#30. 模倣子
どうなったんだろう。
あたりは真っ暗でまるでスロットを選択する場所のようだった。
僕は死んだのか? アールは結局僕を殺してしまったんだろうか?
「スティーヴン?」
声が聞こえる。それはセーブアンドロードを宣告する声だった。スキルの声。彼女の声に僕は答えた。
「僕はどうなったんですか? 死んだんですか?」
「いえ、あなたは死んでいない。私が少しだけ呼び出しただけ」
彼女は続けた。
「ようやく会話することができたよ。前任者がスキルを壊してしまってから話しかけることができずに困ってた」
僕はパトリシアの言ったことを思い出していた。
――ただ、その時の修復は不完全だった。継承しかできなかったの。だから父さんはお兄ちゃんに継承して、死んだ。
「やっと戻ることができてよかった」彼女の声音には嬉しそうな色があった。
「あの……あなたは誰?」
僕が尋ねると彼女は言った。
「私は、ゾーイ」
名前だけではわからないな、と思っていたら彼女は続けた。
「アン、アーシュラ、ジュリー、ニーナ、ジョセフ、ピーター、クライヴ、コリン。そして君、スティーヴンだ」
僕は眉間にシワを寄せた。体は見えないがそう意識した。
「そういう名前なんですか?」
彼女は笑った。
「違う違う。もっとわかりやすく言うと、私は、〔魔術王〕だ」
僕は押し黙った。ずっと聞いていた声は〔魔術王〕だったのか。
「でもあなたは、封印されてる」
「ええ、そう。そうなんだけど、それは肉体の話。私の精神は、もしくは魂は今もここに生き続けてる」
「それは僕の中でってことですか?」
「そう」彼女は続けた。
「私は不老不死。死ぬことも、老いることもなく過ごしてきた。ただ、私の子どもたちはそうではなかった。彼らは普通に老いて死んでいく。それに、私自身も肉体は老いずとも、心は老いていく。思考が固まって、感情が固まって行く。だから力を渡すことにした」
「4つのユニークスキル」僕が言うと、〔魔術王〕は「そう」と言った。
「私はユニークスキルと一緒にあるものを子どもたちに渡した。私は遺伝子を残した。でも私は死にたくなかった。死にたくなかったけれど精神の老いからは逃れたかった。その矛盾から一緒に模倣子も残すことにした。私自身を、残すことに」
さっぱり何を言っているのかわからなかったけれど、彼女は続けた。
「わかりやすく言うと、私は、私のすべての記録を子どもたちに引き継いだ。私はすべての記憶を思い出すことができた。〈記録と読み取り〉によってね。そしてそれは記憶として、ではなく体験として引き継いだ。〈記憶改竄〉によって。わかるかな、スティーヴン。〈記録と読み取り〉と〈記憶改竄〉の二つがあれば、自分をもうひとり作り出すことができる。肉体は違ってもね」
僕は唖然としてしばらく何も言えなかった。
「子どもたちにそんなことをしたんですか? それは……ひどいことじゃないんですか?」
彼女はため息をついた。
「私だって呵責の念はあった。思いついても数十年は実行できなかった。だが、ある日、子供の一人がどうしても私を受け入れたいと言ってきた。……私はそれを許してしまった。でも実際にやってみてわかったんだ。私自身を誰かにコピーしても、その人物の個性が死ぬわけじゃなかった。乗っ取りじゃない。二つの個性は混ざり合って一つの人格を作り上げた。そして、老いはなくなった」
僕は唸った。
「それは、倫理に反さないんですか?」
「どうして? 肉体ではこれだけ人種を越えて混ざり合っているのに、どうして精神ではいけないんだ?」
僕は黙ってしまった。彼女は続けた。
「混ざり合うのは私の生き方にあっている。肉体を混ぜ合わせて遺伝子を残すように、精神を混ぜ合わせて模倣子を残すように、私は魔法と術式を混ぜ合わせた。それが私が〔魔術王〕と呼ばれる所以」
