信用
ギルドに戻り、マップを更新する。3回目の作業だったが、いつもと変わらない。心はドロシーのことで支配されていた。まずはあの教会に向かわなければならない。あそこには彼女の秘密がたくさんある。
しかし、詳しい場所を知らない。
スティーヴンは考えた結果、ある計画を思いついた。
マップを書き終わり賃金をもらうと、リンダたちのもとへ戻る。
数分後。
「ヒューという冒険者はどこお!」ドロシーがやってきた。
スティーヴンはドロシーをじっと見ていた。
「俺だが、おまえ【コレクター】だな?」
ヒューはそう言うと、ドロシーの前へと出て行った。彼女は背伸びをするとヒューの顔面を両手でべたべたと触り始めた。
「おい! 死にたいのか?」マリオンが剣呑な表情で剣を抜いた。
「ああ、そんなつもりはなかったんだあ。ただ〈エリクサー〉が使われたと聞いていてもたってもいられなくなってきたんだあ」
彼女はそう言うと首をぶんぶん振ってあたりを見回した。
「で! 〈エリクサー〉を持っているのは誰!」
「誰も持ってない。この顔はスクロールで治したものじゃない」
ヒューは言った。
「じゃあその詠唱をした人物を連れてきてえ。おねがいだからああ」彼女はヒューにすがるようにして言った。
「ぼくだ」スティーヴンは言って歩き出した。
リンダが制止する。
「ばか、関わらない方がいいにゃ」
「いいんですよ」
スティーヴンはドロシーを見据えたまま言った。リンダは眉間にしわを寄せている。
「なに!」ドロシーがスティーヴンの声を聞きつけて走ってきた。
「あなた〈エリクサー〉について何か知っているのかしらあ?」
「ぼくが彼の顔を治したんですよ」
「ほんとにい?」
ぼんやりとしていたドロシーの目が爛々と輝いた。
「関わらない方がいいにゃ!」
リンダが後ろで忠告を繰り返している。
ドロシーはずいとスティーヴンに顔を近付けた。ぼさぼさの髪で隠れていた顔がようやく見える。何度も口づけを交わしたその顔が。
美しい顔が。
「ねえ、〈エリクサー〉のスクロールを作ってくれない? 代金はいくらでも払うわあ。あなたなら体で払ってあげてもいいわあ」
にこにことそんなことを言う彼女。
「だめにゃ! 先客がいるにゃ」
スティーヴンはそのさらに先客がいることを今更になって思い出したが、今はそれどころじゃない。
「じゃあ見せてくれるだけでいいからあ、ねえお願いい」
「だめにゃ!」
リンダがそう言うと、ドロシーは頬を膨らませていった。
「けちい」
ドロシーはとぼとぼとギルドの入口へと向かったがばっと振り返っていった。
「いいわあ。明日また来るからあ」
「来なくていいにゃ!」
リンダはスティーヴンを抱きしめるようにしてそう言った。ドロシーはふふふと笑ってギルドを後にした。
「行きましたね」
「スティーヴン! あいつに関わっちゃだめにゃ! ほしいもののためなら何でもする女にゃ!」
「いいんですよこれで」
スティーヴンは少しだけ微笑んだ。準備は整った。これで教会に行くことができる。
ドロシーと二人で話すことができる。
◇
スティーヴンの目の前で二人の女性が言い争いをしている。その様子を周りの人間たちは面白がって見ている。騒ぎ立てている。
酒場である。テーブルが移動され、中心に空間が開いている。喧嘩が始まるとそこで行うのが暗黙の了解になっていて、木でできた地面は血の跡が大量に残っている。
その「喧嘩の広場」に二人の女性と一人の男性。
言わずもがな。男性はスティーヴン。女性はリンダとエレノアである。
「私が先よ」
「関係ないにゃ!」
冒険者同士なら殴り合っている。ただこれは女同士の争いだ。口論が主体となることはわかっているのに、周りでは
「いけええ!」
「ぶん殴れ!」
などと、いつもの喧嘩と同じようなヤジ、歓声が飛んでいる。
スティーヴンは二人の間に立ってはいるものの、あたりを見回している。いつ来る?
