猫の耳ツボマッサージ屋さん
コウモリとかイルカとかってさ、超音波出すじゃない。それで自分の場所とか相手の場所とか分かるんでしょ? スゴイよね。この前、病院で超音波の検診受けたんだけどさ、当たり前だけど音なんて全然聞こえないわけよ。アイツらってば機械の力借りずにこれが出来るんだからヤバいよね。鳥なんだか獣なんだか、魚だが獣だか分かんない中途半端な見た目してるくせにさ……まぁ、中途半端って言ってもちょっと前の私達と比べたらマシなんだけど……まっ、いっか、この話は。
そうそう、そう言えばさ、この前、もっと変な生き物見つけたのよ。
デカいし、二本足で歩いてるし、ホントに変な生き物だったわ。
でもまた、どっかで会えないかな……
◇
待合で待っていると番号が呼ばれ、名前を確認するための「山口杏子」と書かれたカードが差し出された。もちろんそれは私の名前だ。だからそのまま電子マネーで支払いを済ませる。
次の予約は取らない。
何だかぼぉっとしていて、そのまま自動ドアを潜って外に出た。足は何となく駅の方に向かっているんだけど、普段は来ないような場所だから方向感覚も曖昧だ。
帰るのにも何となく気が重く、用事もないのにコンビニに寄ってしまう。そこでハッと気がついた。どうにも私はそうとうぼんやりしていたらしい。
取り繕うように買い物する振りをして最近ハマっている炭酸入りのザクロジュースに手を伸ばそうとして――
「!!!」
ふと気がついて、その手が止まる。
最近ハマっているザクロジュース。酸味の効いた微炭酸の健康飲料の小さな赤いボトルが何か恐ろしいもののように感じられたからだ。
「ああ、ヤバい……私ヤバいわ」
結局コンビニでは買い物せずに外に出る。
帰る前に頭を冷やそう。そう思ってしばらく歩く。
歩く。
(どうしよう、どうしよう、どうしよう……)
歩く。
(どうしよう、どうしよう、どうしよう……)
歩く。
(どうしよう、どうしよう、どうしよう……)
歩く。
(どうしよう、どうしよう、どうしよう……)
ある……あれ? わたし今どこ歩いてるんだろ?
知らない街にいた。
いや、知らないこともないか。徒歩で行動出来る範囲なんてたかがしれている。その証拠に落ち着いたら、何となく場所の見当もついてきた。とりあえず電車に乗ろう。
駅がある方向に向けて進み――
「ここ……知ってるとこだ」
雑居ビルの前で足が止まった。
ここは昔一回来たことがある。
何年か前の話だ。
一回来たことがあって、また来ようと思ったんだけど、何でか来れなくて……そうだ。あの時もこんな気分だった。スゴイ迷ってて――
気づけば吸い込まれるようにビルの入口に入っていく。
ふらふらとエレベーターの前に立つ。
えっと……何階だったっけ?
「……………………違う」
違う。階段だ。
あのときは確か階段を登った。
ゆっくりと登る。
「……………………3階」
確か3階だった。
何にもない廊下に金属製のドアがあるはずだ。
「……………………あった」
記憶どおりだ。
金属製のドア。
店名の入った看板なんかはない。
「思い出してきた」
女性の店主だった。
浮世絵の世界から出て来たみたいな和装の美人がいて――
「あれ?」
ドアを開けると、そこには猫がいた。
猫……猫だよね? っていうか、デカッ! めっちゃデカいんですけど!?
二本足のトラ縞の猫で見上げるくらい大きい。
モンスター? エイリアン? え??……何???
完全に混乱する。そんな私に目の前の猫? は普通に話しかけて来た。なんかオペラ歌手みたいな野太いやたらとイイ声だった。
彼? の説明によると、どうやら店主が代変わりしたらしい。それにしても猫? 何で猫が?? へぇ~、猫又……妖怪なんだ。いや、だからどーしたって感じだけどさ。
私が前の店主にお世話になった話をすると、猫の妖怪は「先代には及びませんが受けていきますか?」なんてやっぱり無駄にイイ声で訊いてくる。普通のマッサージに、フットマッサージ、ハンドマッサージに、耳つぼマッサージなど、わりと何でもやってくれる。料金は1万円の現金払い……現金? いまどき現金!? しかもちょっと高いし。
私は断ろうと思い――
「あの……じゃあ、耳つぼマッサージを……」
注文してしまっていた。
やっぱり今日の私おかしい。すごい色々言われて、頭がぼんやりしてるし、猫に耳つぼマッサージとか注文しちゃってるし。
困惑しながらも私は猫の妖怪に促されるままに部屋の隅に敷かれた畳の上に移動する。
猫の妖怪は正座で……正座で座ってるよ、おい。とにかく正座で座ると「どうぞ」と膝の上を指す。
ひ、膝枕???
まさか初対面の男性? に膝枕してもらうの!? あっ、でも、猫だし、妖怪だし、浮気にはならないのかな???
