4話 悼み
レジスト・ドラゴン・オーガニゼーション。略称RDO。設立当初は国連の部署に過ぎなかったが、現在では独立した組織となっている。
この組織の前身となる研究機関は百年以上前には世間で存在が確認されていた。ドラゴンの出現と共に現れたデミオンの発見、ドラゴンスレイヤーの開発、対竜武装の開発、対竜防壁の開発など、人が生き残る上で基盤となったあらゆる技術を古くから生み出してきた。
それがゲオルギウス機関。
RDOの中核をなす研究機関である。
「リシャール主任! キャトル用の測定器ですが、実験車に設置完了しました」
「ありがとうシモン君。ところでキャトルの状態はどうだね?」
「ヴァンサンがチェックしてくれているはずです。勿論、実験に向けて調整もしていますし、特に問題はないかと」
「よろしい。極東で行う実験は向こうの時間で五月二十日に決まった。我々は輸送ヘリで機材と共に向かうことになっている。くれぐれも慎重にな。我々の理論を実験する貴重な機会なのだ」
ゲオルギウス機関のある研究プロジェクトを担うダニエル・リシャールは極東の竜の巣で行う実験に今から高揚していた。実験が実験だけに、何度も挑戦することは難しい。理論構築とシミュレーションを重ね、十五年以上の歳月をかけてこの日を待った。
「主任、キャトルの状態チェック完了です。問題なしでした」
「ヴァンサン君か。今日もよくやってくれた」
「はい。ありがとうござます。これでキャトル計画も完遂できそうですね」
「ああ。トロワ計画が失敗して二十四年。そこから新しくキャトル計画を立ち上げ、ようやくここまできた。デュランテ博士にも礼を言わねばならないな。キャトル計画の初期には随分と協力してもらった」
リシャールは随分とご機嫌だった。
彼の頭にあるのは二十年以上かけた計画の実行と、そこから生まれる結果である。当然ながら、実験失敗における被害のことなど考えてはいなかった。
◆◆◆
五月十七日、キサラギは三機の大型ヘリを迎え入れた。全てRDOが有する大型輸送ヘリである。軍用に設計されたものであり、戦車を輸送することすら可能だ。それがキサラギの航空基地へと降り立った。
ヘリから降りてくるのは統一された装備のドラゴンスレイヤーたち。そして次に技術者や科学者と思われるスーツの集団だった。
「来たわね」
「はい。水鈴様、あの方が今回の実験主任、ダニエル・リシャール博士です」
航空基地で待っていた水鈴も、今日はドラゴンスレイヤーとしての制服を着こなしていた。彼女はキサラギの統治者でもあるが、本来は前線で戦うドラゴンスレイヤーである。それにキサラギには礼服など作っている資源の余裕がないため、正装として通用する制服を着用していた。
水鈴は秘書の夏凛を連れ、一歩前に出る。
それに反応し、リシャールも護衛のドラゴンスレイヤーを引き連れて早足に寄ってきた。
「おお! あなたがキサラギの責任者、ミスズ・キサラギさんですね? こうして出会えて光栄だ」
「ええ。ダニエル・リシャール博士ということでよろしいわね?」
二人は英語で挨拶を交わす。
互いにフランス訛り、日本語訛りこそあれ、通じないことはない。
人類はドラゴンという脅威に晒されて以降、より協力的な体制を取るために言語の共通化を進めてきた。日本も例に漏れず英語教育の強化を実行し、現代においては子供でも英語での会話は充分である。論文にしろ交易にしろ協力関係を結ぶにしろ、言語の壁が立ちはだかっては話にならない。
ただ、その反動として日本語教育は徐々に薄れ、漢字も最低限になりつつある。各自の名前も漢字こそあるが、公式文書ではカタカナで登録されていた。
「さて、紹介しましょう。私の助手のパスカル・シモン君とアレクサンドル・ヴァンサン君だ。そして今回の実験を支援するべくゲオルギウス機関が送ってくれた勇士たちもいる」
「勇猛な方々のようね。流石は世界最大の竜に抗う組織といったところかしら」
「何をおっしゃる。極東のシノビたちの噂は我々にも届いているとも。君たちの装束……それが伝統的なニンジャをモチーフにしているという最強の装備か」
