37話 最悪の竜人
竜人、獅童源三の戦闘力は想像を遥かに超えていた。
赫竜病に感染した場合、体表に竜鱗が生じてそれが広がっていく。だが侵食が進み、その肉体が負荷に耐え切った時、竜人化してしまう。だが、竜人化にも段階が存在する。
竜鱗、爬虫類のような縦長の瞳、鋭い歯、角、そして翼など。これらの異形の部位が多いほど、強力な竜人ということになる。通常のドラゴンがデミオンを取り込んで巨大化するように、竜人はデミオンを取り込むことでますます異形の姿へと変貌していくのだ。
それを鑑みた時、源三は最高クラスの竜人であった。
(速ぇ……)
蒼真は逃げに徹しつつ動きを観察する。
竜人化した源三は踏み込むだけでコンクリートの地面を砕き、疾走すれば風を巻き起こす。だがその圧倒的過ぎる身体能力に振り回されており、細かい制御はできていない。だからこそ蒼真も回避できるのだが、これで身体を使いこなしていたらとっくに死んでいた。
「撃て! 弾が尽きるまで撃て!」
残り少ない対竜弾の掃射が行われる。
郷士はインカムでまだ戦える者たちへと呼びかけ、残っている武装もかき集めさせた。それで集まったのは自動小銃を装備した戦闘員が十四名だけである。また竜人化の危険性があることからドラゴンスレイヤーは下げさせ、戦闘員たちの護衛として付き添っている。間違って傷を負わされれば、即座に赫竜病が発病して竜人化まで進行する。源三を引き付ける役として蒼真と郷士が交代で戦う以外はこの場にいない。
「おい、三田のおっさん! そろそろ交代だ!」
「よかろう」
交代はおよそ三十秒ごと。
源三の動きは大雑把なので交代する隙には困らない。しかしこれも二人が高い適性を有するドラゴンスレイヤーだからこそなせる業だ。並のドラゴンスレイヤーならば初撃で殺されるか、傷を受けて竜人化している。
また遠慮のない対竜弾の掃射のお蔭もあり、源三はいちいち気を逸らされる。ドラゴンの本能に強く支配されているせいか、人であった頃の知性が失われている。異形化するほどのデミオンを取り込んでいるからだろう。ゆえに戦術をパターン化してもかなり嵌ってしまう。
「グ、オオオオオオッ!」
「あんたも目を覚ましてくれ! ここはあんたの旭なんだ!」
「オオオオオッアアアアア! グオアアアアア」
「あんたは俺の恩人だ。斬りたくはない」
そして攻撃を避けつつも郷士は呼びかけ続ける。
無駄だと理性では分かっているが、やはり納得がいかない。彼にとって獅童源三という男は恩人だ。ドラゴンスレイヤーとして竜人を始末しなければならないということは深く理解しているものの、培った信頼が刃を鈍らせる。
これが普通の人間だ。
「やはり言葉は通じない、か」
郷士の言葉はまるで届かない。
ただ力の限り駆けまわり、右手と融合した対竜刀を振り回し、破壊の限りを尽くす。ただ移動するだけで地面が割れ、刃を振るえばあらゆる物質が豆腐のように裂ける。異形の象徴たる翼を羽ばたかせるとその身体は宙を浮き、暴風すら巻き起こす。
再び対竜弾が掃射されるが、それは源三が宙に逃げることで回避されてしまった。
しかしおよそ数メートルほど浮いたところで、その翼にに幾つもの穴が空く。
「助けに来てやったわよぉ」
諸刃が援護として寄越した青蘭が到着したのだ。
彼女は左手に刀を、右手に自動小銃を持って戦うスタイルだ。敵の近接攻撃を刀で逸らし、至近距離から中距離を維持して銃弾を撃ち込む。その性質上、防御や時間稼ぎにかけては蒼真よりも巧い。
そしてドラゴンの翼は骨格と被膜で構成されており、硬い骨格部分はともかく、皮膜ならば対竜弾で容易く貫ける。源三はそれをなした人間、つまり青蘭を睨みつける。
「ガアアアアアアアアアア!」
「あら怖いわねぇ」
