25話 キサラギと旭の交渉
天儀が案内されたのは犯罪者などを閉じ込めておく更生施設区画だった。ここは刑務所と拘留場の機能を併せ持っており、不審者の監禁にも利用される。
キサラギのドラゴンスレイヤーが客人ではなく人質として保護されたのは明白だった。
女性職員は監禁部屋の中で比較的マシな部屋の前へと案内する。部屋の前には監視役と思われる銃を携帯した職員が立っており、天儀の姿を見るや否や敬礼した。
「天儀先生、診察にいらして頂きありがとうございます」
「そんなに畏まらないでください」
「いえ、そういうわけには……っとここで問答しても埒があきませんね。開けますので、詳しい事情は中で聞いてください」
「分かりました。それと彼女も連れて入ります」
「勿論です」
監禁部屋の鍵が開けられ、天儀は竜胆を伴って中に入る。
すぐに部屋の真ん中で寝かされた赤髪の少女を見つけたので、彼女が診察対象だと察することができた。靴を脱いで畳に上がり、寝かされた少女の傍で正座する。
竜胆もそれに続き、天儀の少し後ろに腰を下ろした。
「獅童天儀といいます。旭の医者をしています。彼女が患者ですね? 一応聞きますが、彼女についての責任者は誰になりますか?」
「……では取りあえず自分で。如月シオンです」
「ああ、如月家の……では如月さん」
「シオンで結構です。如月家は血族が多いので」
「ではシオンさん。患者は頭部を強打したと聞きましたが、どのような状況で?」
「端的に言えば車両事故です。幌トラックの荷台に乗っていたんですが、時速で……大体百キロかぐらいで事故を起こしました。俺も同じ荷台に乗っていて、事故の時は凄い衝撃で……多分、その時に頭を打ったんじゃないかと予想しているだけで、実際に見たわけではないです」
「分かりました。あ、それと患者の名前は?」
「……取りあえずはキャトルと呼んでください」
頭部を強打した、と頭部を強打したかもしれない、では話が変わってくる。
前者であれば精密検査で脳の異常を調べればすぐに分かるが、後者の場合はアーシャが目を覚まさない別の要因を探さなければならない。
「キャトルさんに持病は?」
「よく知りませんが、かなりデミオンに適性があるはずなので身体は頑丈だと思います」
「そういえば時速百キロで走る車の事故でしたね……それで身体がばらばらにならないのは奇跡ですよ。しかしデミオン適性ということは、彼女もドラゴンスレイヤーですか?」
「いえ、違います」
「では?」
「RDOの実験体です。端的に言えば……」
一応は機密なので言いにくいが、治療の件もあるので仕方ない。
ただ天儀はシオンの言葉を聞いて鋭い視線を向けた。
「RDO……全世界加盟の対竜機関ですか。それなら彼女の歪さにも納得ですね」
「歪?」
「まず彼女の髪。デミオン適性が高いと髪の一部が赤くなります。ここにいる竜胆然り、シオンさん然り。ですが全てが赤い、それも深紅の髪というのはとんでもないことです。人の姿をした竜だと言われても納得できる不思議な状態ですよ」
「……」
シオンも異常であるとは思っていたが、やはり専門家が診ると具体的に指摘される。
事実、アーシャは自身が興奮するとデミオンを発してしまう体質だと語っていた。それを言われた時は特殊だとしか思わなかったが、こうして指摘されるとおかしいことに気付く。デミオンを発するなど、まるでドラゴンのそれだ。
ドラゴンスレイヤーは体内デミオンを保有しているが、それが勝手に放出されるようなことはない。
「しかしRDOも世界がほとんど滅びて……国連の一部ではなく独立機関のようになってからおかしな実験をしているという噂も聞きます。発表論文からもその匂いがしますからね。しかしまさかこんなものまで開発しているとは」
「彼女が目を覚まさないのと関係が?」
「キャトルさんの身体はおそらく問題ないと思われます。ですがデミオンが細胞に負荷をかけているために起こっている昏睡ということも考えられますね。たとえば急激な修復や細胞変化に耐えるため、身体を休ませているといったように」
「具体的な治療法は?」
「僕には何とも。血液や細胞を調べさせてもらえたら何か分かるかもしれませんが」