「いえ、そういうわけではないのだけど……」
水鈴は少し困ったように首を傾げる。
確かに、このキサラギのドラゴンスレイヤー制服は忍者を思わせる。元は侍をイメージして着物に似せた服を強化繊維で作ろうとしたのだが、いかんせん着物という服は動きにくい。ドラゴンと命懸けで戦う以上は戦いやすさが優先され、デザインは身体のラインに沿うように変えられた。様々な試行錯誤の結果、侍の着物と忍装束が融合した漫画やアニメにありがちなデザインとなったのである。
要するに、海外の人々が歓喜乱舞するような見た目となったわけだ。
そういった経緯があり、キサラギのドラゴンスレイヤーは通称でシノビなどと呼ばれたりする。
「まぁ、情報収集や暗殺風の竜殺を重視しているし、あながち間違いでもないわね」
「ほう! やはり君たちに実験協力を依頼して正解だった。私も未知の領域、竜の巣は怖くてね。君たちほどの実力があれば、未知の場所での実験も問題ないだろう。構想二十年……いや、それ以上の時をかけた私の全てなのだ。どうか頼むよ」
「全力を尽くしましょう。さて、立ち話もなんですし、私たちの本部へ。ドラゴンスレイヤーの方々は宿舎を用意しているから、そこで自由に過ごして貰って構わないわ。機密もあるからある程度の制限はさせてもらうけどね」
「ありがたい。ただその前に私たちの実験機材の積み下ろしをしたくてね。それと今回の実験協力の報酬も持ってきた」
「確か実験車両があったのよね……夏凛」
意図を理解した夏凛はデバイスを操作しながら説明する。
「今回の実験において、実験機材が車両一つ分と事前に聞きましたので専用倉庫を用意しました。倉庫のパスコードを渡します」
夏凛が小さなデータチップを見せる。
「このタイプのデータチップは対応していますか?」
「勿論だとも」
「ではこのパスコードを利用して倉庫の管理を行ってください。倉庫は後で私が案内いたします。また今後の予定ですが、本日は小さなミーティングの後お休みいただき、明日の早朝より詳細の会議を行います。明後日、十九日には出発しますので、そのつもりで準備をお願いします。では早速、案内いたします」
「お願いするよ。さぁ、みんなも手伝ってくれ」
リシャールが呼びかけると、ドラゴンスレイヤーたちは積荷を降ろすために動き始める。デミオンで強化されたドラゴンスレイヤーの体力なら、重労働も苦にならない。
その間、水鈴は夏凛に日本語で指示した。
「夏凛、監視は怠らないようにしなさい」
「分かっています。『シノビ』の実力を見せてあげましょう」
「あら。見せちゃダメじゃない」
「そうでした。では見せないように任務を遂行したします」
水鈴とて大人しくRDOに従うわけではない。
彼らが言うシノビのやり方で、抵抗しようとしていた。
◆◆◆
作戦を控えたシオンは暇を持て余し、キサラギの街を歩き回っていた。地上は居住区や工場区になっており、特に面白みはない。この都市に住む六十万の人々ほぼ全てが工場区の労働力なのだ。ただし一部の人は二月機関の職員だったり、研究員だったりする。また子供は全て義務教育により中学レベルまでの教養を身に付けることを強制される。研究職や医療従事者などを望むならば高等学校に進学し、卒業後は二月機関の研究室や病院で専門分野を学びつつ従事していくことになる。
ちなみに高等学校以上になると英語や数学や理科しか学ばせて貰えない。
だが、シオンは学校に行ったことがなかった。
(子供か……それに母親も)
ふと立ち止まり、居住区で遊ぶ子供たちを眺める。まだ義務教育年齢に至っていない幼い子供たちで、ドラゴンという脅威すら知らないはずだ。こうして対竜防壁に囲まれて一生を過ごす彼らは、もしかすると死ぬまでドラゴンを見ることがないのかもしれない。
シオンにはそれが羨ましく見えた。
(今度の任務に失敗すれば、あの子たちも竜を見ることになる。それも最悪の、超大型竜かもしれない)
ドラゴンスレイヤーとなるためには、デミオンに適合しなければならない。しかし僅かとはいえドラゴンの因子を取り込むのだ。赫竜病という大きなリスクも孕んでいる。実際にドラゴンスレイヤーとして適合できる可能性は千分の一とも万分の一とも言われている。
