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ドラゴン×キス  作者: 木口なん
1章 竜の少女
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6話 富士樹海①





 富士樹海は過酷な環境として知らえているが、二百年前から既に都市伝説ともいえる噂があった。

 特殊な磁気のせいで方位磁針が効かない、自殺死体が転がっている、人を襲う動物が生息している、自殺しきれなかった人の村がある、独自の新興宗教がある……。

 しかし竜の巣となってからは本当の人外魔境となり、もはやその実態を知る者はいない。かつて青木ヶ原樹海と正式に呼ばれていた頃は富士山麓の北西に位置していた深い森だった。しかし今や富士山を囲むように広がる大樹海となっており、空には常にドラゴンが飛び回っている。



「お? 車が停まったか?」

「みたいだね。疲れたかい玄?」

「まあな」



 シオンも慣性で身体が前に持っていかれるのを感じ、目的地に着いたのかと考えていた。

 しかし窓のない車であるため、ここがどこなのかは分からない。車両の防御性能を高めるため、フロントガラス以外に外を確認する手段はほとんどない。一応、カメラで外を確認できるため、シオンはすぐにモニターのスイッチを入れた。

 そこに映ったのは、遥か奥に広がる大樹海である。まだ到着ではないらしい。

 予定では御殿場インターチェンジから一般道へと降りた後、この樹海を目指して北西へと進むことになる。またここからはドラゴンの襲撃が多くなる可能性が高い。モニターには樹海の上に鳥の群れが飛んでいるだけに見えるが、それが全てドラゴンというのだから恐ろしい。

 かつては紙幣の裏面にも描かれた霊峰富士は生い茂る樹木に覆われ、完全に樹海の一部と化している。植生など関係ないとばかりに頂上付近にも緑が侵食していた。



「あれが富士樹海、富士山か」



 シオンの一言が皆の意思を代弁していた。

 噂にだけ聞いたドラゴンの楽園。一目で分かる驚異的なドラゴンの数。そして今からここに侵入して実験をしなければならないという事実。それらを内包した言葉だった。



「嘘でしょ。あんな所に行くの? 聞いてないわよ」

「言うな浅実。実際に言葉にされると……くるものがある」

「正直、予想外だったね。これほどとは」

「なぁ正一、俺たち生きて帰れるのか?」

「ちょっと自信が無くなってきたね」

「それに私たちと同じ車に乗っているのは疫病神の竜人殺し君だからね」

「浅実、こら」

「……ふん」



 浅実の発言を正一は諫めたが、シオンは興味もなかった。慣れているし、いちいち反応していたらきりがないからだ。

 シオンはただ、樹海の様相に圧倒されていた。



(正直、侮っていた。あれが竜の巣)



 ドラゴンは小型であっても討伐が困難だ。チームを組み、作戦を立ててようやく倒せる対象である。エース級小隊ならば単独でも小型ドラゴンを楽々倒してしまうこともあるが、それは例外だ。まして中型ドラゴンすら飛び交う竜の巣に行けなど、死ねと言われているのと同じだ。

 それを今、実感した。

 皆が意気消沈するなか、車内に機械的な合成音声によるアナウンスが流れる。



『これより光学迷彩を使用します。電力カットにご注意ください』



 同時に車内の明かりが最低限となり、足元を照らす非常灯と各種観測機器だけが点滅する。薄暗い空間の中、三一七小隊の面々は意気消沈しているように見えた。いや、絶望すらしているようだった。

 車両に搭載されている光学迷彩は、実はかなり不完全なものである。仕組みとしては、カメラによって進行方向の風景を取り込み、各部に取り付けられたプロジェクターによって車表面を覆うように表示するというものだ。移動速度に合わせてAIが自動調整してくれるため、技術としては高等なものである。

 しかし一方でかなりの電力を消耗するため、移動用車両に取り付けて運用するにはコストが高すぎる。常時使用は現実的に不可能ということは勿論、ドラゴンの襲撃でプロジェクターが破損すれば使い物にならなくなるというリスクを抱えている。それに光学迷彩そのものも優秀とは言えず、よく見れば違和感がある。稀にだが、見破ってくるドラゴンもいるのだ。