「魔法と妖精術式で魔術?」
「そうだ」彼女は言った。
「でも二つは相反するものじゃ……?」
「それを一つにして使えるから、私はドラゴンにも打ち勝てた」
彼女はそう言って続けた。
「話を戻そう。ただ、君の父親の代で模倣子は途絶えてしまった。私は肉体から完全に離れ、こうして、精神だけで生き続けている。きみのなかでね」
「あなたは僕と一体になることを望んでいるんですか?」僕が尋ねると彼女は笑った。
「いや、違う。初めはそう考えていたが今はね。私はこの不完全な形が好きになってしまった。このままで構わない。ここから君を見続けることにするよ」
彼女は続けた。
「現実に戻そう。今は、王子様がスキルを戻してくれた瞬間。まだ、ドラゴンが残ってる」
そうだった。僕は焦りだした。
「そうだ、言い忘れていたことがあった。いちばん重要なことだ」
彼女は言った。
「スキルが壊れている時間。つまり、アンジェラやレンドールがソムニウムに初めて来たあたりから、今までの期間に戻ることはできない。〈記録〉の参照はできるが戻れない。それは注意してほしい。それともう一つ、君のユニークスキルは全て完全に戻った。これを忘れないように」
どういう意味か考えるより前に、僕の意識は遠のいていった。
◇
はっと目を開くと、アールが倒れている。光の残像が目に焼き付いていた。
「どうして……どうしてですか、アール様」バルバラが呻いていた。
僕は、アールの近くに駆け寄って〔妖精の樹〕と〔白の書〕を手にした。バルバラはうめき続けて、そして、变化していく。彼女の体は徐々に大きく醜くなっていく。尖った鱗が腕や足に生えていく。
「アール様……、アール様……」彼女の声はくぐもっている。
近くにいたマーガレットにバルバラはぶつかった。マーガレットの頬に鱗が傷をつける。
僕ははっとして、アールを立たせ、エレノアに近づいて、記憶をもどした。避難させないと……と、そこで思い出した。
「そうだ、もう魔法が使えるんだ」
僕は〔白の書〕を地面に置くと、エレノアだけを連れて、古い教会に《テレポート》した。
……成功した。
古い教会にいた街の人にエレノアを任せて、僕はソムニウムに戻る。まだやることがある。
倒れたマーガレットに近づくと、彼女はもう目を覚ましていた。
「スティーヴン……私は……」
「大丈夫です。わかってます。あいつから逃げましょう」
先程よりずっと大きくなっているバルバラを指差すと、マーガレットは目を見開いた。
「ああ、逃げよう」
「アール様とパトリシアを一緒に運んでください」
と、パトリシアを見ると彼女は体を起こしていた。腕も元に戻っている。
「私は平気。自分で歩ける」
僕とマーガレットはアールを担ぎ、パトリシアは〔白の書〕と〔妖精の樹〕を持って、教会の壁の穴から外に出た。
バルバラは暴れまわり、教会に更に穴を開けて外に飛びだした。すでに体はほとんどドラゴンになっていて、その姿を見た魔術師たちは逃げ出した。彼らは自分たちの上の人間がドラゴンだと知らなかったのだろう。エヴァもそんな感じだった。
「あんなのどうしたら良いんだ?」マーガレットは呟いた。ドラゴンは更に巨大化して、教会と同じくらいの高さに頭があった。ブリジットたちや記憶を取り戻したリンダたちが遠くから、ドラゴンの様子を見ている。
バルバラはあたりを見回して、こちらをみた。
「アール様……」そんなくぐもった声が聞こえた。
バルバラがこちらに近づいてくる。アールを手に入れようとしている。いや、もしかしたら〔魔術王の右腕〕かもしれない。
〔魔術王の右腕〕が奪われてしまえば、僕のスキルはまた破壊されるだろう。今度は完全に。