キサラギがそんな小さな可能性の中で都市を維持できるほどのドラゴンスレイヤーを確保できている理由は、かつての日本政府が行った人体実験のお蔭だ。日本各地の機密研究所でドラゴンスレイヤーを生み出す研究が行われ、ドラゴンに適合した一族を生み出した。
その最初の一族が如月家であり、その後で生み出された竜殺しの一族には『二』以外の数字が与えられた。中でもキサラギに所属するのは六道家、七尾家、八神家の三つである。基本的にはこれらに如月家を加えた四家からドラゴンスレイヤーが輩出されるのだ。
ただ、稀に一般人の中にもデミオンに適正を持った者が生まれ、そういった者はドラゴンスレイヤー候補生として竜殺し一族に混じり、特別な教育と訓練を受ける。
これがキサラギのドラゴンスレイヤー育成システムだ。
つまりドラゴンスレイヤー候補ならば、一般教育の他に竜殺を学ばなければならず、普通の義務教育よりも早く教育が始まる。この時間帯に居住区で遊んでいる子供は一般人であることが確定的というわけだ。
(そうでなくとも竜が移動したせいでデミオン濃度が変わることもある。一般人からすれば竜より赫竜病の方が怖いだろうな)
キサラギはデミオン濃度レベルが最低値であり、滅多なことで赫竜病に感染することはない。しかしキサラギ内部にはデミオン資源を利用したものも沢山あるので、何かのきっかけでそれに触れ、赫竜病に感染するケースもある。
一定以上のデミオンを体外へと強制排出する体質のシオンには無縁の感覚だ。絶対に赫竜病には罹らないのだから。
「……行くか」
自らにそう言い聞かせ、居住区の中心部へと向かう。
シオンの目的地は遠くからでも見える石の塔だ。形状としてはオベリスクのようで、わざわざこれのために一区画が整備されていた。限りある資源を有効活用するキサラギの方針に反するようだが、これには理由がある。
「今日も、多いな」
シオンはオベリスクの周囲に佇んでいる人々を見て呟いた。
彼らは目を閉じ、祈りを捧げているようにも見える。いや、事実として祈っていた。亡くなった家族や友人のために。
このオベリスクはキサラギに存在する唯一の慰霊碑。そして墓地の代わりだ。
全ての死者を埋葬するだけの土地を確保できないため、代用として石の塔を建てた。この下に遺体や遺灰が埋まっているわけではないが、キサラギの住民はこのオベリスクに向かって祷る。
勿論、シオンもそのために来た。
(こんなところで祈ったとして、赦されはしない)
始末……いや、殺した竜人のために。
あるいは竜人になりかけて、介錯した同僚のために。
(だが、せめて安らかに眠り、願わくば竜が消えた世で新たに生まれるように)
祷りが届くか、あの世があるのか、生まれ変われるのかは分からない。
しかし、シオンはそう願わずにはいられない。それは死者のためではなく、己のためにも。
「君は、如月シオンか?」
唐突に背中から声をかけられ、シオンは目を開いた。
振り向くと、そこには非常に顔の合わせ辛い人物、正一がいた。先日、任務とはいえ彼の小隊の仲間だった莉乃を殺したばかりだ。とても仲良く会話できるとは思えない。
しかし声をかけてきたのは正一だ。
少なくとも無視という選択はない。
「正一さん……ですか。黙祷に? あの人のために?」
どう反応してよいか分からず、丁寧な声で返答する。
シオンとしてはもっとギクシャクした何とも言えない重い雰囲気を想像していたのだが、正一は思いのほか明るい表情で近寄る。
「君は関係ない……と言いたいところだけど、先に話しかけたのは俺だからね。黙祷というか、莉乃に謝るために来たんだ。結局、俺は莉乃を殺してやれなかった。竜人になって理性を失って暴れることは分かっていたのに。俺以外に殺させてしまった」
「いや、俺は……」
「ああ。分かっている。シオンの仕事が竜人殺しだってことは知っている。それに竜人は殺さなければならないことも頭では分かっている。だけど考えれば考えるほど、俺の心は……ぐちゃぐちゃになるんだ。今日はその気持ちに整理をつけたくて……来たのかもしれない」