「ドラゴンに見つかりませんように……」

「誰に祈ってんだ?」

「……仏とか天照とか? もうアッラーでもキリストでも何でもいいわよ」

「適当だなおい」



 しかし祈ることしかやることがないのも事実。

 そして冗談でも言って気を紛らせでもしなければ緊張で潰れてしまいそうだ。



(いつもの川崎とは違う。気を抜いたら……死ぬ)



 シオンは深呼吸する。

 そして自らの命を預ける竜殺の刀を握り、ポーチに収納したデミオンアンプルを確認。身に付けた防具の留め金をしっかりと嵌め直し、散弾銃を無意味に触る。

 落ち着こうとする心と、落ち着かない仕草が矛盾していた。

 そんなシオンに玄は苛立たし気に怒鳴った



「鬱陶しいぞ竜人殺し。死ぬときは死ぬんだ。呆気なくな」

「……それはすみません」

「ちっ……」

「こら。玄も彼に当たっちゃだめだよ。彼だってドラゴンスレイヤー歴は長くないんだから」

「お前はどっちの味方だよ」

「俺は仕事の時は私情を挟まないことにしているんだ。いい加減、二人ともコミュニケーションを取るように。これは三一七小隊の隊長としての命令だよ」



 それを言われて玄は忌々しそうに舌打ちする。浅実も嫌そうな顔を隠しもしなかった。

 正一は溜息を吐きつつ、二人を諫める。



「仲良くしろとは言わないよ。でも、自分から和を乱すような言動は控えるように。ここから先は本当に命がかかっている」



 分かったね、と念を押され、二人も渋々ながら頷く。

 そして正一は改めてシオンに話しかけた。仕事と私事を分けるというのは本当らしい。ドラゴンスレイヤーの先輩として助言をする。



「シオン、君は肩の力を抜かなきゃ。力を出すべき時に本来の実力が出せなくなるよ」

「別に力んでいたつもりは……」

「いいかい? 年上のおじさんからの助言だ。死ぬ覚悟はした方がいい。でも、死ぬ覚悟は諦めとは違うことだよ。死ぬ覚悟は自分の肩の力を抜く手助けをしてくれる。そして死ぬ覚悟があるからこそ、俺たちは生きるために最善を尽くし、最良を考え続けることができるんだ。俺たちの仕事は死と近すぎるからね。死との距離感を掴むということは大切なことだと思うんだ」

「死との距離感」

「そうだね。死に近づき過ぎないように、死から目を逸らして歩み寄ってくる死に気付かないこともないように」



 死の危険が付き纏うドラゴンスレイヤーは、任務を繰り返す中で危機管理能力が失われ、何かのきっかけで狂戦士の如くドラゴンへと戦いを挑むことがある。それを防ぐために定期的なカウンセリングが義務付けられており、それはシオンも例外なく受診しているものだ。

 特に単独で任務をこなすシオンは何かあった時に止めてくれる者がいないため、厳重な自己管理が求められる。



(俺らしくもなかったな)



 いつもならもっと冷静だった。

 しかしシオンは思っていた以上に緊張していたらしい。

 大きく息を吸い込み、ゆっくりと吐き出す。空気と共に緊張も抜けていった。適度な脱力により、頭の中もスッキリする。



「落ち着いたかな?」

「お蔭さまで。ありがとうございます」



 心の戦闘準備は必要であり、備えを怠れば初動に遅れて死に至る。死の危険を感じつつ、死を遠ざけるための心構えを忘れない。

 それでも富士樹海は無数のドラゴンが住まう魔境だ。

 無意識に募る緊張から、シオンたちの言葉数は徐々に減っていった。

 





 ◆◆◆





 東経百三十八度八十七分、北緯三十五度三十二分。

 そこが実験の目的地だ。富士山東側の麓であり、樹海の少しだけ奥だ。ただし、奥といってもまだまだ序の口であり、樹海の深奥には未知の空間が広がっている。



「これ、食べれるのか?」



 拠点を設営するシオンは、荷物を運ぶ途中で木の幹に生えたキノコを見つけた。キノコは栽培の容易さから、キサラギでも積極的に食料として採用されている。合成タンパク質や合成糖質が一般的な食糧の中、キノコは希少な生の食材だ。

