9話 リジェクティング・ドラゴン・フィールド
対竜機関として世界に知れ渡るRDOの実験。
それはキサラギに対して詳細を知らされてはおらず、実験中の動きすらもRDOに任されている。これはキサラギからすれば不満の多い依頼だ。こちらの言う通りに動き戦え、というのがRDOの言い分なのだから。
しかし、キサラギとしては言う通りにするしかない。
不満を抑え、言われるがままに尽くす。
そうせざるを得ないほど、キサラギとRDOの間には力の差がある。
「イーグル小隊が実験地の選定を行ってくれた。その結果、この場所で実験を行うことになった。実験開始は明日、五月二十一日の朝。それまでに持ち込んだ実験機器を移動させる必要がある」
夕方のミーティングでは哨戒中以外のメンバーが集められ、リシャールによる説明が行われていた。RDOのドラゴンスレイヤー、キサラギのドラゴンスレイヤー、そして作業員やオペレーターまでのほぼ全員が集められた大規模ミーティングである。
ここで実験と作戦の概要が初めて述べられることになっていた。
シオンはオペレータールーム兼作戦室として設置された大テントの端に立ち、ジッと地図を眺める。
(あの辺りは……昨日中型と戦ったあたりとも近いな)
リシャールは北西の二と指定されたエリアを指す。今日の午前中でキサラギのドラゴンスレイヤーがせっせと埋めた周辺地図なので、完璧かつ正確なものではない。それに特徴的な目印もない。ただ、座標によって管理された方位と距離だけが頼りだ。
「実験時間は六時間を想定している。明日の早朝より実験機を移動、設置する。そして肝心の実験についてだが、ここで発表する。ただし、本実験の詳細は君たちの任務遂行に必要だから述べるのであり、秘匿義務を強いられることを覚えておいてもらおう」
誰もが自然と息を呑む。
シオンも緊張で鼓動が早くなるのを感じた。
その間に助手のシモンとヴァンサンは簡易スクリーンを設置し、プロジェクターでデバイスの実験計画書を映し出した。
準備が整ったところで、リシャールは自慢気に実験計画を語り始める。
「まず研究背景だが、我々はドラゴンという脅威を倒すのではなく、誘導することで人類の安全圏を生み出すということを考えた。ドラゴンは厄災だ。人類は自然の怒りを倒すのではなく、避難区域を作ることで安寧を手に入れる。私たちはこれをリジェクティング・ドラゴン・フィールドと名づけたのだが、そのための実験が今回の私の試みとなる。つまり究極の目的はドラゴンの誘導であり、本実験は誘導が可能かどうかを試みるもの。このドラゴンが跋扈する竜の巣において、ドラゴンが存在しない空間が誕生すれば実験成功だ。計算上、実験エリアを中心として最大半径二千八百メートルの安全地域が形成されると考えている」
スクリーンに映し出されたのは富士樹海一帯の衛星画像である。そして現在位置を中心として二千八百メートルの円が半透明の青色で塗り潰される。リシャールの話が本当ならば、そのエリアがドラゴンの近寄れない安全区域として機能することになる。
テント全体から感嘆の声が漏れた。
これが事実ならば画期的な技術となる。
「現在、我々がドラゴンを遠ざける手段は対竜防壁に限られている。これはデミオンの振動を利用し、ドラゴンが嫌うノイズを発生させるという技術だ。しかしこの技術には大きな欠点がある。それは中型や大型には効果が薄いということだ。その欠点を克服し、あらゆるドラゴンに誘導を仕掛けるのが私たちのグループが開発した技術ということになる」
スクリーンが切り替わる。
映されたのはドラゴンの写真、そして性質の箇条書きだ。
「知っての通り、ドラゴンは人間を喰らうことで成長し巨大化する。そして傷を負った場合はドラゴンとドラゴンの共食いをすることもある。しかし動植物や無機物は決して食べない。最後に、この実験に最も関係のある性質だが、ドラゴンはデミオンに惹かれて移動する。彼らは同族のデミオンに惹かれるため、群れを形成するとも言われているほどだ。我々はこの性質を積極的に利用した」
続いてスクリーンには大量の数式と概念図が表示された。
ここまでくるとシオンは勿論、大抵のドラゴンスレイヤーには理解不能だ。技術者の中には理論を理解できる者がいるらしく、何度か頷いて納得の表情を浮かべていた。