「……俺がここに来るのも自己満足のようなものですよ」
「君は新人研修が確か一昨年だったね。まだ竜殺しになって二年……いや、もう二年か」
竜人殺しとしてエース級小隊に抜擢されてはいるが、シオンはまだドラゴンスレイヤーとして正式に働き始めて二年だ。ただの十五歳の少年だ。
まだその精神は未成熟であり、未成熟でありながら心の歪む戦いを強いられる。
正一はそんなシオンのことを想い、少し同情した。だがまだ仲間を殺されたあの瞬間が脳裏を過る度に、沸々と怒りが湧いてくる。
「俺は自分がコントロールできない。君のことを恨んでいるし、殴って罵倒してしまいたい。理性で分かっていても、感情が抑えきれない。どの面を下げてここに来たんだと糾弾したくなる」
「……俺はここに来ない方が良さそうですね」
「いや、少し言い過ぎたようだ。大抵のドラゴンスレイヤーはね。戦いに身を置き、命を対価にし続けることで心が摩耗する。たとえドラゴンでも、殺すという行為が日常化するとおかしくなってくるんだ。俺の友達が普通を過ごしている中、俺だけが異世界にいるような気になる」
極度の緊張が毎日のように続き、殺すという感覚を手に染み込ませる。昨日は共に食事した友が、今日はドラゴンに喰われることもある。ドラゴンスレイヤーの中には、精神的に不安定な者も多くいる。
そんな彼らにとって、死者を弔い、祷るという行為は数少ない『人間らしく』あるための方法だ。
「俺たちは死別した仲間を想うことで、人らしくなれる。完全な化け物にならないように。だから君にはここに来て、ちゃんとした人であって欲しい。少なくとも俺は、君が殺した人のことを一生後悔して欲しいと思っている。人殺しの化け物になって、何も感じなくなるなんて認めないよ」
「人らしく……随分と惨いことを頼みますね。ですが受け入れます」
「これは俺自身にも言い聞かせていることだよ。元々俺は一般人の家系だからね。シオンみたいな竜殺しの一族じゃない。突然変異みたいなものだから、俺の子供は普通に育って、普通に働くだろう。だから、俺は将来の親として人間らしくありたいんだ。実は来月、男の子が生まれる」
「結婚してたのか……」
「隠しているつもりはなかったけど、俺だってもう二十代後半だから。結婚ぐらいしている」
正一は苦笑する。
だが、すぐに厳しい表情になった。
「子供が生まれるからね。死ぬわけにはいかない。俺たち三一七小隊も明後日の大規模作戦に参加する」
「……そっか、調査小隊だから」
「未知の場所を切り開くのはいつも俺たちの役目だ。仕方ないけど、どうしても不安になって。シオンも作戦の中軸にいるんだろう? その体質を利用して高濃度デミオン区域の調査や竜の誘導をするかもって聞いたけど」
シオンは頷く。
確かにシオンは赫竜病に罹らず、竜人から傷を受けても竜人化しない。
一定以上のデミオンを強制排出する体質のお蔭で、普通の人間が侵入すれば一瞬で竜人化してしまうようなデミオン濃度の区域でも問題なく活動できてしまう。
だが、この体質はリスクも抱えているのだ。
ある種のトラウマである。
オベリスクを見上げつつ、かつての罪を思い出した。
どこか儚いシオンの背中を眺めつつ正一は厳しい声音で言い放つ。
「竜の巣はデミオン濃度が高いエリアだ。だから赫竜病の感染率も……君はまた、竜人を殺すかい?」
「……はい。仕事ですから」
「そうかい。精々、化け物にはならないでくれ。そしてどうか一生、苦しんでくれ」
正一が子供のために戦うように、何かのために戦えるなら人を保てるのだろう。ドラゴンスレイヤーの永遠の命題なのかもしれないとシオンは思う。
(いや、俺はもう……充分に化け物だ)
竜人殺しは、ある意味で九のために一を切り捨てるような行為だ。
この厄介な称号と共に必要悪を背負わされたシオンを、誰が理解してくれるのだろうか。自身を化け物と自覚してしまった人間を、誰が満たしてくれようか。
いや、シオン自身ですら、それらを望んでいないのかもしれない。
歪を自覚してしまっているからこそ、理解されないことを望むのだ。