 ふとした疑問を呈するシオンに答えたのは、驚くべきことに同じく荷物を抱えた浅実あざみだった。



「それ、食べれないわよ。毒があるから」

「……びっくりした」



 意外なことだったのでシオンも思わず足を止めてしまった。

 すると同じく彼女も足を止め、目を逸らしつつ口を開く。



「態度が悪かったのは謝るわ。悪かったわね。でも、これはあくまでも仕事だからよ。莉乃のことを許したわけじゃないわ。それより、その辺のキノコは食べない方がいいわよ。特にそれはドクササコって言って、食べると数週間は激痛に悩まされるわ」

「見た目はエリンギなんだけど」

「素人が見たら間違いそうね。でもエリンギはもっと柄が太いから区別には気を付けて」

「詳しいですね」

「まあね」



 意外な特技である。

 確かにドラゴンスレイヤーの任務において、サバイバルが求められることもある。そのため、シオンも多少のサバイバル知識は有しているつもりだ。しかしキノコの鑑定眼までは持っていない。そもそもキサラギ周辺で任務をこなす限り、キノコの知識が必要となる場面がないのだ。

 シオンは興味が湧き、別のキノコを指して問いかける。

 薄く黄色がかった傘の小さなキノコだ。



「……たぶん、キヌメリガサ。似たようなキノコでニガクリタケっていう毒キノコがあるの。私も二つ並べたら判別できると思うけど、片方だけ見せられるとちょっと自信がないわ。それにニガクリタケに似ているクリタケってのもあるから」

「うわ、面倒臭い」

「区別の難しい毒キノコは多いわ。この富士樹海はキノコが豊富だし、食べられるキノコも多いけど。というか、まだこの季節はキノコが少ないハズなんだけど、結構生えているわね。これも竜の巣の影響かしら?」

「竜の巣の影響下にある地域は環境がおかしくなるらしいからなぁ……」

「それはともかく、あまり不用意にキノコを採取して食べない方がいいわね。毒がないと思ったら毒キノコだったり、毒キノコっぽい見た目なのに食べられたりするから」

「毒キノコっぽい食べられるキノコ……たとえば?」

「カベンタケモドキね。この辺にはないけど、萎れた花びらみたいな形で、色は鮮やかな黄色よ。ぱっと見ではキノコとすら気付かないかもしれないわね。毒々しい見た目だけど、食べられるわ。富士樹海でもたまに見られるから。見た目がいいから、厄災前は正月の祝い料理に使われたこともあるみたいよ?」



 随分と詳しい解説にシオンは驚きを隠せなかった。素直に凄いと称賛できる。

 つい興が乗って新しい質問を投げかけてしまう。



「キノコってどんな場所に多く生えているんですか?」

「日当たりが悪くてジメジメしたところなら比較的簡単に見つかるわよ。そうね……苔が絨毯みたいに広がっているような場所だったら幾らでも見つかると思うわ。毒キノコもね」

「ちなみに毒って火を通せば大丈夫だったりは?」

「しないわよ。でも毒のないキノコでもしっかり火を通すのは勿論だけど、事前によく洗って塩水につけておくことをお勧めするわ。虫がついていたりするから」

「獲ってすぐ食べるってことには向いていないわけか」

「そういうことよ。でも、毒じゃないキノコなら焼いてしまえば死にはしないわよ? どうしてもサバイバルで必要になったらやってみてもいいかもしれないわね」



 新しい知識は面白く感じる。

 しかし、シオンが更に質問を重ねようとしたところで、浅実は制した。



「そろそろ仕事しましょ。その荷物はどこに運ぶの?」

「運ぶというか、設置までが仕事です。これ、打ち上げ閃光弾なので」

「ああ、そういうことね。それと……気を付けなさいよ? 一応ね。別に心配しているわけじゃないけど、今は仕事中だから」

「……ありがとうございます。浅実さんも」

「言われるまでもないわ」



 シオンは長く話し過ぎたことを気付かされ、仕事へと戻る。長く付き合わせてしまった浅実も気を悪くしたわけではないらしく、軽く手を振ってから彼女の仕事へと戻っていった。

