#2. 第二王子
僕はユニークスキル〈記録と読み取り〉を失い始めていた。完全に失ったわけではない。ただ使い物にはならない。〈記録〉はできる。いや、おそらくできているのだろうが、うまく呼び出す事ができない。いつもそこにはざらついた靄のようなものがかかってしまっていて、図などもはっきりと思い出せない。
それはつまり、今まで通りの方法で仕事ができないということで、だから、僕は机に原本と羊皮紙を並べて置かなければならないし、羽根ペンでの作業をしなければならない。
同時に、僕は魔法を使えなくなった。『空間転写』したスクロールは歪んでしまって、発動ができない。《テレポート》も使えないから移動はひどく不便だ。
僕はもう特別じゃない。一般ギルド職員、写本係、マップ担当。それが僕。
幸いソムニウムにはアンジェラがいる。それにマーガレットだってリンダだっていてくれる。きっと魔術師が現れても、すぐに見つけ出して追い出してくれる。
……そのはずだ。
ドロシーはスキルについて調べてくれているが、望み薄だった。王都にいるレンドールに手紙を出して、王立図書館で調べてくれと聞いてみているが、どうなるかわからない。
そう思っていた。
その返事が突然やってきた。
◇
領主は忙しそうにしていた。彼は見たことがないくらい焦っていた。それはエレノアも同じでメイドや使用人たちにあれこれと指示を出していた。領主は騒がしい廊下の音を締め出すように扉をバタンと閉めて、額の汗を拭いて僕の前に座った。
「慌ただしくてすまないね」
「いえ。でもどうしたんですか?」
「あの件だよ。〈記録と読み取り〉の件だ」
僕のユニークスキルとこの騒がしさと何の関係があるのだろうか。僕の表情を見て、領主は言った。
「すまない、説明不足だった。慌ただしくて考えが吹き飛んでしまった。君は王都の図書館でユニークスキルについて調べてほしいといったそうだね?」
「ええ。アンジェラさん経由でレンドールさんにお願いしました」領主はうなずいた。
「どうやらレンドールは上にも進言したみたいなんだ。王立図書館に資料がなく、王家に資料があったからなのか、そこは定かではない」
上ってなんだ? 守護者の上にいるのは誰だろう。領主は続けた。
「つまり、王家に進言したようなんだ。一応、王は〔勇者〕の末裔だからね。伝説上は。守護者たちと王は関係があるんだろう」
なんでそんなことをする必要がある? 僕は訝った。レンドールが親切を働いたとは考えられない。僕を強制的にさらおうとする人間にそんな心があるとは思えない。いや、あのときは僕が魔術師だからそうしたんだっけか……それを鑑みても僕に親切を働くだろうか……。
ダメだな……エヴァのことがあってから僕は人を信じられなくなっている。
僕がいろいろ考えている間にも領主は続けた。
「第二王子が〔魔術王〕の復活を防いだ君の功績を讃えたいそうだよ」
「それは、嬉しいですけど、また王都へ行く必要があるということですか?」
領主はため息をついた。
「そこが問題なんだ。どうやら、スティーヴン、君を王都へ招待するのではなく、王子が直々にここに来るらしい」
なんで? 僕は固まった。
だから領主はこんなにあわてているのか。王子がこの街にやってくる。その準備がこれだ。
領主は頭を掻いた。
「私達の家は第二王子派ではない。どちらの派閥にも属していないし、それで問題なかった。それなのに第二王子が、わざわざ、こんな片田舎の街にやってくる。第一王子派の貴族に説明するのが難しいし、第二王子派がすり寄ってくるのも面倒だ! ああ……」領主はうなだれた。
貴族も色々と面倒らしい。
「なんか、すみませんでした……」僕が言うと領主は首を横に振った。
「いや、君は悪くないんだ。……とにかく、そういうことだ。それにいいことだってある」
領主は微笑んで続けた。
「王子は、君のスキルを直す方法を知っているそうだよ」
少しの安心が心に落ちてきたが、それと同時に多くの疑惑も降ってきた。
王子がわざわざ、ソムニウムまでやってきて、僕の功績を讃えて、その上スキルを直してくれる?
誰か従者を送ればそれで済む話だろう。
わざわざ何しに来る?
