琳ですが、最初の蔑む声は初めての方ですね。
お客さま――――ではなさそうです。
琳に龍くんと呼ばれた彼は、目鼻立ちのはっきりとした童子です。彼は不遜な顔で鼻を鳴らすと、わたしに向かって何かを振りかぶりました。
⋯⋯痛っ。
投げられた石のひとつがわたしのこめかみに当たりました。
これは報酬――――ではなさそうですね。
『聞き屋』の報酬としてでしたら、たとえ石でも喜んで受け取りますが、彼はわたしに話を聞いて欲しいわけではなさそうです。
ドサッ。
どうしましょうかと思っていると、大きな音がして龍くんが地面に倒れました。琳の手が龍くんに伸びていたので、琳が押したのでしょうか。
「痛ってぇな、何すんだ琳!」
「それはこっちのセリフだ! 龍くんがお姉さんに会ってみたいって言うから会わせたのに⋯⋯お姉さんを傷付けるなら帰れ!」
「は? お前、俺にそんな口きいてクラスでハブられても⋯⋯」
あらあら、どうしましょう。
わたしは大丈夫なので喧嘩をしないでください。ほら、仲良く仲良く。
あわあわとするわたしを他所に、琳は見たことないくらいの怒った⋯⋯泣きそうな表情で龍くんを見下ろしました。
「勝手にしろ。人の大切なものを傷付ける友達なんていらない」
「――――っ、知らねぇからな!」
顔を歪ませた龍くんは、大きな足音をさせながら去って行きました。
あらあら、困りましたね。
琳、わたしを庇ってくれたのは嬉しいですが、大切なお友達ならば追いかけた方がいいですよ。
「⋯⋯ごめんね、お姉さん。嫌な思いをさせちゃったよね。鈴も⋯⋯」
いえいえ。わたしのことなど気にしなくてもいいのですよ。
鈴は⋯⋯吊り下げていた紐が切れてしまいましたが、無くて困るものでもありません。元々かなり劣化してきていたので、寿命だったのでしょう。
だから、そんなに悲しそうな顔をしないでください。琳のせいじゃありません。ほら、泣かないで。
⋯⋯ああ、本当に困りましたね。
人の話を聞くばかりだったわたしは、こういう時はどうやって慰めればいいのでしょう。
涙を堪えようと唇を噛む琳に、どうやって言葉をかければいいのか分かりません。
琳の手に握りこまれた鈴が、くぐもった音を鳴らしました。
◇
――――チリリン。
久しぶりに『聞き屋』に鈴の音が響きました。
「どうかな? おばあちゃんに教えてもらって作ったんだ。前の紐よりは不格好なんだけど⋯⋯」
龍くんがやってきた日から、琳はしばらく『聞き屋』に来なくなりました。
どうしたのかな、と心配していたのですが、切れてしまった鈴の紐を作ってくれていたそうです。
琳が手作りしてくれたらしい紐は、水色と朱色の組紐です。
⋯⋯とても素敵です。水色も朱色も、どちらもここから見える空の色ですね。
前は群青色とくすんだ白色の紐だったので、随分と可愛らしい紐に変わりましたが、わたしは好きですよ。
「お姉さんはいつも凛々しい顔をしているけど、こういう可愛い色も似合うと思って⋯⋯」
くしゃっと笑う琳。
嬉しいです。似合う色を考えてもらうなんて、なんだか普通の女の子になったような気分です。琳は優しい子ですね。
――――ありがとうございます。
ざあっと風が吹いたからか、新しい紐で吊るされた鈴がチリリン、とご機嫌に奏でました。
◇
それから。琳は龍くんとは仲直りしませんでしたが、新しいお友達ができたそうです。その子とは何でも言い合えて、勉強やかけっこで競って、一緒に笑い合えるお友達だそうです。
一度、お友達も一緒に『聞き屋』へ来てくれました。その子は龍くんのように石をぶつけるでもなく、丁寧に挨拶をしてくれました。
⋯⋯琳は照れくさそうに笑っていました。
琳が幸せそうで、わたしも嬉しいです。
一年、二年と経つうちに、琳がここに来る回数は減っていきました。
彼も大人に近づいているので、最初の頃のように何でも話すのは気恥しいのでしょうか。