その提案を受け入れることは難しい。
何故ならRDOはキサラギに誓約させているからだ。実験に関する幾つかの誓約の内、RDOが持ち込んだ資料を無許可に閲覧したり、実験機を無許可に調べてはならないというものがある。アーシャの身体を調べることはそれに抵触するだろう。
仮にアーシャを連れ帰ったとしても、RDOに大きな借りを作るようでは本末転倒である。
(最良はキサラギに連絡してあの科学者たちを連れてきてもらうことか。あるいは手早くキサラギに帰してもらうよう交渉するしかない)
シオンとしては癪だが、この問題を解決できるのはアーシャを開発した科学者たちだと結論付けるほかなかった。
「彼女の身体を調べられると困りますので、それ以外でお願いします」
「ですが早期の治療を……」
「こちらにもできない事情があります。だから俺たちを早くキサラギに帰してもらいたいのですが」
医者である天儀からすればとんでもない我儘だ。
しかし元はといえば旭がシオンたちを監禁しているために起こっていることである。素直に引き渡さないとしても、先にキサラギへと送り届け、後で物資などの礼を要求するだけでも良かった。
よって性根が穏やかな天儀が先に折れる。
「……分かりました。ではリーダーに相談しておきます。あれは僕の父ですので、多少は言葉を聞いてくれると思います。父もRDOの実験体を無碍にしようとは思わないでしょう」
「無理言って申し訳ないです」
「いえ。できる診察だけしましょうか」
そう言って天儀は箱からペンライトを取り出し、まずアーシャの瞳孔から確認し始めた。
◆◆◆
横須賀基地は対ドラゴンを想定した拠点として建設されているため、緊急時の通信に備えて首都東京と直通の光通信が敷設されている。そしてこの通信網は横浜を経由しているため、横浜に建設されたキサラギとの直通でもある。
一般にはあまり知られていないことだが、旭のリーダーは如月家の当主とも面識があった。
「如月家当主殿、我々はこの通りそちらのドラゴンスレイヤーを保護するに至った。そして偶然か、RDOの実験体もいるようだな」
『……わざわざ獅童さんがテレビ電話を要求するから何かと思えば。それで望みはなにかしら?』
「以前から要求していることだ。赫竜病患者をそちらに幾らか受け入れてもらいたい。それと共同研究も依頼したい。勿論、赫竜病についてだ。それと住民の幾らかを移住させてほしい」
『それについては不可能である旨を文書にして送ったはずよ。せめてもう少し待って欲しいところね』
旭は救われなかった者たちに手を差し伸べる組織だ。
キサラギという受け皿には限界があり、都市機能を拡張しない限りこれ以上の受け入れは不可能である。そんな受け皿から溢れてしまった者たちを助けるため、源三は旭を運営している。
しかしそうした活動理念と目的がある一方、旭の拠点である横須賀基地も限界に達しつつあるのだ。現在の収容人数はおよそ十二万人。その内のおよそ二百人は赫竜病患者だ。
避難用シェルターを活用してぎりぎりの生活をしていても限界なのである。場所の問題もそうだが、化学合成食品を配布しても一人当たり一日一食という物資不足も深刻だった。
「こちらはもう限界だ。どうにかしてキサラギに融通してもらいたい」
『限界なのはキサラギも同じよ』
「いいや。そちらにはまだ余裕があるはずだ」
『そちらも研究を諦めて物資生産に注力すれば余裕があると思うのだけど』
「そういうわけにはいかない。赫竜病をはじめ、解決するべき問題は多くある。我々は与えられたものを受け取るだけの雛鳥ではないのだ」
『だからといって人質の交換条件というのはどうなのかしらね』
「なりふり構っていられない」
水鈴が何を言っても源三は揺らがなかった。
確固とした決意と覚悟を持ってキサラギと交渉している。ほとんど脅しのようなものだが、ドラゴンスレイヤーが不足しているキサラギには有効な手段だった。
しかしキサラギとしても簡単に受け入れるわけにはいかない。