翼を広げ、突風を巻き起こすほどの勢いで迫る源三を青蘭は軽く受け流す。振るわれた深紅の刃はコンクリートすらゼリーのように切断する威力であるため、刃を添わせるようにして力の向きを変えた。
空中にいて踏ん張れない源三は容易く体勢を崩され、ひっくり返って墜落する。
そこを青蘭が追撃するように銃口を向け、引き金を引いた。
炸裂音が連続して響き、同時に硬いものに弾かれる音も木霊する。
「止めとけ青蘭。そいつは大型竜レベルの硬さだ」
「ここまで侵食していたら……そうでしょうねぇ。これをダメージ無しで倒すのは厄介だわ」
「回避と防御のエキスパートがそう言うなら、厄介なんだろうよ」
「私も長く戦いたくはないわねぇ」
そんな会話をしている間に、源三は立ちあがっていた。
穴の開いた翼は既に修復されており、悍ましいほどの眼光で二人を睨みつけている。今の攻防で青蘭を標的にしたらしい。また側に寄っていた蒼真も標的となっていた。
「ま、お前が来たなら丁度いい。いつも通りやるぜ」
「いいわよぉ」
「三田のおっさんは下がってな」
蒼真にとって青蘭は小隊の仲間だ。普段から共に戦い、最強の小隊という称号を享受しているだけあって連携も中々のものである。ここに郷士という異物が混じってしまう方が戦いにくいのだ。
それは郷士も理解しているらしく、彼は大人しく下がる。
「お前が防御、俺が攻撃。いいな?」
「分かっているわぁ」
青蘭は間延びした返事をしつつも、真面目な表情で源三を見つめていた。
その力は大型ドラゴンのように強大でありながら、小回りの利く肉体を有する。それは充分すぎる脅威だ。更には源三から一度たりとも傷を受けてはならない。打撃ならともかく、切り傷や刺し傷を受けてしまうと、そこからデミオンが大量に侵入して赫竜病に感染する。
小さなミスで即死もあり得る戦いで、どうして油断できようか。
源三はじっくりと二人を観察し、どちらが仕留めやすい獲物かを選定していた。それは元ドラゴンスレイヤーとしての記憶が脳に残っていたからこその行動かもしれない。
「オオオオオッ!」
咆哮しつつ、源三は地面を蹴る。
それだけでコンクリートの地面が砕け、一瞬で青蘭の目の前へと移動していた。勿論、これは青蘭にも見えている。
彼女は源三とは対照的に、静かに軽く地面を蹴った。そして前方に宙返りしつつ、源三の突撃を回避する。またその際に刀を活性化させ、源三の首筋に添える。凄まじい動体視力とバランス感覚が成し遂げる曲芸のような業であった。
しかし残念ながらその刀は弾かれ、源三は傷一つ追わない。
着地した青蘭は少々茫然としつつ呟く。
「え、硬過ぎじゃない?」
「大型竜並って言っただろうが! 次来るぞ!」
源三は地面に左手の爪を引っ掛け、減速しつつ反転する。再び地面が砕けた。今度の狙いは蒼真で、右手と融合した刃を強く活性化させていた。それで蒼真を切り裂くつもりらしい。
(打ち合うのは危険か)
間違いなく力負けして弾かれるか、最悪は蒼真の刀が切り裂かれる。
そう判断した蒼真は走って横に避ける。するとそれに反応した源三も自身の速度に振り回されつつ追随しようとしていた。
(狙い通り)
大きく曲がろうとしたことで、源三は減速していた。
つまり良い的になる。
郷士の指示で旭の戦闘員が一斉に引き金を引き、竜結晶弾頭の銃弾が殺到する。それらは源三の竜鱗が全て弾き返したが、幾つかは翼の被膜を突き破った。そして何より、動きが止まった。
そこに蒼真が戻ってきて、刀を振り下ろす。
源三の胸にある傷を狙い、そこを再び抉るようにして斬撃を放った。すると刃は撥ね返されることなく通り、血飛沫が蒼真の頬にかかる。
「なるほど。やっぱり竜鱗以外なら斬れるよな!」
「グアアアッ!」
「っと!」
振り回される源三の刃を回避し、青蘭と合流する。
「どう?」
「古傷には竜鱗がない。そこならギリギリ通るな。だが皮膚も硬いぞ。活性化なしでは掠り傷にもならないと思っておけ」
