7話 富士樹海②
五月二十日、朝。
富士樹海到着から一夜明ける。シオンは無事であったことに取りあえずの安堵をしていた。
眠る場所は車内とはいえ、まだ薄寒く、毛布に残った自分の体温が心地よい。
「起きたか? 湯を沸かしてるから飯を食って交代だ」
まだボーっとしているシオンにそう言ったのは車内に入ってきた玄だ。少々ぶっきらぼうだが、あまり棘は感じない。彼なりに努力してくれているのだろう。
彼ら三一七小隊は深夜から朝方にかけて拠点周囲の見回りを担当していた。迫るドラゴンをいち早く発見するのは調査小隊の仕事であり、『三』を冠する部隊がよく使われる。『三』はそのための専門的訓練を受けているのは勿論、普段からもドラゴンの移動などを観察し、報告しているのだ。
一方でエース級であることを示す『一』の小隊に属するシオンも、同じく調査向きの仕事が多い。竜人殺しという仕事を重んじられて『一』であることが認められているが、シオンもどちらかと言えば調査系の任務が得意だ。
「わかりました。玄さんもお疲れ様です」
「おう。もうすぐ正一と浅実も戻ってくると思うぞ。俺たちは寝る」
グッと背を伸ばして欠伸をしつつ、玄は箱から毛布を取り出して羽織る。そしてどこからか取り出したアイマスクを装着し、完全装備で眠り始める。それでも体を横たえることなく、座ったまま寝るというあたり戦士らしい。
(疲れ切っていたから少し丸かったのか? いや、キレられるよりはいいけど)
こうして眠る玄を見ていても仕方ないので、シオンは毛布を片付けて外に出る。湿気の伴った朝の風が気持ち悪く、清々しい朝日とは対極的だ。眩しさで瞬きを繰り返しつつ、電気ポットを設置した場所へと歩きだした。
(随分と疲れた雰囲気だな)
眩しさに慣れてきた目に映し出されるのは、どんよりという雰囲気である。昨日はピリピリと張りつめた空気に満ちていたが、皆がそれに疲れてしまったのかもしれない。身体的というより精神的に。
富士山付近の空には数えるのも面倒なほど小型や中型ドラゴンが飛び交い、何かの間違いで大量のドラゴンに襲われるかもしれないという緊張と恐怖がそうさせたのだ。
(正直、俺も眠れたとは言い難いしな……というかこんなところでグッスリ眠れるわけがないか)
デミオンを取り込み、身体能力や代謝能力が強化されているドラゴンスレイヤーは小さな休息でも充分な回復が望める。故に多少は過酷な環境であっても理論上は活動できるはずだ。しかしあくまでも理論上の話であり、実際はそうでもない。
精神の疲れは肉体へとフィードバックされる。
心が辛いと感じれば、肉体も辛くなる。
それを紛らわすために、並べられたカップの一つを取ってお湯を注ぎ、口に含んだ。ただのお湯とはいえ、温かい飲み物は心を落ち着かせる。染み込むような熱を逃がすように、息を吐く。
「はぁ……」
それと共に目も覚めていく。
意識がはっきりすると周りもよく見える。
キサラギのドラゴンスレイヤーたちは、どこかシオンを避けるようにそれぞれの作業に勤しんでいる。これがシオンに対する普通の反応である。シオンの竜人殺しで仲間を失っていなくとも、噂からシオンとのかかわりを意図的に避ける者は多い。
それでも業務上の連絡程度はしてくれるので、仕事に支障をきたすほどではないのが唯一の救いだ。
「三〇六小隊集合!」
それほど大きくはないが、よく通る声だ。隊長の命令で拠点各部から早足で集まってくる隊員たち。単独で小隊を名乗るシオンには無縁の光景だ。
「これより拠点北東側の監視任務を開始する。ここは無数の竜に支配された特殊なエリアだ。普段よりも集中し、些細なことにも注意を払うように。夜中から朝にかけてこのエリアを担当した三一七小隊からの引継ぎだが、北東の奥に泉を見つけたようだ。我々はそれが飲料水に適するかどうかを調べた後、補給路を構築する」
「質問ですけど、水が足りていないんですか?」
「いや、念のためらしいな。それと生活用水は限られているし、それを補充するためでもある」
これほど危険な場所への遠征は今までになかったことであり、何がどれだけ必要なのか詳細に把握している者はいない。手探りな部分もある。安全マージンのため、水の確保や樹海での食糧確保すら視野に入れているほどだ。
小型の太陽光発電パネルを設置し、電力生産まで行っているほどである。いざという時はこれらの設備もすべて放棄するつもりなのだから、この作戦で想定している損害は相当なものである。皮肉なことだが、RDOの支援物資無くしてはあり得ない作戦である。
(さて、俺も早く朝食を済ませて作戦に行かないと)
シオンは北東に向かって行く三〇六小隊を視界の端で眺めつつ、朝食に用意されている合成食材を箱から取り出した。
◆◆◆
左手に刀を持ち、散弾銃を背負って深い森を歩く。足元は草や苔に覆われ、気を抜くと体勢を崩してしまいそうだ。
(竜と戦う時は要注意だな)
普段の任務は川崎旧工業地帯を中心としたエリアでドラゴンを討伐する。それも一匹や多くとも三匹以内のドラゴンに狙いを定め、他のドラゴンによる乱入の可能性を排除した上での討伐だ。それも複数の調査チームと討伐チームが協力することが前提となる。
