セーブ
赤髪の男のことなどスティーヴンは覚えていない。彼が誰なのか全くわからない。スティーヴンは首を傾げた。
「あなたは誰ですか?」
「ああ、覚えていないだろうな。そうだろうと思っていたよ」
彼は腰からナイフを取り出した。月明かりに浮かぶそのナイフは輝いて見えたが、その実、真っ黒な刀身をしていた。スティーヴンはおびえた。
「何をするつもりですか?」
赤髪の男はスティーヴンに近付くと額に刃を向けた。
「少し刺すだけだ」
彼はスティーヴンの眉間にナイフをチクリと刺した。
その瞬間、スティーヴンの脳内に大量のイメージが沸き起こった。
イメージ?
いや、これは記憶だ。
エレノアをブラッドタイガーから助けたこと。
街の人たちに受け入れられたこと。
初めてループを経験したこと。
魔族の存在。
ドロシーとの魔術師探し。
そのすべてが一気に戻ってきた。
一瞬意識を失う、目を覚ます。
スティーヴンは赤髪の男を見た。彼が今スティーヴンの額に刺したのはドラゴンの素材を使ったナイフ。
――絶滅したドラゴンの身体はスキルも魔法も打ち消す効果があったの。
ドロシーの言葉を思い出す。
「それはドラゴンの……」
「そうだ。あいつが使ったスキルの効果を消した。記憶は戻ったか」
「戻った。でもどうしてお前が?」
スティーヴンは警戒して彼を見た。
「ドロシーに雇われたんだよ。白金貨5枚で。俺にしてみれば相当な収入だ。どっからそんな金が出てきたんだか」
「白金貨5枚?」
――〈エリクサー〉はものっすごく貴重でどこにも出回ってないのよお。
――一つ白金貨5枚はするわあ。
ドロシーは〈エリクサー〉を売ったんだ。そこまでして助けようとしたのか。
「ドロシー……」
スティーヴンは彼女に感謝した。
「さて、俺の任務はお前を助けることだけじゃない」
「他の任務って?」
「あいつを殺す。あの魔術師エヴァを。お前も手伝え」
スティーヴンは一瞬ためらったが、頷いた。
◇
いつもと同じように、エヴァは東屋に備え付けられたベンチ座って本を読んでいる。あの〔魔術王の右腕〕が入った箱は肌身離さず持っている。
スティーヴンはトレイをもって彼女に近付く。トレイの下にはナイフを隠し持っている。ドラゴンの素材ではない。あれは赤髪の男が持っていった。このナイフは調理場からくすねてきたものだ。
スティーヴンはテーブルにつくと、カップを置いた。
「ああ、ありがとうございます」
彼女はスティーヴンがテーブルに置いたカップを手に取ると口をつけ……なかった。
「なにかおかしいですね」
彼女はカップを置くと、スティーヴンを見上げた。
スティーヴンはナイフを取り出し、身体強化魔法を使って剣速をあげた。
「アクティベイト」
彼女はいつの間にかスクロールを開いていた。
単純な魔法壁が展開される。ナイフが止まる。スティーヴンがよく使う最強の魔法壁ではない。完全物理反射ではない防御魔法だった。
「私はいつだって警戒していましたよ、スティーヴン。いつかこうするときが来ると思っていました」
彼女は言った。
その瞬間、
「後ろに気を付けな」
赤髪の男がドラゴンのナイフをエヴァの首に突きつけ、切り裂いた。
「かっは」
彼女は血を噴き出し、喉元を抑えて、倒れた。
「ふう、これで終わりか?」
赤髪の男がそんなことを言った。スティーヴンは真正面から血をかぶり、顔をしかめた。彼は袖で顔を拭い、目をあけた。
エヴァが、箱から〔魔術王の右腕〕を取り出し、装着した。
その鎧のような真っ黒な右腕に緑色のダヴィト文字が走る。彼女はそのまま、腕を喉に当てた。
文字が消える。
エヴァがのどから手を離すと、傷が消えていた。
エヴァは荒く息をする。せき込み、血を吐き出している。
「なんだそれ」
赤髪の男は信じられないと言った顔をした。
何度もせき込んだ後、エヴァは言った。
「選ばれし者にしかつけることのできない鎧です」
彼女はそう言うと右手を赤髪の男に向けた。腕が今度は真っ赤に光る。ダヴィト文字がらせん状に腕を這う。
魔法が発現してしまう。
咄嗟にスティーヴンは〈アンチマジック〉発動した。
腕の文字が消える。
「スティーヴン!」
エヴァは叫び、スティーヴンをにらんだ。
その時、彼女の腕に異変が起こった。〔魔術王の右腕〕が外れた。
「え?」
エヴァは自分の右腕をみた。腕が、塵と化していく。
「どうして! 私は魔法を使えた! 私は選ばれし者のはずです!」
右手の先から塵になって徐々にそれは肘の方へと進んでいく。
「嫌です! スティーヴン! 〈エリクサー〉を使ってください! 助けてください!」
スティーヴンはナイフを握りしめた。
こいつのせいで何人の命が犠牲になった?
街は壊されてしまった。
初めて受け入れてくれたあの街が。
スティーヴンはナイフを振りかざし、魔術師の心臓に突き立てた。
エヴァは叫んだ。右腕が肩まで塵になり、その塵を〔魔術王の右腕〕が吸い込んだ。
彼女はがっくりとうなだれて、死を迎えた。
スティーヴンは呼吸を荒くして、彼女を見下ろしていた。
その時、声がした。
――ユニークスキル『記憶改竄』をセーブしました。
――最大魔力量をセーブしました。
スティーヴンは自分の両手を見た。真っ赤に染まっていた。
赤髪の男が言った。
「人を殺すのは初めてではないだろ?」
スティーヴンは彼を見て言った。
「ええ。でも慣れたくありません」
彼は寂し気に微笑んで言った。
「そうだな。……俺は慣れてしまった」
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