#31. 《聖剣》
パトリシアは復活していて、また、バルバラに突っ込んだ。ときどき、ブリジットたちが矢を放って、それを嫌がるように体を揺らしている。
僕は集中する。《テレポート》なら妖力を使わずに済む。
スクロールを『空間転写』する。
行くぞ。
僕が転移したのは、バルバラから少し離れたところ。すぐにカタリストに集中して、妖力をみた。
ざっと数える。140。
バルバラはまだ僕に気づいていない。でも、時間の問題だ。ブリジット達がバルバラの目に矢を放って、時間を稼いでくれている。
僕は詠唱を開始する。
「《妖精よ、僕と遊ぼう。円卓、聖杯、黄金のリンゴ。湖の乙女に……》」
と、その時だった。バルバラが僕に気づいた。詠唱はまだ一割も進んでいない。僕は、焦る。
バルバラは口を開いて僕をみた。大きな口の前に、魔法陣が一つ現れる。
僕は詠唱を続ける。
魔法陣が消えたが、何も起こらない。僕は傷ついていない、あたりに大きな武器は現れていない。
何だ? 何が起こった?
僕は次の単語は吐き出そうとする。
……声が出ない。口をパクパクと動かすが、空気が出るだけで、全く声が出ない。
そんな術式があるのか……。僕はカタリストをみて、ぎょっとした。
カタリストに刻まれた光は90。……足りない。
退却するしか……。
バルバラが腕を振り上げる。
間に合わな……。
と、突然、紫色の槍がドラゴンの腕に刺さった。それを見て僕はハッとした。
あれはロッドが使っていたものだ。僕のスキルを破壊した、あの槍だ。
紫色の槍はドラゴンにぶつかっても消えない。
どうして……。
「スティーヴン!!」アールがマーガレットやリンダに支えられながら、立っていた。
「逃げるんだ、ここは僕が……」アールは言った。
エヴァは〔魔術王〕の力は妖精術式ではないと結論づけた。それは光の輪が違うと僕が言ったからだ。ただ、〔魔術王〕は言っていた。彼女は魔法と術式を混ぜ合わせた魔術を作り上げたと。
アールが今使っているのは魔術だ。
だが、それでもおかしな点はある。
妖力はどこから持ってきている?
僕は思い出す。エヴァ……妖精の国で再会した彼女は僕の魔力だった。
――最大魔力量をセーブしました。
彼女を殺したとき、僕は、エヴァの魔力量をセーブした。
魔力量はセーブできる。
では妖力量は?
僕は〈記録〉をみた。
……あった。
最大妖力量15672。先代達の蓄積。
アールが使っているのは、おそらく〔魔術王〕がまだ〈セーブアンドロード〉を持っていたときに蓄積した妖力量だ。それが継承され、今僕の手元にある。
僕はバルバラを見上げた。彼女はアールを見ている。
声はまだ出ない。詠唱はできない。
ただ、妖力を持っていれば、別の方法を使える。
僕はカタリストをペンを持つように持った。パトリシアに教えてもらったあの感覚を思い出す。
スキルを使う感覚。安定した光。マップを書くときに真っ直ぐな線を引くように、力の加減を一定に保つように。
ペンの先に青い光が安定して止まる。
僕は〈記録〉を参照する。《聖剣》の詠唱ではなく、魔法陣の〈記録〉。
『空間転写』
目の前にオレンジ色の魔法陣が浮かぶ。複雑で立体的に入り組んでいる。
これではまだ、発動しない。魔法のようにはいかない。
僕はカタリストの先端に浮かぶ光を『空間転写』した魔法陣につけた。
複雑で立体的な魔法陣は、なぞるのに時間はかかるだろう。アールが時間を稼いでくれるといいが。
と、なぞってもいないのに、みるみるうちに、青い光は『空間転写』した魔法陣を満たしていく。空間に、青い魔法陣が徐々に出来上がっていく。
僕は更に集中した。もっと早く。
速度が上がる。
それはインクを使って、マップやスクロールを『転写』する感覚に似ていた。
魔法陣が完成する。
青い光が一瞬で一点に収縮すると、僕の頭上に飛んでいき、剣の形をなした。
青い、透明な剣。僕はそれを見たことがあった。
そうだ、守護者のマークだ。レンドールのつけたネックレスのマークだ。
バルバラが僕を見て唸った。
「《聖剣》!?」
僕はカタリストを握り直す。《聖剣》が傾く。
