# 12. デリク
研究室はスクロールで埋め尽くされていた。壁に備え付けられた棚だけでなく、机の上も椅子の上もスクロールだらけだった。
廊下に出された表札には「デリク・ルーヴァン教授」と書かれていた。
デリクは部屋の隅にあった小さな椅子を持ってくるとそこに座った。
「悪いが椅子は一つしかないんだ。そこに立っていてくれ」
客人を立たせる教授だった。すぐ出て行くつもりだからいいのだけど。
アンジェラは唇を尖らせて小さく「座りたい」とつぶやいた。
「お前たちは何を盗まれたんだ?」デリクは脚を組んで言った。
「〔まじゅ……」
「言えませんが、重要な品です」
僕はアンジェラより先に言った。アンジェラは口をつぐんだ。デリクは小さくゆっくりと頷いた。
「そうか。そうだろうな。《マジックボックス》に入れるものは大抵、大事なものだ」
「《マジックボックス》?」僕とアンジェラは声をそろえて尋ねた。
「なんだ? その反応は? 《マジックボックス》から盗まれたんだろ?」
僕はアンジェラと顔を見合わせてから言った。
「盗まれたのは僕たち自身ではないんです。ただ僕たちにとってもそれは重要なもので……」
僕は言葉を濁した。嘘はついていない。
「そうか、災難だったな」デリクは全く同情の色を見せずにそう言った。
「あの、《マジックボックス》からものを盗むなんて、そんなことできるんですか?」アンジェラは尋ねた。
「《マジックボックス》にはパスワードが必要だろ? 他人のパスワードがわかれば誰でも開くことができる。ちょうど他人から鍵を奪い取ればそいつの宝箱を開けられるように」
アンジェラは「ああ」とつぶやいて、それから眉根を寄せた。
「でも、オリビアはどうやってパスワードを調べたんでしょうか? まさか高価な《マジックボックス》のスクロールを何枚も消費するわけにはいきませんし」
デリクはにやにやと笑った。まるで生徒に難題を出して愉悦に浸っているかのようだった。彼が嫌な研究者だということはこの短時間でよくわかった。
彼はしばらくアンジェラが悩む様子を楽しんでいたが、時計を見ると遊んでいられないと気付いたのだろうか、足を組みなおして言った。
「あの女は〈魔術論理可視化〉という特殊なユニークスキルを持っているんだよ」
「魔術論理?」アンジェラは首を傾げた。
デリクは立ち上がると机の上から小さな平たいブロックをいくつか持ってきた。
彼はそのブロックを地面に立てて並べた。ブロックは初めは一列だったが、途中から三列に分岐し、また一列に戻っている。
デリクは始まりにおいてあるブロックに指をのせた。
「論理とはこのブロックのようなものだ。初めの一つを倒すと、遠くで別のものが倒れる」
彼はブロックを倒した。平らなブロックは連鎖的に倒れていく。一列だったブロックは三列に変わってもまだ倒れ続ける。三列のブロックは徐々に距離を狭めて一列に戻る。初めの位置より離れた場所で、最後のブロックが倒れた。
「魔法が発動するとこれと似たようなことが起きる。ある起点からいくつもの枝分かれをして、ひとつの答えを導く。それが炎、氷、雷などの現象として現れる」
アンジェラは「はあ」とつぶやいた。たぶんほとんどわかっていない。僕もわかっていない。
「オリビアにはこの道筋が見えている。どこでどう分岐して、どんな結果が現れるかが、実行する前に見えている。あの女はこの技術を利用して《マジックボックス》同士をつなげる論文を書いた。二つの別々のパスワードからなる《マジックボックス》を用意して、一方からもう一方に物を移動する。一度も外に出さずにな。何につかえるかは知らん。だが研究とはそういうものだ。話はそれたがこれで説明は以上だ」
デリクは説明を完了し胸を張った。たぶん本人は、最大限わかりやすい説明をしたつもりだろうが、僕たちは全くわかっていない。
デリクはしばらくにやにやと誇らしげに笑っていた。
「つまりどういうことですか?」アンジェラは尋ねた。
その瞬間、デリクはひどくショックを受けた顔をした。
「ま……まさかお前、……わかってないのか?」
アンジェラは頷いた。僕もおずおずと頷いた。デリクはぎょっとして僕を見た。
「お前もか!」彼は、ああ、とうなだれて、しばらくしてから言った。
「要するにだ、オリビアはスクロールを見ただけで、《マジックボックス》が発動する前から、中身が入っているかどうかわかるんだ! どうだ! この説明でわかったか!」
アンジェラは言った。
「最初からそう言えばいいのに」
デリクは立ち上がってブロックを蹴飛ばした。
「お前らがわかりやすいようにかみ砕いて説明したんだろうが!!」彼は頭を掻きむしった。額がさらに後退するんじゃないかと心配になった。
「とにかくだ、オリビアはパスワードの部分だけ別の紙に書いて、《マジックボックス》のスクロール上に乗せ、中身が入っているかどうかを確かめている。中身が入っているものだけを発動させて、人のものを盗んでいる。私は高価なスクロールをいくつも盗まれた!」
「それは災難でしたね」アンジェラは全く同情の色を見せずにそう言った。
「思ってないだろ!!」デリクは怒鳴った。理不尽だった。
「盗まれたことを知っているならどうして取り戻さなかったんですか?」僕は怒りに震えるデリクの気をそらそうと尋ねた。
「私はオリビアを問い詰めた。彼女は罪を認めた。しかし、そのときにはもうスクロールは売られていた! 私は彼女に復讐しようとしたが学長に止められた! あの女は退学だけで罪を逃れた!! 許すわけにはいかない!!」
額に血管が浮き出ていた。目は血走り呼吸は乱れ、足元がおぼつかなかった。倒れるんじゃないかと心配になった。
「ま、まあ座ってください」
僕はデリクに提案した。彼はフーフーと深呼吸をして、ドスンと椅子に座り込んでうつむいた。一つしかない椅子に座るのは彼で正解だと思った。
「退学後、彼女はどこに行ったんですか?」僕が尋ねるとデリクは顔をあげた。
「おそらくアンヌヴンだろう。盗品を売れる場所と言ったらあそこしかない。あの無法地帯なら何でもできる。私は行く勇気がないが」
僕はアンジェラに尋ねた。
「アンヌヴンってどこか知ってます?」
「知ってますよ。行き方もわかります。情報ありがとうございました!」アンジェラは頭を下げてそそくさと部屋を出て行った。
僕も一礼すると彼女の後を追った。出て行くまでデリクはぐったりとしていた。怒り過ぎたんだろう。