こうした前例を作ってしまった場合、ドラゴンスレイヤーを攫って人質とし、キサラギから物資を奪い取るという手段が横行しかねないからだ。そう簡単にドラゴンスレイヤーが捕まるとも思えないが、前例があるのとないのとではリスクも変化する。
それ故、水鈴は素直に交渉を受けることができなかった。
また彼女の言っている表向きの理由も嘘ではない。
『こうした手段は信用を失うわよ』
「承知の上だ。だが、我々はこんな無様なきっかけでもなければ前に進めない」
『RDOからも顰蹙を買うわ』
「覚悟はしている」
『獅童さん一人の問題ではなくなるわ。これは忠告よ』
そして水鈴はキサラギの利だけを考えて言っているわけではない。本心から心配している。旭は同盟関係でもないが敵対組織でもない。また車で移動すればすぐの距離なので多少の交流もある。旭の設立当初はキサラギの独立時期とほぼ重なっているので、共に関東圏を維持してきたという仲間意識すらあるのだ。
交渉そのものに文句はなく、キサラギにもう少し余裕があれば融通もできる。
そしてRDOの実験協力により多くの物資を獲得できたので、これから多少は余裕が生じるはずだった。
だから水鈴は文書によって『待て』と伝えたのだ。
残念ながら旭にも待つだけの余裕はなかった上に、いつまで待てばよいのかという具体的な指示すらないためこのような手段を取ってしまった。
『重要な問題はRDOの実験体を人質として利用しようとしていることよ。せめてそれだけでもすぐ引き渡してもらうわ。あちらは何をするか分からないわよ』
「脅しか?」
『事実よ。それにその実験体がないと、私たちにも本当に余裕がなくなるわ。そちらとの交渉を受けることもできないと思って』
「話しにならん」
『……一度頭を冷やしなさい。明朝にまた電話をするわ』
何を言っても無駄だと諦めた表情で水鈴が通話を切断する。画面が暗くなり、まるで鏡のように源三の姿を映した。
しばらくじっとしていた彼は、近くに椅子に腰を下ろす。
そして左の袖を捲り上げた。
彼の左腕には赤い鱗がびっしりと浮き上がっており、赫竜病であることは明白だった。左腕だけではない。全身に鱗が広がっている。ドラゴンに近づく赫竜病が進行している証拠だ。
「儂はもう限界だ。この命、上手く使わなければならん」
源三は自身に言い聞かせるように呟いた。
◆◆◆
通話を切った水鈴はというと、頬を緩ませて嬉しそうにしていた。
「シオンが生きていたわ! 生きていたわ!」
「良かったですね」
「ええ。とても嬉しい」
夏凛も主にして友人である水鈴に笑顔が戻り、喜ばしい気持ちになった。
確かに死んだと思っていたシオンの生存が確認できたことは大きい。竜人殺しという戦力の喪失が免れただけでなく、水鈴個人として喜ばしいことだった。
そして何より、実験体アーシャが戻ってきたことで選択肢も増えた。
「水鈴様、このことはリシャール博士に……?」
「そうね。取り戻してから伝えるか、今伝えるか……悩むわ」
「こちらで確保してから伝えれば、問答無用であちらを黙らせることができます。多少は有利な条件で後処理を進められるかと」
「そうね。でも確保するまでネチネチ言われるわよ? 旭との交渉に時間がかかったら、向こうが見切りをつけてしまうかもしれないわ」
「逆に今伝えればそちらの問題は解消されますね。それにじっくりと話し合い、リシャール博士とも条件をすり合わせることができます。ただし、旭との交渉に時間がかかれば介入されかねません。そうでなくとも、この話をするだけで介入を決めるかもしれません」
一長一短でどちらにもリスクはある。
キサラギのリスクだけを考えるならば後者の方が良いが、水鈴としては旭との関係がこじれるのは避けたかった。
しばらく悩んだ後、水鈴は決断する。
「……これから伝えましょう。隠していて、それが露見したら問題になるわ」
「よろしいのですか?」
「ええ。スケジュール調整をお願い。リシャール博士と面会するわ」
「わかりました」
夏凛が即座にタブレット端末を操作し、スケジュールの確認をする。一つ肩の荷が下りた水鈴は首をと肩を揉み解しつつ、窓の外を眺めた。
(よく生きていてくれたわね)
それは丁度、横須賀基地のある方角だった。