「それって先に私たちがデミオン切れになって負けじゃないの?」
「俺はもうアンプルを使い切った」
「ちょっと厳しいわね。これ。やっぱりあの子が来るまで時間稼ぎした方がいいかしら?」
「癪だがな」
蒼真は舌打ちしながらそう答える。
彼はシオンを心の底から嫌っているが、それを理由に現状から目を逸らす愚か者ではない。そうでなければ最強の小隊に所属できるわけがない。
「ん……」
「あらぁ?」
だがそうやって会話している間に源三の様子が変化する。
グッと足に力を込めたかと思うと、空高く跳び上がった。すぐに翼を広げて滞空し、およそ五十メートルの高さで停止する。
そして自動小銃を構える集団に目を付けた。
あれこそが厄介の元であると結論付けたのだ。
今、獅童源三という竜人は成長していた。いや、ある意味で取り戻していた。人間の連携から戦略的な行動の意味を読み取り、少なくとも倒すべき敵には優先順位があることを知った。
この場合、ダメージを与えてくる蒼真や青蘭より、足止めが厄介な銃弾の雨を何とかするべきである。
「あの竜人……! 逃げろ!」
蒼真が気付いて警告するも、既に遅い。
過剰なほどデミオンを発して活性化した源三は、流星のように……いや隕石のように落ちた。硬いコンクリートの地面は破壊され、血飛沫が舞う。直撃を受けた者は手足が千切れ、そうでなくとも飛び散った破片で怪我を負う。護衛のドラゴンスレイヤーですら回避できず、倒れていた。
そして源三はデミオンを感じたのか、倒れているドラゴンスレイヤーの衣服を掴む。更にそのまま首筋へと噛みついて、捕食し始めた。
「ぎゃ、ああああ……や、止めっ!?」
生きたまま食われるという最悪の死を想像したのだろう。ドラゴンスレイヤーの男は必死で暴れる。普通ならば逃げられるはずもないが、源三が掴んでいたのは彼の体ではなく衣服だった。つまり、服が千切れることで拘束から逃れることができる。
ビリビリと布が裂ける音が響き、ドラゴンスレイヤーの男は落下して尻餅をついた。首からはとめどなく血が溢れており、必死に出血を抑えようとしている。
だが、そんなことをしても無駄だ。
ドラゴンスレイヤーが竜人から傷を受けた以上、赫竜病の発祥は免れない。そして赫竜病は進行し、彼もまた竜人となる。
「しまっ……誰か彼を介錯しろ!」
郷士も同様に吹き飛ばされており、気付くのが遅れた。
そしてすぐに指示を出すも、他の者も同じ状況なので即座に動けるわけがない。そもそもすぐ側に竜人化した源三が佇んでいるのだ。下手に銃を撃って気を引いてしまえば、次に喰われるのは自分となる。つまり、結果的にも誰一人として動けなかった。
「ぎ、が、あぁ……」
ドラゴンスレイヤーの男は赫竜病の発病が始まり、首筋を抑えて苦しむ。血に濡れて分かりにくいが、竜鱗が広がり始めていた。あっという間に顔にまで広がり、このままで竜人化も時間の問題となる。
しかし、それを止めたのは彼に喰らいついた源三自身であった。
右手と融合している対竜刀を振るい、彼の首を刎ねたのである。その後、僅かに痙攣して動かなくなった彼の体を捕食し始めた。
人型の、しかも先程まで旭の指導者であった獅童源三が仲間を喰らう光景。
非常識で最悪で最低なその光景に、発狂する者が現れる。
「ぁ……うわあああああああああああ!?」
恐怖から逃れるためだろうか。叫びながら背を向けて逃げようとする。
だが、わざわざ絶叫して源三の気を引いてしまったのは悪手であった。まだ喰らっている途中であった人間を放り捨て、それが地面に触れるよりも早く飛び出す。逃げる男はドラゴンスレイヤーではなく、一般の戦闘員だ。身体能力も成人男性相応のものでしかなく、源三から逃げられる道理などない。
一息に距離を詰められ、右手と融合した刀が振るわれた。
