11話 囮役
富士樹海の実験は開始から二時間が経過しようとしていた。
時間は昼の一時前。
ドラゴンスレイヤーも交代で携帯食を口にしている。シオンもタンパク質や糖質を練ったこの携帯食を齧りつつ、実験の様子を眺める。
一方で科学者たちは食事もとらず、水分補給すら無しに実験を続けていた。
「主任、キャトルのデミオン場が安定しました。メインフェイズに移行できます」
「思ったよりかかったね。やはり実験室とは異なる環境のせいか、あるいは竜の巣という地形の影響か」
徐々に励起されていた実験装置は完全に起動し、いつでもフルスペック可動できる状態となった。ここまでしてようやく、実験のメインフェイズを実行することができる。
椅子に縛り付けられた少女はピクリとも動かず、死体を思わせるほどだ。
シオンも手に持った携帯食の残りを口に詰め込み、水で流し込んだ。まだ包装を開いていないもう一つの携帯食をポーチに詰め込み、実験の次なる段階を見守る。
(ここからが本番らしいな)
リシャールとその助手たち、そして技術者たちの動きが変わる。新しくビデオカメラも設置し、実験の様子を記録し始めていた。光学映像、サーモグラフィ、赤外線、ガンマ線などを記録するため、設置されたビデオカメラも複数である。
ついでにここで昼休憩でも挟むのかと思われたが、科学者たちはそんなもの忘れたとばかりに実験を続行した。
「これより本実験のメインフェイズに移行する。リジェクティング・ドラゴン・フィールド展開!」
その宣言と共に、機械が唸る。冷却ファンの音が激しくなり、静かな森に吹く風の音を掻き消した。同時に赤髪の少女が痙攣する。
「あ……」
鈴のような声をシオンは捉えた。
その発生源である少女の変化を僅かでも逃さぬよう、注目する。シオンだけではない、一〇一小隊の諸刃たちも同様だった。
「あ、あああっ! あああああああああああああああああああっ!?」
体を強張らせたり脱力させたりを繰り返し、電極付きヘルメットで頭部を覆われた彼女は叫ぶ。言語化されないその叫びは、何かを呼び求めているようにも見えた。
思わずシオンは腰を落とし、構えてしまう。
その姿は痛ましく、見ていられないほどだ。
任務だからこそ耐えていられるが、普通ならば暴力を以てしても止めようとするだろう。
(水鈴姉さんに迷惑をかけるわけにはいかない)
自分の勝手でキサラギを不利な状況に追い込むことは許されない。今のキサラギは世紀末の悪夢のせいで大きく力を落としているのだ。物資も、ドラゴンスレイヤーの数もRDOには敵わない。実験の邪魔をして支援物資を取り上げられてしまったら、キサラギには損失しか残らないのだ。
ただでさえ、今回の任務は報酬に対して損失が釣り合っているとは言い難い。
竜の巣に入って実験しろなど、死刑宣告のようなものだ。
故に痛ましい光景を前にしても、動かず様子を見守った。
「デミオン場の広域化と増大を確認しました。キャトルに問題はありません」
「ドラゴンの反応はどうだね?」
「オペレーターの通信によれば、周囲を飛ぶドラゴンの挙動がおかしいとのことです。見張らせているキサラギのドラゴンスレイヤーも働き者ですね。かなり報告が細かいですよ」
「オペレーターの情報も記録しているね?」
「勿論ですよ」
助手のシモンは左耳に付けたインカムから情報を得つつ、計器を眺め続けている。
残念ながらドラゴンの動きはレーダーだけで見抜けるものではない。その位置や移動速度、移動方向だけなら電波を利用したレーダーでも感知できる。しかしドラゴンは生物だ。これが問題となる。
ドラゴンの動きを直接観察し、その動きから異変を察知するのは専門の訓練を積んだドラゴンスレイヤーの大切な役目である。討伐小隊が百パーセントの力を引き出すためには、調査小隊による万全の観察が必須となる。
こと実験においても、ドラゴンの詳細な動きを観察する調査小隊の役目は重要だった。
シオンもエース級小隊としての立場を得ながら、実質的に調査小隊と同じ仕事をしているが故に異変を察知することができた。
(なんだ? 騒がしい)
デミオンのざわめきとでも表現するような、嫌な感覚が体内を駆け巡る。ドラゴンスレイヤーの体内にはドラゴンを構成する物質たるデミオンが組み込まれているため、デミオンが活性化するとそれを何となく感じ取ることができる。
それは静電気で産毛が逆立つような感覚に近い。