竜の巣のように複数のドラゴンが常に徘徊し、乱入の可能性も高い場所で、なおかつ足場や周囲の環境も普段と異なる上に地の利もないとなれば普段のコンディションで戦うことはできない。たとえ小型ドラゴンであっても、いつものように軽く討伐というわけにはいかないだろう。
「っと……」
垂れている蔦を手で払いのけ、道なき道を進む。森が管理されていないせいで鬱蒼としており、人どころか動物が通れる隙間すら少ない。
この辺りは拠点から五百メートル以上離れているため、ドラゴンに襲われてもすぐの救援は望めない。できるだけドラゴンに見つからないよう、木に隠れながら移動する。
そんな時、丁度シオンの上空でドラゴンが旋回した。
(あれは、小型か。降りてきそうだな)
ドラゴンが旋回をする時、それは降りる場所を探しているからだと言われている。シオンが予測した通り、小型ドラゴンは木々を薙ぎ倒して着陸した。
これらの倒木は探さなくとも見つかるため、ドラゴンの着陸に伴う倒木は頻繁に起こるということだ。
「ウゥゥゥ……」
唸り声を上げるドラゴンは何かを探すかのように周囲を見回している。ドラゴンと相対した時、気を付けるべきは視界に映らないことと音を立てないことだ。
音についてはドラゴンが動くタイミングに合わせることで誤魔化せるにしても、視覚的に見つからないようにするのは案外難しい。ドラゴンから見えないように動くためには、シオン自身もドラゴンが見えなくなってしまうからだ。
シオンはドラゴンに気付かれないよう、情報伝達を行う。
「こちら一〇六のシオンだ。エリア北の六で小型竜一匹と遭遇」
『拠点オペレーターよ。討伐は可能かしら?』
「いける」
『まだ拠点からは遠いけど、頼むわ。今のところエリア周辺に竜はいないわよ』
「了解」
拠点で待機しているオペレーターは各方面で見回りをしているドラゴンスレイヤーと連携を取り、監視網を構築している。そしてドラゴンを発見した場合、討伐可能ならばそれも指示するのが役目だ。今回はシオンが単独でドラゴンを討伐するだけの実力を有するためそのまま討伐へと移行するが、通常は調査小隊が発見し、その座標へと討伐小隊が急行することになっている。
シオンは音を頼りにドラゴンの進行方向を特定する。そして背後を取るようにして木々の間を移動し、できるだけ奇襲できる位置を確保した。
(距離は二十ってところか。尾に気を付ければ一気に懐までいける。後は一刺しで終わりだ)
ドラゴン討伐の基本は奇襲からの一撃必殺。
失敗すれば即座に離脱だ。
何度も繰り返した作業だが、環境が違うだけで様々な感覚が変化する。失敗するイメージが浮かび、首を振って打ち消した。
背後に回り込んだことで、簡単には見つからない。木の影からドラゴンの様子を伺う。相変わらず何かを探している様子のドラゴンは、まだシオンに気付いていなかった。後はタイミングを合わせるだけである。
(今っ!)
覚悟を決め、刀を抜いて木の陰から飛び出す。ついでとばかりに木の幹を力強く蹴り、自身の体を地面と平行な方向へと撃ちだした。ドラゴンスレイヤーの凄まじい肉体能力から生まれた推進力により、ドラゴンが気付くよりも早く懐へと飛び込む。
蹴った木の幹で少し滑ったために着地位置の目算を誤ったが、関係ない。
「はっ!」
「グァグルアアアアッ!?」
心臓を一突き。それで小型ドラゴンを仕留める。
デミオン供給が止まったドラゴンは力尽き、ビクリと震えて倒れた。シオンは押し潰されないように退避し、周囲を確認しつつインカムのスイッチを入れる。
「一〇六のシオンだ。小型を討伐した」
『了解。他にドラゴンはいるかしら?』
「今のところはいない」
『引き続き、乱入に気を付けてね』
「分かった。警戒を続ける」
そう言ってインカムのスイッチを切り、倒したドラゴンのコアを回収しようとした。
するとオペレーターの声が再び耳に響く。しかも雑音混じりの焦った声だった。
『ちょっと待って! エリア北東の四に中型よ! 地上を歩いてきたみたい。急行してくれる?』
「中型? 俺だけだと少し難しいぞ。時間稼ぎ程度ならいけるけど」
『それでいいわ。一〇一にも連絡したから、向かってくれるはずよ。でも彼らは南西にいるから、到着に二百秒から三百秒はかかると思って!』
「よりにもよって……」
シオンは嫌な顔をしつつも走り出した。
移動の困難な森林の中とはいえ、ドラゴンスレイヤーの身体能力なら三十秒で到着できる。それを差し引いたとしても、援軍の到着は三分以上後ということだ。この戦いにくい場所で中型を相手にするというのは非常に面倒である。
「それに北東って言ったらあいつらか」
今朝、北東側へと向かったのは三〇六小隊である。シオンは彼らが出発するところを見ていた。勿論、彼らが遭遇したとは限らないが、奥の泉に行くと言っていたので可能性は高い。
「いざとなったら」
走りながら腰のポーチを意識する。
中には切り札たるDアンプルが五本だけ入っている。数が限られるので、多用はしたくないというのが本音だ。しかしそうも言っていられない。
シオンは目的地に向かって走った。