「僕ね、都会の学校に進学することにしたよ。⋯⋯ここに戻って来るのは、何年も後になると思う」
身長も伸びて、声も低くなった琳は穏やかに言いました。その目に宿る意志の強さは、友達を作る為に勇気を出そうとしていた時と似ていました。
⋯⋯そうですか。寂しくなりますね。
わたしはいつでもここで待っていますよ。
「⋯⋯⋯⋯僕の、」
琳が小さく呟きます。耳を澄ませていなければ聞き取れない程の小さな声です。
「⋯⋯僕の⋯⋯初恋はお姉さんだったって言ったら、笑いますか。⋯⋯笑って、くれますか⋯⋯」
⋯⋯⋯⋯えっ。
「うぅ⋯⋯何でもないです! じゃあ、行ってきます!!」
⋯⋯行ってらっしゃい。
顔を真っ赤にした琳は、バタバタと走って帰って行きました。
⋯⋯あんな顔の琳は初めて見ましたね。初恋、ですか。
恋の話をしてくださるお客さまは何人かいらっしゃいましたが、自分にその気持ちが向けられたのは初めてです。
恋という気持ちはわたしには分かりませんが、なんだか胸が温かいような気がします。
琳は、わたしに笑って欲しいのでしょうか。
でも、お客さまのお話を笑うなんてできません。
それに、笑い話でもありません。
――――もし、もしも、わたしが琳に何かを伝えられるのだとしたら、琳の気持ちに報いれるのだとしたら⋯⋯
わたしは彼に「ありがとう」と伝えたいです。
◇
この地域は最近、大きな音が多いです。
何かを打ち付ける音、山を切り崩す音、人の乗った『トラック』と呼ばれる物が行き来する音。
琳と別れてから何年経ったでしょうか。
あれから彼は一度もここに来ていません。
もしかしたら、もう忘れられたのかもしれません。
⋯⋯それでもいいと、わたしは思っています。
『聞き屋』を訪れる人も年々減っていき、今ではひと月に一人来ればいいほうでしょうか。
琳が作ってくれた水色と朱色の組紐も廃れつつあります。
⋯⋯終わりが近づいているのですね。
その日は珍しく、大勢の人が『聞き屋』にやって来ました。
体格のいい男性たちが数人と、ぴっちりとした黒い服を着た男性。
『トラック』と呼ばれる物がわたしの前で止まったのは初めてですね。乗せられている首の長い動物のような物は何でしょうか。
男性たちは、鈴を鳴らすでも報酬を置くでも話をする為に座るわけでもありません。
『トラック』から降ろされた、首の長い動物のような物の頭がわたしに向きました。
――――ああ、どうやら『聞き屋』は今日で閉店のようです。
長年のご愛顧、ありがとうございました。
願わくば最後に、琳の『願い』を叶えてあげたかったです――――
◆◆◆
明日開庁の新しい市役所に、巫女像が運び込まれた。
はるか昔。神の怒りを買い天災に見舞われたこの地を、ひとりの巫女が鈴の音と共に美しい舞を披露し、その身を神に捧げることで神の怒りを鎮めたのだと言う。
巫女に救われた人々は、その巫女を『鈴鳴様』と讃えて、彼女を模した石像が造られた。
民衆を背に神を見据えた巫女を再現したと言われるその石像の傍らには、鈴鳴様が舞うのに使ったと言われる鈴が吊り下げられた。
初めは、その身を捧げてくれた彼女に町の近況報告をしていたらしい町民は、そのうち、神に近い場所にいる鈴鳴様にお願いを聞いてもらえば願いが叶う等と言いはじめ、鈴鳴様に願いを語る者が増えたそうだ。
しかし、町を守る為に山との境に置かれたその石像は、年月が経つにつれ人々から忘れられ、土地の開発を進めたい者からは邪魔だと言われるようになった。
半年前、この町の市長に就任した川崎琳太郎は、その巫女像を新庁舎の中央に設置すると決めた。
今までずっとこの町を見守ってくれていた鈴鳴様を蔑ろにしてはバチが当たる、この町の中心で見守ってもらうべきだと。
「琳、まだここにいたのか」
「俊和⋯⋯ここでは市長と呼べよ」
「ははっ、勤務は終わったんだからいいだろう」