シオンがそのように感じている間に、諸刃たち一〇一小隊は武器を抜いた。同時に、インカムからオペレーターの声が飛び込んでくる。
『緊急通達! 富士山方面でデミオン濃度が急上昇! また中型や小型が集結中! 今すぐ撤退してください』
あまりにも慌てた声。それが耳でキンキンと響いている。
心臓が高鳴り、刀を握る手には汗が滲む。シオンは久しく感じるこれほどの危機感を前に、自分のやるべきことを考えた。
(ドラゴンはこっちに向かっている。今なら囲まれる前に脱出可能だ。それなら今すぐ装置を破壊するか、逃げるべき)
また、ポーチへと手を当てる。
(ドーピング用のDアンプルは五本。けどここで無理しても意味がない。蒼真たちの戦力、RDOの戦力を加味してもやっぱり逃げの一手だな)
耳元では何度も撤退の二文字が連呼されている。
さらに驚くべきことに、オープンチャンネルで諸刃が呼びかけた。
『キサラギ全部隊は撤退だ。拠点へと戻り、車を回収して富士樹海から離れよ! 繰り返す。キサラギ全部隊は撤退だ』
その声で各部隊は動き出した。各部隊のリーダーは同じくオープンチャンネルで撤退する旨を伝える。
本来、この作戦の撤退命令はリシャールの判断で行われることになっていた。それ故、オペレーターの呼びかけに従うべきか迷っていた。そこにキサラギで最も信頼されるドラゴンスレイヤーの一人、諸刃の撤退指示である。彼らの判断は撤退一択となった。
しかし、リシャールはそれに待ったをかける。
「勝手な指示を出すな。まずは我々の撤退だ。お前たちは時間を稼げ。おい、イーグル小隊は私たちと一緒に来てもらうぞ。キャトルを回収しろ」
それを聞いてシオンは唖然とする。
戦う力のない科学者が自分を守れというのは分かる。先に撤退させろと言われれば、その気持ちも理解できる。しかしこの期に及んでキサラギのドラゴンスレイヤーに死ねと命ずるのは納得がいかない。ドラゴンスレイヤーは奴隷ではないのだから。少なくともキサラギにおいては。
流石に我慢ならず、シオンはずかずかと近寄ってリシャールの襟首を掴む。
「そんなことを言っている場合か! 俺たちが全部隊を使ったところであの数の竜を足止めできると思っているのか? デミオン濃度も高まっているし、最悪、竜人化する奴が出てくる」
「放せ無礼者め! この私を誰だと思っている! ぶざけるな!」
「お前こそふざけるな!」
激しい剣幕で言い合う二人を止めるべく、イーグル小隊の二人がシオンを引き剥がそうとする。流石のシオンもドラゴンスレイヤー二人の力には抗えず、すぐに引き剥がされた。それでも暴れまわるが、すぐに両手両足を抑えられてしまう。
襟元を直して荒い息を吐くリシャールは悪態をついた。
「これだから東洋の野蛮人は……! 理性というものを知らない。世界のためにもお前のような野蛮人より私のような知者が必要なのだ。分かったらさっさと行け! 何としてでも足止めしろ」
あまりにも横暴だが、キサラギのドラゴンスレイヤーには従う以外の選択肢がない。だからこそリシャールは上からモノを言える。手を払うような動作で合図を出すと、シオンは解放された。一方のリシャールは最早興味ないとばかりに機材の方へと目を向ける。
「あの野郎……」
「余計なことをするな。時間がない時にな」
「ぐっ」
シオンは押し倒され、蹴られた。それもかなり遠慮がない威力だったので、吹き飛んで地面に転がる。すぐに受け身を取ると、その間にRDOの科学者やドラゴンスレイヤーは自分たちだけ撤退準備を整えていた。
そして体を起こし、また掴みかかろうとするシオンの肩を誰かが抑える。
振り返るとそこには青蘭がいた。
「逸る前に冷静になりなさい」
「青蘭、放せ」
「いいから。元からお姉様に許可は貰っているのよ。いざって時は諸刃の判断で逃げていいことになっているわ。それにあいつらを皆殺しにして証拠隠滅する許可もね。アンタも手伝いなさい」
「それって」
「静かに。数はあっちの方が上なのよ。取りあえずはあんたの得意な『殺し』だってことよ」
ドラゴンスレイヤーはドラゴンを殺すのが仕事だ。
しかしシオンはドラゴンよりも竜人を専門としている。つまり人型を殺すのが得意ということだ。
「……水鈴姉さんの指示なんだな?」
「そうよ」
「分かった。仕事というなら、やる」
そしてシオンも水鈴のことは信頼している。水鈴がやって良いと言ったなら、それはやって良いことなのだと決断できるほどには。
また彼女に殺せと言われたら、それを行うほどには。