僕が考え込んでいるのをみて、領主は苦笑いをした。
「君は疑いすぎだ。エヴァのことや、王都での事が原因だというのはわかるが。王子はきっと君の功績を直接称えたいと思っているんだよ。素直に喜んでもいいんじゃないか?」
「うっ」と僕は唸って、それから頷いた。
ただ、以前のように捕らえられて知らない場所に連れて行かれるのはゴメンなので、今度はマーガレットを護衛として雇おうと決めた。……リンダも雇っておこう、念の為に。
数日後、仰々しい馬車が何台もソムニウムにやってきた。街の人達は歓迎ムードで彼らの到着を祝ったが、僕は内心憂鬱だった。わざわざソムニウムに来る必要があるのか。王子なんだから王都に呼び出せばいいじゃないか、とまだ疑っていた。
領主の城の門は開いていた。僕と領主たち家族、それに雇ったマーガレットとリンダ、それからレンドールに挨拶をすると言うのでアンジェラが彼らを待っていた。
「どうしてマーガレットとリンダがいるんだ?」領主は小さな声で僕に尋ねた。
「僕の護衛で雇ったんです。念の為に」そう言うと、領主は目をつぶった。
「君は話を聞いていたのかな?」僕は首をかしげた。
王子たちの馬車は門から入った後ゆっくりと止まり、男が二人降りてきた。
一人はレンドールで、もう一人は見たことのない男だった。
その男は左目に眼帯をしていた。右目には片眼鏡をつけていて、眼帯と同じように紐で頭につけられている。斜めにかけられた眼帯と片眼鏡の紐は額の上でクロスしている。彼はかぶっていたシルクハットを外して言った。
「ユニークスキル〈記録と読み取り〉を持っている者はどなたかな?」領主たちが僕の方をみた。レンドールが僕の方を指し示して、眼帯片眼鏡の男が近づいてくる。彼はレンズの奥から僕を仔細に眺めると、ポケットから小さく巻かれた羊皮紙を取り出した。彼は羊皮紙を開かずに僕の目の前で振った。
「これになんと書いてあるかわかるか?」僕は首を横に降った。彼は羊皮紙を開いて、僕に見せた。僕は文字を覚えたばかりだったが読むことができた。
「一回目?」
「まだ君は未来から戻ってきていない。この場面は初めてだね?」僕はうなずく。
「君にいくつか聞きたいんだが……、ああ、ちょっとお待ちを」
眼帯片眼鏡の男はシルクハットを被り直して、人差し指を上げてちょっと待っていてくれとサインして、いそいそと馬車に戻った。
「王子出番ですよ。え? 何ですか? ああ、大丈夫ですよ。……はい。いいですね?」男は僕たちのところに戻ってきて、言った。
「王子がご挨拶をしたいそうです」彼はメイドに指示した。
馬車の扉が開いて、少年が降りてきた。髪も肌も真っ白で陽の光に輝いて見えた。が、どうやら彼は陽の光が苦手な様子で、馬車の脇からいそいそとメイドたちがやってきて日傘をさして、彼を日陰の中にしまい込んだ。不健康に見えた。一瞬陽の光を浴びただけで彼はふらりとたたらを踏んだ。
そして馬車に戻ろうとした。
眼帯男は両肩をガクッと落として、王子に近づいた。
「ちょっと挨拶するだけですよ」
「だめだ、ダメだよ、ローレンス。ぼ、僕は……」
「ほら、原稿用意しましたからこれ読むだけですよ」
「う……わかった」
王子はメイドに支えられながらフラフラと歩く。
僕たちはボヘっとその様子を見ていたが、領主たちはそうではなかった。彼らは跪いて頭を下げていた。僕の隣にいた領主が僕の服を引っ張った。
「頭を下げるんだ」
僕たちは渋々跪いて頭を下げた。
王子は僕の前まで歩いてきたようだ。日傘の影が僕を覆った。
「みんな、立っていいよって言って」王子が近くにいたので、ローレンスに小声で伝えた言葉が僕の耳に入った。ローレンスのため息も。
「ああ、皆さんお立ちください」
僕たちは立ち上がった。王子は僕よりも身長が低かった。美しい少年だった。近くで見ても男か女かわからない中性的な顔立ちをしていた。
そして、清潔だった。高価な服に見えるのに、汚れやほつれが全く見られなかった。もしかしたら一度着たら脱ぎ捨てて次の日には新しい服を着ているのかもしれない。
彼の肌はつるんとして、日傘の影にいるのにこころなしか輝いて見えた。自ら光を発しているのか、それともこれが王家のスキルなのか、僕は余計なことを考えた。
彼はメイドに支えられながら、ローレンスから渡された原稿を読んだ。
「か……歓迎いただきありがとう。私は第二王子、アール・ペナース。先日の〔魔術王の左脚〕奪還について感謝を。いくつか褒美を与えよう」
アールはそう言って原稿をしまうと後ずさって、ローレンスの隣に立った。
「これでいいかな」
「ええ、いいですよ」ローレンスは続けて僕たちに言った。「〔魔術王の左脚〕奪還に関わった者たちと話がしたい。席を用意していただけないか?」
領主は僕を見て、それから言った。
「どうぞこちらへ」