「デュランテの第二方程式とフォッセル・マイヤー分布式を元にデミオン波動の挙動を予測し、ドラゴンを誘導するための最適デミオン状態を求めた。しかしこれは図を見て頂ければ理解できる通り、機械的配置では再現が難しい。そこでドラゴンスレイヤーの細胞からヒントを得て、生体細胞に組み込まれたデミオンの挙動を参考にした装置を完成させたのだよ。それが次のスライドで、この図が誘導装置の原理になる。またこの実験の成功はブラック予想に対する証拠の一つにもなるため、学術的な成果としても期待ができるのだ。しかし生体細胞にデミオンを組み込むという性質上、その制御は非常に繊細となる。そこで電極を利用した疑似神経的作用を――」
段々と話しが難解になり、シオンは詳細な理解を諦めた。
一方で技術者たちを見ると感心した表情を浮かべていたので、凄い技術であるということだけは理解できたが。
「さて! 問題の実験機について詳しく話そう。実験機は非常に大がかりで繊細だ。そこで分解して運ぶのだが、輸送そのものはイーグル小隊に任せる。そしてキサラギのシノビ諸君。君たちの役目は変わらず、移動中にドラゴンの襲撃があった場合、即座に討伐することだ。撃退でも構わないが、とにかく実験機に近づけないようにしてもらいたい。非常に繊細なものだから、絶対に頼むよ」
ここまでで実験開始までの話だ。
本番はこの先である。リシャールはスライドを次に送り、実験地周辺地図を再び表示する。しかし今度の地図は中心から百メートル間隔で同心円が描かれていた。
「実験中、我々は実験機の監視に努める。私の直接警護をイーグル小隊が行い、キサラギのシノビ諸君はドラゴンを警戒する網を作って貰う」
「質問、いいですか?」
「いいとも。何でも答えよう」
「ドラゴンの侵入が心配されるんですか?」
「無論だ。失敗すれば、逆にドラゴンがおびき寄せられるかもしれない」
何となく、テント内の空気がピリピリと張りつめ始めた。
その原因はキサラギのドラゴンスレイヤーたちだ。
(竜の巣でドラゴンがおびき寄せられる、か。冗談でも止めて欲しいな)
シオンの思ったことは他のドラゴンスレイヤーも思っていることだ。しかし、相手は自分たちより上の立場の依頼者である。言い返すことなどできるはずもない。元からそういう覚悟で任務に就いているというのも理由の一つだが。
シオンはスッと手を挙げた。
「君も質問かね? 何でも聞きたまえ」
「撤退はこちらの裁量で許されるんですか? あるいは装置の破壊は許可されますか?」
「撤退も装置の破壊もこちらの指示で行う。勝手な行動は許されない。もしもの時は私たちの撤退を君たちで援護してもらう。君たちには機材の回収を命じるかもしれないね」
「……そうですか」
逃げ道はない。
仮に実験が失敗すれば、終わりだ。
「質問はそれだけかね? では話を続けるが――」
もうここまで来てしまった。
キサラギのドラゴンスレイヤーに戻る道はない。最悪の事態ではリシャールたちを安全な場所まで誘導する必要もある。身を挺してでもだ。
楽観的な考えは死に繋がる。
(だが動きまで制限されたら……)
この任務で何十人も死ぬ。
シオンはそう予感した。
◆◆◆
ミーティング終了後、一〇一小隊の三人が音もなくキサラギのテントの一つに入った。そしてテントに設置された通信機を起動する。数秒後、ノイズ混じりに水鈴の声が聞こえた。
『……私よ』
「水鈴様、定時連絡です」
『諸刃ね。そちらの状況はどう? 明日の朝が作戦よね』
「あまり良くない事態になりました。実験の内容はドラゴンの誘導。その際に実験が失敗すれば大量のドラゴンが寄ってくる可能性があると」
『酷い実験ね。まるでこちらの安全が考慮されていないわ』
通信機の向こうで溜息が聞こえた。
補足とばかりに蒼真が追加の説明をする。
「ちなみに撤退の自由もなく、場合によっては実験機の回収を命令されるらしい。どうやら、俺たちを使い捨てにするつもりのようだ。どう動く? 水鈴姉さん」
『……科学者もRDOのドラゴンスレイヤーも皆殺しにして証拠隠滅はできる?』
「ちょっと冗談よね!?」
『その声は青蘭ね。冗談のつもりはないわ。これは想定していたことよ。あまりにRDOの横暴が酷いなら、事故に見せかけて皆殺しにするわ』
水鈴の声は本気だった。
しかしこれはリスクの高い行為である。故に第一手段は別にある。
『それで、実験機に一番近い警備はあなたたちがやるのよね』
