準備
教会が襲われるその日まで、スティーヴンは魔法の練習をしていた。
鼻血を出しては倒れる姿を見て、ドロシーは怪訝な顔をしていた。
死んだとき、ロードによって記録した時間に戻れるとはいえ、身体ごとその場所に戻れるわけではない。おそらく、筋骨隆々になっても、過去に戻れば筋肉はしぼむだろう。
老人になった後、過去の記録をロードすれば若返ることができるのはうれしいが。
そう考えると、老衰で死んだ場合どうなるのだろうとスティーヴンは思った。
こればかりはその時にならないと分からない。
スティーヴンの目の前で〈アンチマジック〉のスクロールが明滅している。
脳はフル回転して、目がきょろきょろと動く。
ぶっ倒れる。
起き上がって続きをする。
それを繰り返して五日後。以前と同じように、スティーヴンは一時間スクロールを連続で表示できるようになった。
騎士の襲撃からドロシーたちを守るためだ。いくら変な目で見られようが仕方ない。
スティーヴンはさらに〈テレポート〉を使いこなそうとした。視界に入っている場所しか転移できないのは本当なのか試したかった。彼は記録した場所なら正確に思い出すことができる。もしもその正確に思いだした場所にスクロールを転写したら?
その場所に転移できるかもしれない。
もしもの時、村人たちを逃がせるかもしれない。
スティーヴンは村に一番近い、あの成長しているダンジョンを思い浮かべた。オークキングが出てきた場所だ。記録していたその場所を思い浮かべる。なるべく正確に。
そこにスクロールを『空間転写』する。
意識を集中する。
こちら側のスクロールも転写する。
「アクティベイト」
スティーヴンは転移した。
目の前にダンジョンがある。
成功した。
まて、これができれば、街の人たちに避難するように言える。
今まであの声を信じていた。
――ドロシーについて知りなさい。
あの声を信じて行動すれば、必ず街の人たちを救えると信じてきた。
でも今になって、それができない可能性が出てきた。
魔術師の正体がわからない。
赤髪の男を捕らえられるかもわからない。
これは賭けだ。
スティーヴンはダンジョンを見た。今はおとなしいが、あの日、あの時間になればここから〔冒険者殺し〕が出てくる。多くの凶悪な魔物を連れて。
止められないかもしれない。それは簡単にありうる話だった。
スティーヴンは教会に転移すると、ドロシーに言った。
「ちょっと出てくるよ」
「出てくるって、森に?」
「いや、街に」
ドロシーは訝しんで言った。
「逃げるの?」
「違う。逃がすんだ。街の人たちを」
「彼らが聞くと思う? それに、もう記憶を操られているかもしれない」
スティーヴンはドロシーの目をじっと見た。
「そうかもしれないけど、行く価値はある。ぼくたちの計画は、成功するとは限らないものだから」
ドロシーはそれを聞くとため息をついてこめかみを抑えた。
「確かにその通りだけど……」
「とにかく行ってくる。だめそうならすぐに戻ってくるから」
「……わかった」
スティーヴンはドロシーの目の前で転移した。
◇
彼はギルドの前に転移した。近くを歩いていた人たちが驚いて後ずさった。スティーヴンは「すみません」と頭を下げて、ギルドに入っていった。
「ギルドマスターは、ラルフさんはいらっしゃいますか!?」
スティーヴンがそう叫ぶと、ギルド内の人々がこちらを向いた。
「スティーヴン!!」
今日はクエストが終わったのか、リンダがそこにはいた。彼女は駆け寄ってきてスティーヴンを抱きしめた。
「心配したにゃ! 【コレクター】から逃げてこれたのかにゃ?」
「すみません心配おかけして」
ぎゅうぎゅうと抱きしめられ、苦しかったがスティーヴンはそう言った。
「戻ってきてくれてうれしいにゃ!」
彼女はさらに強く抱きしめた。ぼろぼろと涙をこぼしていた。
「うう、苦しいです」
「ああ、ごめんにゃ」
リンダは言うと身体を離し、涙を拭いた。
「おかえり、スティーヴン」
リンダの後ろからヒュー達が現れた。
彼らと握手をする。テリーも手を出してきた。相変わらず何を言っているのかはわからなかったが。
ここにいると安心する。ここは自分の場所だと、いま改めて思った。
「スティーヴン」
「ラルフさん!」
彼は冒険者たちの間を通ってやってきた。
「戻ってきたのか。心配したぞ」
「すみません」
「いや、【コレクター】にさらわれたということは聞いていた。無事でよかった」
「ありがとうございます。それで、皆さんにお話しが」
スティーヴンはこれから起こることをラルフやリンダに話して聞かせた。街が襲撃されること。それは防ぎようがないこと。
途中からクエストから戻ってきたマーガレットが加わって話を聞いていた。
「ダンジョンが成長しているのは知っていたが、まさかそんな事態になるとは……」
「時間があまりありません、皆さん逃げて下さい。街の人たちにもそう言ってください」
「ああ、わかった。できる限りのことはしよう」
ラルフはそう言ってくれた。
「ぼくは領主様に伝えてきます」
スティーヴンはそう言ってギルドを後にした。
◇
城に続く橋を渡る。領主の城は川に囲われていて、門までは石造りの橋を渡らなければならない。スティーヴンは橋を渡り終え門の前に立った。門番の騎士たちはスティーヴンを見ると訝しんだ。彼らの鎧は他の騎士より大きく見えた。身長もおそらく高いのだろうが、先を急いでいるスティーヴンにはわからなかった。彼は言った。
「領主様にお話があります。緊急です」
騎士たちはスティーヴンの姿を見ると眉間にしわを寄せた。
「お前は誰だ?」
「スティーヴンです。【コレクター】にさらわれていたギルドのマップ係です」
そう言うと騎士たちは互いに顔を見合わせた。片方の騎士が驚いた顔をしていった。
「スティーヴンってあの、〈エリクサー〉のか?」
「そうです」
彼らは急いで門を開けた。
◇
「スティーヴン!」
エレノアが駆けてきて彼に抱き着いた。
「心配した!」
彼女はそう言ってスティーヴンの肩に顔をうずめ、泣き出した。彼女とは久しぶりにあったようなそんな気がした。よく思い出せばその通りだ。彼女とまともに会話したのはベッドで、つまりループが始まる前だ。酒場ではエレノアはリンダと言い争うばかりでスティーヴンは彼女とまともに話をしたわけではない。そう思うとなんとなく郷愁じみた想いが心を浸した。
領主夫妻がやってきて驚いた顔をしている。
「どうやってここまで?」
「〈テレポート〉です。領主様。以前もお話ししましたが、街に危険が迫っています。もうすぐです。街の人を避難させて下さい」
そう言うとエレノアは顔を離し、首を傾げた。
「街が襲われるってどういうこと?」
「エレノアさん。ここは危険なんです。ぼくは何とか止めようとしてきました。でも止められないかもしれません。どうかお願いします。逃げて下さい」
「待って、あなたはどうするの?」
エレノアはスティーヴンの腕を強くつかんだ。まるでつなぎとめるように。
「ぼくはまだやることがあります」
「またいなくなるの?」
エレノアは涙をためた目でスティーヴンをにらんだ。彼は少し躊躇ったが、しかし、頷いた。
「どうしてもやらなければならないんです」
「ここに一緒にいてよ」
「すみません」
スティーヴンはそう言うと、エレノアの手を離した。
「領主様。どうかお願いします」
「分かった」
領主は頷いた。スティーヴンはそれをみて少しだけ微笑んだ。
スティーヴンは村へと転移した。
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