(RDOとは関係が拗れそうだけど……何か策があるってことだよな)
キサラギの支配者にして執政者である水鈴の言葉を信じ、シオンは刀に手を置いた。ポーチからDアンプルを取り出し、摂取の準備をする。
「青蘭」
「分かっているわよ。それを使うなら私は離れるわ。アンタは一人。一人を確実に殺りなさい」
「ああ、俺はキャトルとかいう実験体を回収しようとしている奴の一人を狙う。ついでに回収すれば、何かの交渉材料にできるかもしれない。回収は頼めるか?」
「へぇ? いいこと考えるじゃない。任せなさい。もう一人は諸刃に狙撃させるわ」
「分かった」
「いいこと? 今度こそ余計なことはせずに自分の仕事に集中しなさい。合図は秘匿回線でするから、開けておきなさい」
最後にそれだけ告げると、青蘭は木の陰へと隠れた。できるだけ気配と姿を隠し、合図とともに奇襲を仕掛けるということだろう。
科学者や技術者は戦闘力もないので始末も簡単だが、ドラゴンスレイヤーは難しい。しかも相手は六人もいる。シオン、蒼真、諸刃、青蘭の四人で皆殺しにするならば奇襲しかない。
(殺す……殺す)
自分の心を落ち着けるために。
これは仕事であると自身に言い聞かせるために。
これからする行為を心の中で何度も復唱する。
シオンは最後の備えとして、Dアンプルを自分の腕に打ち込んだ。ドラゴンを構成する物質が体内へと入り込み、肉体を過剰に活性化させる。デミオンを弾く体質がなければ即座に赫竜病が発病し、そのまま竜人化しているほどの量だ。
肉体が充実するのを感じつつ、刀をいつでも抜けるよう手をかけた。
今もリシャールたちは逃げる準備をしている。キャトルと呼ばれた少女を実験機から外し、記録したデータをデバイスに保存し、必死に逃げようとしている割には危機感がない。本気でキサラギのドラゴンスレイヤーに命懸けで足止めをさせるつもりなのだ。
(あれが本性というわけか)
ドラゴンに囲まれつつあるこの状況も、殺すことでしか解決できないこの状況も、シオンは気に入らない。しかし気に入らない道理を通すためには力がいる。暴力も、財力も、知識も、権力も、ありとあらゆる力が必要となる。
今回は財力と権力が足りないが故に、RDOから言われるがままにするしかなかった。覆すために暴力という最低な手段を取らざるを得ない。
シオンは強く奥歯を噛みしめる。
強化された筋力により歯は軋み、ギリギリと音を立てた。
今もインカムからは撤退のための誘導と、多すぎるドラゴンの情報が次々と入ってくる。それが煩わしく、すぐにでも外して投げ捨てたい気分だ。
時間は一刻を争う。
既に蒼真は闘気を滾らせ、青蘭は身を隠し、諸刃も木陰に潜んでいる。今の配置ならば確実に六人のドラゴンスレイヤーを討ち取ることができるだろう。
「早くしろ!」
「データの回収は終わりました!」
「映像記録も保存しています。早くキャトルを回収して帰りましょう」
「よし、行くぞ」
リシャールは彼の助手たちの報告を受け、早々の撤退準備を整えた。そしてイーグル小隊の一人がキャトルも抱えている。彼を除けば五人が撤退時の護衛をすることになる。ドラゴンの群れを思えば不安の残る人数だが、まだ完全に囲まれていないので突破は難しくない。
(チャンスは一度きり。確実に殺さないと、抵抗されて面倒なことになる)
冷静に人を殺す算段を立てることには慣れている。
それにもう覚悟は決まっているのだ。気に入らないが、やるべきことだと自分を無理やり納得させた。
だが、この奇襲は中断せざるを得なくなった。
ドラゴンスレイヤーとオペレーターの慌てた声がオープンチャンネルで垂れ流しになる。
『こちら三一一小隊だ。撤退中に見たこともない竜を見つけた。色が緑だ。早いぞ。それに奴の近くを飛んでいた中型竜がバラバラに吹き飛んだ。実験場の方角に向かっているから注意してくれ!』
『オペレーターです! 未知の竜とは接触を避け、逃走してください! 戦闘厳禁です』
そこからは考える暇もなかった。
え? などと間抜けな心の吐露を流している間に事態は急変する。
一瞬地面に影が差し、反射的に上を見上げた時にはそれはいなかった。シオンが視認するよりも早く、それは襲撃を仕掛けたのだ。
地面を割る轟音と何かが潰れる音、そして耳元からは激しいノイズ。全身を鮫肌で擦られるような感覚に襲われ、シオンは本能的に近くの木陰へと隠れる。そしてそっと顔を出し、土煙が腫れるのを待ちながら状況を確認した。
(あれは、なんだ?)