「はい。それが最も効率的ですから。それと一〇六小隊にも同行して貰います」
『シオンのことね。いい加減、仲良くしてあげたら? いつまで余所余所しい態度を取るつもり? 幼馴染なわけだし、そろそろ――』
「水鈴姉さん、それ以上は言わせない。俺たちはあいつを許すつもりはない。よりにもよって一番の被害者の……諸刃に赦せだって? それはあんまりだぜ! それにあいつは――」
「もういい蒼真……そういうわけです」
『そう。残念ね。でも』
「あいつは何も知らなかった、か? それはもう聞き飽きた。だがあいつがやったことは知らなかったで済まされる話じゃない。それに知らないでも済まされない。本来なら地下室にでも隔離したまま――」
「蒼真!」
熱を帯びて口調が強くなる蒼真を嗜めたのは、諸刃だった。
「それは今、関係のない話だ。今重要なのは任務……それは理解しているな?」
「……ああ。悪かった」
「それでいい。水鈴様、続きを」
どこか荒々しい蒼真とは対照的に、諸刃は冷たい印象を覚える。決して声を荒げず、ただ静かに事実だけを述べる性格だ。
そんな諸刃を蒼真も信頼している。
だから彼の言葉一つで大人しくなった。
『何の話だったかしらね……そう、実験機の警備ね。生き残ることを優先しなさい。奴らに何と言われようと、あなたたちは生き残るのよ。私が許可するわ』
「しかし水鈴様、それではRDOとの関係が……」
『縁が切れる程度ならマシでしょうね。最悪は潰されるわ。でも切り札もある。私が何とかするから、あなたたちは生き残って。お願い』
「水鈴姉さん」
「お姉様」
水鈴の気持ちを三人は深く理解できた。特に蒼真と青蘭は。
五年半前の超大型ドラゴン襲撃により東京は壊滅し、如月家のドラゴンスレイヤーは多くが失われた。先代当主にして水鈴の父、如月崩水もその戦いで死んだ。蒼真にとっては叔父、青蘭にとっても父にあたる人物である。
まだ五年半なのだ。
大切な家族を沢山失ってから。
『命令は二つよ。危険があれば撤退すること。それにRDOの連中がそれに反抗するなら、殺してしまいなさい。証拠も残さず、全て消し去ってしまいなさい』
「かしこまりました」
代表して諸刃が返答する。
明日の動きは決まった。
『とはいえ、実験が成功するに越したことはないわ。遠くからだけど、成功と無事を祈っているわね』
それを締めの言葉として、水鈴の側から通信が切れた。
◆◆◆
文明の灯が途絶えたこの世界は美しい夜で飾られる。
視覚によって感知するドラゴンも夜は活動がほとんどなくなり、人類の天敵が空を舞うこともない。勿論、絶対ではないが。
「シオン、星は綺麗かな?」
「星……ですか」
木の上に登ってドラゴンの襲撃を見張るシオンのもとに、正一が訪れる。気配で気付いていたので声をかけられても驚きはしない。
「星よりも、その間の闇の方が好きです。星は眩しすぎる。暗い夜は吸い込まれるみたいで、自分が溶けていくみたいな感覚がして……なんだか好きです」
「俺は星も宝石みたいでいいと思うけどね。あの青いのはサファイアみたいだし、赤い星はまるでルビーだ」
「どっちも酸化アルミニウムですよ」
「夢がないなぁ」
「ダイヤモンドは炭素、ルビーやサファイアは酸化アルミニウム、水晶は二酸化ケイ素。宝石も蓋を開けてしまえば物質の化合物ですよ。綺麗かそうじゃないかなんて、所詮は人間の勝手な鑑定。石ころの方が価値があると思う奴がいるかもしれません」
「なるほど。人間らしいね。価値の押し付けというやつかな」
「それで本題は? 星の話をするために来たわけじゃないでしょ? 正一さんだって暇じゃないはず」
そうだった、と言わんばかりに頷く正一。
案外、シオンとの雑談を気に入っているらしい。仕事と私事を分けると言っていた割に、プライベートな会話も挟んでくる。シオンにはそれが驚きであった。
「そろそろ交代の時間だよ。夜の警戒は俺たちがやる。君たちエースは明日のために備えて寝るといい。俺たちは明日、待機という名の休憩だからね」
「もうそんな時間……」
「戻る時は気を付けて」
「そっちも気を付けてください」
「今晩が最後の夜にならないように、頑張るよ。ここはデミオン濃度も高いし、怪我にも気を付けないとそこからデミオンが侵入するからね」
「……竜人化したら、始末してあげます」
シオンは呆れ顔で木から飛び降りた。