# 2. スティーヴン
第一章では三人称でしたが、第二章からスティーヴンの回は一人称で書いています。
「スティーヴン、たまには遠くに行こうにゃ」リンダが僕に近づいてきて言った。受付のそばにマップを置きに来たところでばったり彼女に出くわした。白い耳がピコピコと動いている。しっぽがぶんぶん揺れている。僕は少しだけ目をそらした。
「ああ、行きたいのはやまやまなんですが仕事が……」
リンダのしっぽが動くのをやめてぶら下がった。
「なんにゃ! 仕事仕事ってそればっかりにゃ!」
そこに上司のグレッグがやってきた。残りのマップを持ってきて受付のそばに置くと言った。
「たまには休んでもいいぞ」リンダが満面の笑みを浮かべた。
「ほら、いいって言ってるにゃ!」
「いやあ、あはは、……考えておきます」そう言って僕は後ずさった。
「それも前聞いたにゃ! いつまで考えるのにゃ! スティーヴン!」
「すいません!!」僕は逃げるように写本係の部屋に入った。
ため息をつく。リンダが嫌いになったわけでも疎ましく思っているわけでもなかった。彼女に問題はない。問題があるのは僕の方だった。
最近、よく悪夢を見る。それは失敗したあの日の夢だった。
エヴァによってソムニウムの街は破壊され、リンダが死んだ。街は荒れ果てて瓦礫の山になってしまった。
あの日の夢を何度も見る。
ドロシーの泣き声が聞こえる。心に幾本ものツタが張って、じわじわと締め付けられるようなそんな苦しさがずっとある。
僕はこの街を救った。けれどそれは一時的なものに過ぎないのではないかという気がする。現に〔魔術王の右腕〕はこの街に埋まっている。他の魔術師が何か封印を解く方法を見つけてまたやってくるのではないか。また、街は危険にさらされるのではないか。
僕はそれが怖くて仕方なかった。
だからといって何ができるわけでもない。ただ、突然襲われても対応できるように僕はこの街を離れることができない。
僕がいないとだめなんだ。
僕は自分の机に戻ってまたマップを作製する。この時間だけが僕を焦りから引き離してくれる。不安から解放してくれる。僕はマップ作りに没頭していた。
◇
「……スティーヴン。スティーヴン!」
はっとして顔をあげる。上司のグレッグがそばに立っていた。彼は髭を触り、ため息を吐く。
「今日はもう終わりだ」
「あ……ああ、そうですか。すみません、気づかなくて」
時計を見るとすでに二十二時を回っていた。スクロール係はすでに帰宅したようだった。僕は強く目をつぶった。かなり疲れている。
僕は作成したマップをまとめた。すでにインクは乾いていた。マップを片付けているとグレッグは言った。
「スティーヴン、君は働きすぎだ。最近特にひどくなっている」
「そうですか? ああ、いえ、そうかもしれませんね」僕はマップをしまうと自分の肩をもんだ。筋肉が張って硬くなっている。
「金が足りないのか?」僕は苦笑いをして首を振った。
「いえ、そういうわけでは……」
「じゃあ何か悩みでも?」
グレッグは近くの椅子を持ってきて座った。僕は押し黙った。話して何か解決するとは思えなかった。これは僕の問題でどうすることもできないものだった。
時計の針が動く。
グレッグは椅子の背もたれに体を預けて、手のひらを伸ばし指の関節を鳴らした。
「無理に話してくれなくてもいい。ただ、悩みがあるならいつでも聞こう。それはおそらくギルドマスターも、リンダもそうだ。君の周りの人間は誰もが君の悩みを聞いてくれる」
「ありがとうございます」僕は微笑んで言った。グレッグはため息をついた。
「私は君が倒れてしまうのではないかと心配だよ」彼はそう言うと立ち上がり、蛍光石のランプを持ち上げた。「鍵を閉めよう。忘れ物はないかな?」
「はい」僕はグレッグについていき、写本係の部屋を出た。
ギルドを出た僕は教会の前にやって来た。屋根裏部屋から明かりが漏れている。どうやらドロシーはまだ起きているようだった。
一度火事で破壊され、再建された教会は、昼間は街の人が出入りして会話をしたり休んだりする憩いの場として使われていた。ドロシー以外のシスターも2人増えて、ドロシーの仕事は楽になったように思えた。以前と全く違うその様子に僕は安心していた。
ドロシーが窓から顔を出して僕を見つけた。屋根裏から明かりが消えて、コトコトと歩く音がして、鍵が開き、教会のドアが開いた。
「遅かったわね」ドロシーはランプを揺らして言った。
「別に降りてこなくてもよかったのに」
「だって毎日来るじゃない? それに、あなた、仕事ばっかりでこの時間くらいしか話せないし」
ドロシーは半ば呆れ気味にそう言った。僕は苦笑して頷いた。
「まあ、そうだね」
「入って。何も食べてないんでしょ? 子供たちの残りでよければ出してあげる」
「ありがとう」僕は言って、教会に入った。
「待ってて、すぐに用意するから」ドロシーの言葉に頷いて、僕はテーブルについたが、しばらくして強い睡魔が襲ってきた。
少しだけ眠ろう。
僕はテーブルに突っ伏して目を閉じた。
◇
ドロシーが食事の準備をして、スティーヴンの座るテーブルに近づくと、彼は突っ伏して眠ってしまっていた。ドロシーはため息をついて、食事を置き、スティーヴンの隣に座った。
なんだかやつれたように見える。以前よりも、腕や首が細くなったように感じる。
小さく呼吸し上下する体は、ひどく疲弊しているようだった。
今にも消えてしまうのではないかとドロシーはおもった。
スティーヴンは無理をしている。それがどうしてなのかドロシーにはわからなかった。ただ、心配で、不安だった。
ドロシーはスティーヴンの頭をなでた。
「無理しないで。あなたがいればそれでいいのよ」
スティーヴンは小さく寝息を立てている。ドロシーは、彼の顔をじっと見つめていた。