まず見えたのは茶色や灰色が混じった翼の骨格だ。続いて緑色の鱗に包まれた長い胴体、頭部、手足、尾が見えるようになる。
(大きさは小型竜……でも普通の小型竜とは形が全然違う。それにこの威圧感、大型を相手にしているみたいだ。いや、それ以上か?)
改めて全身を見る。
長い蛇のような胴体と骨格だけの翼から、まるで植物のように見える。通常のドラゴンは赤いため、色の時点で全く違う。また形状もかけ離れていた。
そして足元には潰れて血肉が飛び散った跡が残っていた。側には赤髪の少女キャトルが転がっており、潰されたのは彼女を抱えていたイーグル小隊の一人だと推察できる。
(実験体の子は……生きていそうだな)
だが未知のドラゴンが放つ重圧に足が竦む。
小さく首を動かすだけで全身から冷や汗が流れるほどだ。確かめるまでもなく格上のドラゴン。生物としての本能が戦うことを拒否している。
シオンはまだマシだ。木陰に隠れて様子を見ているだけなのだから。
しかし実際に対峙しているリシャールたちはそうもいかない。非戦闘員であるリシャールには重圧に対する耐性がなかったのか、今にも気絶しそうだ。一人殺されて残り五人となったイーグル小隊も、剣を抜きつつじりじりと後退している。
『諸刃だ。全員聞こえているな?』
秘匿回線が繋がり、インカムから息を潜めた声が聞こえた。シオンは未知のドラゴンの動きに注意を払いつつ、その声に耳を傾ける。
『あの正体不明の竜は、おそらく邪龍だ。小型程度の大きさで超大型を超える戦闘力があるらしい。あれから感じ取れる強さ、そして通常とは異なる外見から鑑みて間違いないと思う』
『どうすつもりだ諸刃? 撤退は決定だろ?』
『焦るな蒼真。他の部隊には既に逃げるよう言ってあるから問題ないとしても、俺たちは邪龍から逃げなければならない。そして俺たちが逃げた場合、邪龍が追ってくる可能性がある』
『つまりどういうことよ?』
『……囮だ。誰かが囮になるしかない。この場合はRDOの連中にその役を押し付けたいところだが……どうせ奴らも逃げる。囮として期待できない。言っておくが囮役は間違いなく死ぬな』
言われずとも分かっていたが、改めて言われると黙るしかない。
囮役は死ぬ。
それを理解して『お前がやれ』と言えるほどシオンは図太くないし、それは蒼真たちも同様だ。同様に立候補するにも覚悟の時間が短すぎる。
つまりここは指示を出す諸刃が指名するべき時だった。
『如月シオン。お前がやれ。この高濃度デミオン環境で長く戦えるのはお前だけだ』
それが聞こえた時、やはりという感情しか湧かなかった。こことで切り捨てられるとすれば、間違いなく自分だと分かっていた。
囮役になれば死ぬのはほぼ確定。
同時に全員の命を背負うことにもなる。
「分かった。引き受ける」
『では頼む。他の部隊は撤退だ。急げ』
これは罰なのかもしれない。
あるいはここで囮となり、今まで殺した分を償えということかもしれない。
案外、諸刃は感情抜きにシオンが最適だと考えているだけかもしれない。
真意は分からない。
だが、もうやるしかない。
インカムから邪龍の存在と、それをシオンが相手する旨が流れている。早速諸刃が通達したのだ。だがそれも今は遠く聞こえる。
煩わしくなり、インカムも外してポーチに入れた。
どうせ後は死ぬだけだ。
「行くか」
シオンは刀を抜いた。