 正一の言ったことが効いているらしい。

 一応は対話を試みてくれるようだ。



(莉乃って人を殺したことは、まだ引きずってそうだな。赦して欲しいなんて烏滸がましいこと、口が裂けても言えないけど)



 数日前まで彼女の小隊の仲間だった莉乃。任務中に竜人化しかけた莉乃を殺したのは他ならぬシオンである。普通なら、心理的なしこりが残って当然である。寧ろ冷たくあしらわれ、激しい罵倒によって責め立てられるとしても理解はできる。

 打ち上げ閃光弾の設置位置を考えながら、あの日を思い出す。

 デミオンに侵食され、赫竜病から竜人化へと急激な進行した莉乃。赫竜病を止める手段はなく、竜人化した者が人間に戻ることはない。竜人化の場面に居合わせたのなら、慈悲で殺すのが常道だ。しかし割り切れるものは滅多にいない。仲間であり、まだ完全に竜人化していない者を即座に殺すということの難しさはシオンがよく理解している。



(気を使ってくれている、ってことか)



 莉乃の額を刀で貫く感触。

 ただの鋼ならば不可能であっただろう、頭蓋骨の貫通すら可能な対竜武装は非常に強力だ。刃こぼれもなく、人間は勿論、ドラゴンすら両断できる。

 そんな兵器で人を殺すということがどういうことか、浅実は理解しているということだ。彼女だけでなく、正一と玄も分かっているのだろう。だからシオンを執拗には責めないのだ。いや、だからこそ接し方に戸惑っているのかもしれない。

 本来、竜人化が進行した時点で正一が殺さなければならなかった。そして同じチームである玄か浅実はそれに協力しなければならない。

 竜人の攻撃がドラゴンスレイヤーに対して赫竜病を誘発し、更には急性竜人化をも発症することから当然の規則だ。殺せるうちに始末しなければ、別の仲間が死ぬか竜人化する。

 まだ人間である仲間を、竜を殺す兵器で殺す。

 それがどれほどの重荷であるかは数字を見ても簡単に分かる。実際、任務中に竜人化した仲間を即座に殺せたという事例は少ない。後日、竜人殺したるシオンが赴いて討伐している。

 重圧に負けた自分たちの代わりに、やるべきことをしてくれた。正一たちはそのようにシオンを解釈して、折り合いをつけようとしてくれていた。



(珍しいタイプだったな。血族じゃないからか?)



 そう思ってくれる人は少ない。

 折り合いを付けることができず、シオンと関わることを止めるという対応の方が普通だ。特にキサラギの竜殺血族の間ではシオンの話も広まっている。彼らはシオンと同じ仕事をしたがらないし、仕事でないときは近づくこともしない。

 仕事中であっても話しかけてくるケースはレアだ。



「よし」



 打ち上げ閃光弾を作動させる電波チャンネルをセットし、誤作動を防ぐための安全装置を解除する。対応する番号を送信すれば、ドラゴンの目を眩ませる閃光弾が打ち上げられるというわけだ。

 シオンの仕事は、これを残り八つ設置することである。

 他にも空を飛ぶドラゴンの目を誤魔化すための緑色ネットを張る仕事、ドラゴンの襲撃に備えて大型機関銃を組み立て設置する仕事、予備の武器を配置する仕事、やることは沢山ある。竜の巣という特別な場所において、対策をし過ぎるということはない。

 一方でRDOの学者やドラゴンスレイヤーは実験の準備に余念がない。彼らは彼らで自分たちの実験のことで忙しく、拠点設営を手伝ってくれるようには見えなかった。



(あの車、機密実験物を積み込んでいるんだよな。よっぽどデカい機械なのか)



 医者の彰から聞いた話によれば、ドラゴンの誘導という実験を行うことになっている。それがどうにも耳に残り、今も気になっていた。




本作品では通称である富士樹海を多用しますが、正式には青木ヶ原樹海です。色々と都市伝説があるみたいですね。


次の投稿は来週になります。

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