もうここからは一方的な蹂躙となる。
「ひぃっ!? 逃げろ!」
「ああ、ああああああああああああ!」
「誰か助けてええええ!」
「嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ」
「あんな死に方したくねぇよおおお!」
阿鼻叫喚の地獄が始まる。
源三は逃げる者を優先的に追い、一刀のもと切り捨てる。彼の本能が学習しているのだ。自分から逃げる者は容易く殺せるということを知ってしまった。逆に立ち向かってくる者は簡単に殺せないということも理解していた。いや、獅童源三の脳に刻まれた知識を思い出していた。
「止めてくれ! 皆あんたを慕っていた同胞なんだ! あんたの仲間なんだ!」
だから郷士が源三の前に立ち塞がろうと、無視して逃げる者を追いかける。そしてバラバラに逃げているがために銃を使って源三を狙えば、誤射する危険もある。わざわざ追いかけて、刀で止めるしかない。
「頼む……止めてくれ……」
その悲痛な願いも届かない。
郷士は心を虚無に支配されていくような感覚を覚えた。
今の源三を止める手段はない。止めようとしても郷士を避けて逃げる者を追っていく。そして切り殺し、喰らい、咆哮するのだ。
もう、そこに旭を率いてた頼れる指導者はいなかった。
あるのは化け物に落ちてしまった哀れな竜人。
「くっ……」
ついに郷士は膝を折ってしまった。
まだ体は動く。どこも怪我をしていない。体力だって余っている。
しかし心が死んでいた。
視界がぼやけ、涙を流していることに気付く。
「グオオオオオオオオオオオオ!」
空気を揺らすほどの咆哮が響き渡る。
逃げる戦闘員、そして旭のドラゴンスレイヤーを斬り殺しては喰らった。ドラゴンが人を喰らって巨大化するように、竜人は人を喰らうことで深度が進む。
源三の腰から尾てい骨あたりが盛り上がり、それが尾となった。更には脚部の筋肉も増大し、また靴がはち切れる。足は鋭い爪の生えたドラゴンそっくりなものへと変質していた。
また一つ、異形へと近づいたのだ。
血溜まりの中で吼える源三は、厄介な獲物を殺し尽くしたと確信する。となれば、次に狙うのは逃げる者ではなく、立ち向かってきた者たちである。
いつの間にか、郷士の目の前に源三が立っていた。
涙で目が霞む彼には、その動きを追うことすらできなかった。
(すまない……俺もここまでのようだ)
源三は右手を振り上げる。そこに融合している刃は強く活性化しており、深紅の光を発していた。あれで切り裂かれたら、骨すら容易く切断されるだろう。即死は免れない。竜人化しないことだけは救いかもしれない。
郷士は死を受け入れ、覚悟した。
振り下ろされるその瞬間を待ち望んですらいた。
どこからか逃げろという叫び声が聞こえた気がしたが、もう彼に動く気力はない。
ただ目を閉じ、待った。
「グギャアアアアアッ!?」
しかし次の瞬間、郷士の耳には苦しみの絶叫が飛び込んできた。
反射的に目を開くと、振り上げられていた源三の右腕が切断されている。そのせいで源三は苦痛の声を発していたのだ。
(何が……)
そう思うも束の間。
郷士から見て右横合いから赤い斬撃が飛んでくる。それは呻く源三の左脇へと突き刺さり、そのまま吹き飛ばしてしまった。
何が起こったのかさっぱり理解できず、郷士はただ茫然とする。
しかし蒼真と青蘭だけは状況を察してた。
「やっと来やがったか」
感慨深さ、忌々しさ、安堵。そんな感情の混じった声で蒼真が呟く。
吹き飛ばされた源三を横目に、彼は現われた人物を見つめていた。
「やっと来たのねぇ。本職が」
「ふん……離れるぞ青蘭。あいつが戦うと辺りのデミオン濃度が更に高くなる」
竜人、獅童源三を狩る。
そのためにキサラギの切り札、如月シオンが今到着した。