俊和は小学生の頃からの琳太郎の友人だ。高学年に上がる時のクラス替えで同じクラスになり、仲良くなった。
明るく気さくな人柄だが、病気がちな母親と放浪する父を持ち、なかなか苦労をしてきた奴だ。
琳太郎は、先程と同じく鈴鳴様を見上げた。
幼い頃の琳太郎が鈴鳴様を見つけたのは偶然だった。
その頃の琳太郎は、引っ込み思案でなかなか友達ができなかった。その日も誰にも話しかけることができずに、後悔でため息を漏らしながらぼんやりと歩いていて、町はずれの石像に拝んでいる人を見つけたのだ。
真っ直ぐに凛とした表情で参拝者を見つめる女性の石像は、無表情なはずなのにどこか温かく思えたのが不思議で、その日のうちに石像について祖母に訊ねた。
そして、鈴鳴様のことを教えてもらった。
鈴鳴様相手になら、臆することなく話しかけることができた。それをきっかけにクラスの子たちとも話す勇気が持てて、琳太郎は鈴鳴様に感謝した。
「よかったな。壊される前にここに移動させられて」
「⋯⋯ああ」
俊和とは一度だけ、一緒に鈴鳴様の元へ行ったことがある。
昔仲の良かった龍介という友人が鈴鳴様に石をぶつけてから、琳太郎は鈴鳴様の話を誰かにすることはなくなったが、俊和だけは別だった。
俊和は誰かを貶したり、蔑んだりしない奴だった。自分が家庭環境で嫌な思いをしたからかもしれない。
鈴鳴様に丁寧に挨拶をして、自己紹介を始めたのには琳太郎も少し驚いた。まるで保護者のように「琳がいつもお世話になってます」と言うものだから、恥ずかしくて⋯⋯むず痒かったのを覚えている。
「でもなんか⋯⋯変わったよな。劣化か?」
「⋯⋯おそらく、そうだろうな」
鈴鳴様は長年風雨に晒される屋外に設置されていたせいか劣化が酷い。
百年以上も前に造られたものだ、致し方ないのだろうが、鈴鳴様を慕ってきた琳太郎は心が痛む。だか、それとは別に――――
「⋯⋯微笑んでるよな」
「微笑んでるな」
長年の屋外設置による経年劣化か。はたまた環境問題として上がっている酸性雨の影響か。
無表情だった鈴鳴様は、目尻が柔らかく下がり、僅かに口角が上がって見える。
参拝に来る者を優しく受け入れるような微笑みは、かつて琳太郎が望んだものに見えた。
「初恋の人の笑顔が見たいという僕の願いをきいてくれた⋯⋯なんてな」
「ぶふぉっ!」
思わず心の声が漏れれば、俊和に盛大に笑われた。
「⋯⋯おい」
「――――はははっ、そんなクソ真面目な顔で⋯⋯四十も過ぎた男が初恋拗らせたなぁ」
「うるさい」
「大丈夫だ。俺の娘も今二次元にハマっている。いずれ『きゅんラブ』の星矢くんと結婚するらしい。俺は応援している」
「お前のその懐のデカさには感服するよ」
二次元アイドルと鈴鳴様を一緒にするなとは思ったが、第三者から見れば一緒なのかと複雑な気分になる。
「よし、じゃあ今日は琳の初恋昇華記念に呑みに行こうぜ」
「勝手に昇華させるなよ。⋯⋯それに、今日は妻が明日の開庁記念にご馳走を作って待ってくれているからな。悪いが断る」
「なんだ。じゃあしょうがねぇな。俺も嫁さん待ってるし真っ直ぐ帰るかなー」
「相変わらず仲良いな」
「お前もな」
俊和と笑い合うと、琳太郎は鈴鳴様の手前に膝をつく。買ってきたガーベラの花束を供えると、鈴を鳴らした。
――――チリリン。
鈴鳴様の手前に提灯のように吊り下げられている鈴を鳴らすのが、話を聞いてもらう時の礼儀だ。
「鈴鳴様。貴方が今まで見守ってきたこの町を、僕は市長として守っていきたいと思います。⋯⋯どうかこれからも、ここで町を見守っていてください」
丁寧にお辞儀をした琳太郎は、鈴鳴様の柔らかい微笑みを見て目を細めると、踵を返して俊和と共に庁舎を出た。
――――チリリン。
外の扉を開けた時、優しい鈴の音が夜の闇に響いた。
お読み頂きありがとうございました。