日々2
すぐ近くにはスクロールを『転写』している若い貴族たちがいる。彼らはスティーヴンがそばを通ると一瞥してあざ笑うように口元をゆがめる。スクロールは1枚の賃金が銀貨3枚。作業を『転写』で行うのだから1日10枚のノルマなどあっという間に終わらせてしまい彼らは銀貨30枚を手にできる。
しかも、フレデリックは貴族たちが『転写』したスクロールをろくに調べもしない。一瞬ちらりと見ただけですぐに「封をしろ」そう言って返してしまう。スティーヴンに対する態度とはえらい違いだ。
だが仕方ない。スティーヴンは貴族の出ではない。
スティーヴンが冒険者を志して街にやってきたのは5年も前のことだ、彼はその時12歳。村の期待を一身に背負って、少ない資金を使って通行料を払い、このギルドにやってきた。
現実は厳しかった。魔力もない、剣もろくに振るえない少年に働き口などどこにもなかった。剣を学ぶという手もあったが、それにはさらに金がかかった。スティーヴンにはそれだけの資金が残っていなかった。途方に暮れていた時にギルドマスターは言った。
「写本係で働いてみないか。ちょうどマップを書く人間がいなくてね」
ギルドマスター、アレックはそう言ってにやりと笑いところどころ抜けた歯を見せた。彼の体は細く冒険者としては三流だった。
少年で、何もわからなかったスティーヴンはこうして雇われた。初めは仕事をくれることを喜んでいたが、次第に現実を知っていくとスティーヴンは絶望した。
まず後天的スキル『空間転写』を借金で買わされた。金貨10枚(=銀貨1000枚)だと言われた。それは相場よりずっと高いことを後になって知ったが、村から出てきたばかりのスティーヴンは知らなかった。魔法契約書にサインをさせられた。
それから毎日小言で冒険者にもギルド職員にも「馬鹿な奴だ」といわれるようになった。「貴族が嫌がる仕事を低賃金でまんまと押し付けられてやがる」
はじめのころのノルマは5枚だった。それでも一日で終わらずフレデリックに殴られた。他の貴族たちはそれを見て笑っていた。
「無能」
「村に帰れ」
「平民と同じ空気を吸いたくねえんだよ」
スティーヴンは必死になって仕事を覚えた。ユニークスキル〈記録と読み取り〉を使って一瞬でマップを覚えるのは容易かった。村にいるときもすべての牛の識別ができた。それはひとえに彼の瞬間記憶能力ともいうべきスキルのたまものだった。一度記憶した風景はスキルを発動すればずっと覚えていられる。ある意味、マップの書き写しはスティーヴンにとって天職でもあった。
借金はまだ残っていた。おそらくフレデリックは後いくら借金が残っているかわかっていてマップを破っているのだろう。そう考えるようになってから1年が過ぎていた。
一生ここで奴隷のようにマップを書かされる。その考えが頭の中をグルグルと回ったが、ここを追い出されたからといって他に仕事はない。すでに17歳だ。今から冒険者など始められるわけがない。魔法も使えない、剣の才能もない、スクロールを買う金もないスティーヴンが生きる道はただ一つ。ひたすらマップを書き続けることだった。
今日も彼は10枚目の最後に自分の名前を書いて帰り支度をする。時刻は22時をまわっていた。