そんなことを考えながら恐る恐る仰向けになると、猫の妖怪の膝の上に頭を乗せる。
次の瞬間――
ぽふぇ~~~~
頭を乗せた瞬間、何か聞いたことがない音がした。
(へ? なに? この感触??……ぽふぇ???)
その感触に言葉を失った。猫の膝の上はモフモフでフワフワで……すごくキモチイイ。私の頭を優しく受け止めてくれる。
これ、毛皮? すごい、ミンクとか、キツネとか、チンチラとか、何かそういう高級そうなヤツの触り心地だ。どれも触ったことないけど。
僅かに頬に触れた瞬間の感覚はスベスベで、そのまま体重を乗せるとフワ~ァっと沈み込む。その感触に緊張していた私の体から力が抜けていく。
馬鹿みたいな顔で口が開く。ほっぺたと歯茎に力が入らない。どんな高級な枕もクッションも叶わない極上の毛皮で出来た膝枕。それにすっかり脱力してしまう。
それを見計らったのか猫はどこからか取り出したタオルで私の耳を包む。
ホカホカの蒸しタオル。
温かいというよりも、ギリギリ熱い。湯気が上がっていて、その蒸気が耳の穴に入ってくる。
「はひぇ~~~~ぇ」
馬鹿みたいに開いた口から馬鹿みたいな声が漏れる。身体の内側を温められる快感に、さっきまでの鬱々とした気持ちが溶けていくの分かった。猫の妖怪が「熱くないですか?」と訊いてくる。
「いえ、大丈夫です、きもちいいです~」
何にも考えずに本音が口から出て来る。すると猫の妖怪は「そうですか」と応えると、むにっと私の耳たぶを摘まんだ。
耳つぼマッサージが始まったのだ。
もみぃ~、むにぃ~~っ
猫の指先が私の耳たぶを揉み解す。弾力のある指先だった。
(これ……肉球?)
柔らかいくせに弾力に富んでいる。味わったことのない感触だ。
ぷにぷに、むにむに、そんな音を感じさせながら猫は私の耳たぶをマッサージする。そうする内に血の流れがよくなってきたんだろう。耳が、かぁ~っと熱くなる。
たぶん、それで準備が完了したんだろう。猫の妖怪の指先。その先端の部分から何かが伸びる。それは爪だ。
猫の爪。だがその先は鋭くはない。多分、痛くないように丸く研いでいるんだろう。
クッ…………
その先端が丸く研がれた爪が耳介に食い込んだ。
(これ……イタ気持ちいい)
食い込んだ爪の先に僅かに力が加わりピリッとした痛みが背筋を擽る。絶妙な力加減だ。
さらに、くいっと、耳の外の部分からゆっくりと外堀を埋めるように、くい、くいっと、猫の爪は私の耳つぼを刺激する。その度に耳に弱い電気が走って私の背筋をゾクゾクさせる。
「そこ……気持ちいいです。何のツボなんですか?」
尋ねると「肝臓のツボです」と答えてくる。さらに「お酒飲み過ぎてませんか?」なんて訊いてくる。
そういえば最近飲む機会が多い。しばらく宴会が続いてたから……お酒……お酒か……そうか、これからは控えないと……ううん、違う。そうじゃない……でも、そもそもそんなに好きってわけでもないし……
「家ではあんまり飲まないんですけど……んぅ」
またピリっと来た。これがもうちょっとでも強い力で押されたら痛いんだろうけど、猫の繰り出す耳ツボ刺激はそんな失敗はしない。多分、耳の感触や、私のちょっとした表情の変化を見ながら力を調節しているのだろう。おまけに「ああ、会社員はつきあいとか大変ですよね」なんて言ってくる。どうにも昔、彼を飼ってくれていたご主人がOLをしていたらしい。20年近く世話になり、最後は彼女や彼女の子ども達に看取られたそうだ。
「へぇ~、大往生だったんですね」
生まれた時からいた猫が死んだわけだから、きっと子ども達とかワンワン泣いたんだろうな。そんな感想に猫の妖怪は「赤ん坊の頃はヒゲや尻尾を引っ張られて大変でした」と笑って応える。みんな良い子だったらしい。
それにしても何か、私今猫の妖怪と普通に会話してるな……あぁ~あ、それにしても耳ツボきもちいい。
極上の毛皮の感触に包まれながら、ぷにぷにの肉球で耳たぶを揉まれ、爪の先でツンツンとツボを突かれていく。
あまりの心地よさに、肩の力が抜け、強張っていた心も溶かされていく。
なんか、眠く、なってきた
◇
辺りは少し暗くなっていた。空を見上げると星が見え始めていた。
パッと見て月は見当たらない。新月かな? たぶん。
まぁ、月なんてしばらく見た記憶がないし、適当だけどさ。月がない夜も悪くないわ。
私は電話帳の画面から恋人の名を探してタップした。
「あ、ヨーイチ。今日さ。早く帰って来れる? 大事な話があるのよ…………うん、そう。いい話よ。楽しみにしてて。じゃあ――」