リンダが言う。
「お嬢様がAランク冒険者のあたしに勝てると思っているのかにゃ」
「せいぜい馬鹿にしているといいわ。アーチャー風情が」
「にゃんだと!」
喧騒があたりを支配する。
いつの間にか酒場の主人が中心に立っていて、試合を取り仕切っている。
「両者武器の使用は禁止」
スティーヴンは喧嘩の場、円の中に入って行った。
「やめましょうよ、二人とも」
そうだ、過去の自分はこうしたはずだ。二人の喧嘩を止めようとして、それで……、
「スティーヴンはだまってて」
「そうにゃ」
二人が言ったその瞬間、スティーヴンは背後から抱きすくめられた。
リンダとエレノアがぎょっとする。
「【コレクター】!」リンダが叫ぶ。
スティーヴンが後ろを振り返る前に、ドロシーはスクロールを2枚開いた。
「アクティベイトお」
景色がゆがむ。リンダとエレノアの声が遠くなる。
「スティーヴン!」
スティーヴンは微笑んだ。
成功した。
一瞬暗転して後、ふわりとやわらかいものの上に落ちた。ベッドだ。懐かしいにおいがする。ベッドの周りには棚が備え付けられていて、その中には大量のスクロールが詰め込まれている。
彼女はスティーヴンの両腕を押さえつけると顔を近付けた。
「あなたはわたしのものお。私のコレクションにしてあげるう」
「それは困る」
スティーヴンはスクロールを『空間転写』して、ベッドのそばに転移した。ドロシーは一瞬スティーヴンの姿を見失って困惑していたが、彼を見つけると、狼狽した。
「え? え? どうやったの? 無詠唱?」
「話したいことがあるんだ、ドロシー」
「なんで私の名前知ってるの?」
スティーヴンは一瞬思案した。
「ぼくは未来から来たんだ。この部屋についても知っているし、君についてもいろいろ知っている。この先どうなるかも」
ドロシーは一瞬呆けていたが、鼻から息を漏らすと首を振った。
「そんなのありえない。そんな魔法は存在しない」
「スキルなんだよ。ユニークスキルだ。記録した時間に飛ぶことができる……条件付きだけどね」
ドロシーはじっとスティーヴンのことを睨んでいた。
「証拠は?」
「言葉を話せなくする薬を持ってるでしょ、ドロシー。それを使ってぼくの声をうばって、スクロールを書かせようとしているね?」
ドロシーは自分の手を一瞬ちらりと見た。
「それから、この場所が教会だということも知っている」
彼女はぎょっとして、それから親指を噛んだ。
しばらく、彼女はそうしていた。
「まだ、信用できないけど、でも……」
ぶつぶつと彼女は言うと、ふと、スティーヴンの方を見た。
「……話って何?」
「未来のことだよ。このままだと、この教会は襲われる。街も魔物の襲撃に遭う」
スティーヴンはことの詳細を彼女に語った。ドロシーはまだ半信半疑のようだったが頷いて話を聞いていた。
聞き終わると、彼女はため息をついた。
「なんていうか突拍子もない話。……けど、うん……。ダンジョンが急成長しているのは私もうすうす感じてた。でも急成長させる魔法なんてないのよ。だから自然災害だと思っていたんだけど……、街が襲われるっていうのはどうも意図的に感じる」
ドロシーはまた少し考えてから、スティーヴンを見た。
「頭では信用できた。けど心がまだ信用してない」
スティーヴンはため息をついた。
「じゃあどうしたらいい?」
「行動で示してほしい。そうね。まずは私たちのために働いて」
◇
エレノアはテーブルについていた。向かいには領主とその妻が座っている。家族の団らんとは言えない空気が漂っている。
領主が口を開いた。
「スティーヴンのことは心配しなくてもいい。すぐに戻ってくるさ」
「そうよエレノア」
二人はそう言うが、エレノアは首を振った。
「【コレクター】は欲しいもののためなら何でもするって……。もしかしたら傷つけられているかも……」
「そんなことないさ。大丈夫だ」
エレノアは首を振って、涙を拭くと席を立った。
領主夫妻は顔を見合わせた。
エレノアは部屋を出ると、廊下を進んでいく。
女性のわめき声が聞こえる。
廊下を曲がった先だ。いつものことだった。
声の聞こえる部屋の前でメイドがおろおろとあたりを見回している。エレノアに気づくとメイドは安堵のため息をついた。
「私がやるわ」エレノアが言った。
「申し訳ございません、エレノア様。お願いいたします」
「うん」
エレノアは食事の乗ったトレイをメイドから受け取ると、わめき声の聞こえる部屋へと入っていった。
声が小さくなった。
ブックマーク、評価ありがとうございます!