バルバラは逃げようと羽ばたき始めた。それだけこれが怖いらしい。アールが開けたものだろう、片方穴の開いた翼で不安定ながらバルバラの体が浮かび上がる。
「《妖精よ、私と遊ぼう。鬼ごっこ、かくれんぼ、赤い糸を辿れ。異端者、地獄の六、墓より出ずる火焔を纏え。火焔戦斧》」
どこからか声が聞こえる。
パトリシアが瓦礫の中から起き上がった。彼女はナイフを片方掲げて、バルバラに向かって思い切り投げつけた。炎の斧が回転しながら飛び、バルバラにぶつかる。
飛び上がったばかりのバルバラはそれを避けることができない、片方の翼に、斧が突き刺さり、燃え上がる。
「やっと届いた」
パトリシアはいった。
バルバラは地面に落ち、バランスをくずしてよろめいていた。炎は体に燃え広がることはなかったが、パトリシアが攻撃した部分は深く傷が入っている。
僕は駆け出す。
剣の心得なんてない。僕は冒険者じゃない。
王子のように、国を守るとか、ものすごく大きな大義のために戦っているわけじゃない。
僕は英雄じゃない。ただのギルド職員だ。
それでもやらなきゃならないときは来る。
そうやって生きてきた。
僕はバルバラの首めがけてカタリストを振る。
《聖剣》がまっすぐ振り下ろされる。
バルバラが恐怖の悲鳴を上げた。
ドラゴンの首が切り落とされた。
巨大な頭が音を立てて落ち、血液の雨が振る。
僕は肩で息をする。
バルバラの体が倒れて、土煙が上がる。
あたりはしんとしていた。
僕はバルバラの体を見上げた。
「やったぞ……、スティーヴン」アールが呟いた。
ブリジットたちがわっとアールに駆け寄った。
「よくやったな!」
「それつけたのか!」
彼は称賛されていた。なんとなく、僕がソムニウムに来て、すぐのことを思い出した。僕自身が認められたあの瞬間を。
彼は彼の大義を見つけたのかもしれない。そう思った。
アールをブリジットたちに任せたリンダとマーガレット、それからパトリシアが僕の方に来た。パトリシアは言った。
「どこで覚えたのそれ」
僕の頭上にはまだ《聖剣》が浮かんでいた。
「ああ、……あ、声が出る」僕は喉に触れて、言った。「先代たちの蓄積だよ。〈セーブアンドロード〉が完全に戻ったから。僕以外の〈記録〉が見れるようになったんだ。と言っても、体験できるほど情報はないけど」
だから多分、僕以前の過去に――例えば父さんの過去に――戻ることはできないのだろうと思った。
「それに、何で妖力持ってるの?」パトリシアはまた言った。
「それも先代からの蓄積」
「ふうん」パトリシアは無表情のまま言った。
僕は《聖剣》をしまった。
「ドラゴン殺しの英雄になってしまったな」マーガレットがそんなことを言った。
「また変な人達に巻き込まれると困ります」僕は苦笑して、思い出して言った。「そうだ、ブラムウェルは?」
「ああ、少し斬ってしまったんだった。ギルドで治療してるよ」
そうか、死んだわけじゃなかったんだな。良かった、と思う。
ギルドの方からドロシーたちがやってきた。それにメイド長たちも。
「スティーヴン! 血まみれじゃない! それにパトリシアも!」ドロシーは叫んだ。
「これは僕の血じゃないから」僕はドラゴンを見上げた。「パトリシアの方は……しらないけど」
パトリシアは自分の体を見て言った。
「これは私の血。これはドラゴンの血。……これはわからないけど」彼女はそう説明した。
「魔術師たちはドラゴンを見て逃げてったわ。自分たちの上にいるのがドラゴンだって知らないみたいだった」
「エヴァも知らないみたいだったし。そういうものなのかもしれない」
僕が言うとドロシーは頷いた。
僕はアールの方へと歩いていった。彼はメイドに〔魔術王の右腕〕を外すのを手伝ってもらっていた。
腕を蝕むように蔓のようなものを伸ばしていたから、どうなるかと思ったが、どうやら外れそうだった。
「外そうと念じたら外れた」アールはいった。「ただ、かなり腕はしびれてる。感覚が戻るかわからない」
震える右手を何度か開閉させて彼は言う。僕は〔魔術王の右腕〕をメイド長から受け取った。
また封印しておこう。