「私がなんとかする。皆を逃して」パトリシアはそう言ってまたナイフを取り出した。
「無茶だ。だって、人間の姿のバルバラにも敵わなかったのに……」
「それでも」パトリシアは僕に言った。その目は決意をしていた。
「わかった。時間を稼いでくれ」僕は言って、アールを運んでいった。パトリシアが詠唱をするのが後ろで聞こえる。
アールをメイド達に任せる。アールはすでに目を覚ましていたが、疲れからか、腕の痛みからか、ぐったりしていた。
「スティーヴン……スキルは……?」
「完全に戻りましたよ。ありがとうございます」
アールは微笑んだ。
「よかった……。バルバラは僕を狙ってる」
「ええ」僕はバルバラを見た。パトリシアが戦っているが、バルバラは一歩ずつこちらに向かっている。
僕はアールを任せて、〔白の書〕と〔精霊の樹〕を渡して、パトリシアのもとに戻った。
パトリシアは苦戦していた。ブリジットたちも遠くから妖精術式を使っていたが、なにかおかしかった。彼女たちの方へと走っていく。
「妖精術式がうまく使えない」ブリジットは言った。彼女たちは妖精術式で弓を作り出していたが、それは不安定だった。
「あのドラゴンが、妖精を引き寄せている。この辺り一帯にいる妖精全てだ。ここらへんは妖精が足りない。ほとんど全部持っていかれてしまう」
そう言っている間にも、ブリジットや戦士たちの弓が消えてしまう。ただ、パトリシアはまだ大きな斧を使っていて、安定している。
「ドラゴンの近くに妖精が集められているんだ。ドラゴンに近ければ、もしかしたら、安定して使えるのかもしれない……。おい、隠れろ!」ブリジットが言って僕の服を掴む。
バルバラは口を大きく開けた。口の周りにいくつもの青い魔法陣が展開されて。魔法が発動する。炎の騎士たちが走りくる。パトリシアが飲み込まれ、騎士の炎の槍に突き刺されるのがみえた。
アールのいる場所には全く火がなかった。やはり狙いはアール自身のようだ。
ブリジットにひっぱられ、僕は建物の壁に隠れた。炎の騎士が駆け抜けていくのが見える。あたりに炎が燃え移る。僕はスクロールを空間転写して、雨のように水を降らせたが、火は消えない。水が火に触れた瞬間消えてしまう。
「スクロールの魔法は妖精術式で消える! 使っても意味がないぞ!」ブリジットが言った。
静と動の関係だと言っていた団長を恨んだ。一方的に妖精術式のほうが上じゃないか!!
燃え広がっていく。このままだと街が……。
「妖精術式で水をかけろ」ブリジットが言った。
「でも、もう妖力が……」戦士が言った。
「いいからやれ」
ブリジットたちが《水をふらせ》と短く詠唱をした。
炎が消える。ドラゴンの周りだけ焼けてしまったが街全体が燃え広がるのはふせげたようだ。
「ここにある妖力を使い尽くしてしまった」
ブリジットは肩に下げていた弓を構えて矢を発射した。
バルバラの顔の近くを通り過ぎる。バルバラはそれを嫌がった。
「あいつは、もう片方の目がやられるのを気にしている。パトリシアを援護する方法はこれしかない」
あいつの気をそらす妖精術式を僕は知らない。そもそも僕はほとんど妖精術式なんて知らない。見ていることしかできないのか?
僕は〈記録〉をみた。何か妖精術式で覚えているのはないかと思ったからだ。といって、僕が見た戦闘用の妖精術式はパトリシアの《火焔戦斧》とローレンス……バルバラの《海ノ槍》、そのくらいだ。
そう思って、いたのに。
「なんだこれ……」
《金剛鎌》《攻撃槍》《蛇ノ杖》《雨剣》……。
おびただしい量の妖精術式の〈記録〉が現れた。開けば、説明と、呪文と、なぜか人間に使えない魔法陣が現れた。威力ごとに分類されている。
それも、体験としての〈記録〉ではない。僕がスクロールを思い出すときは、前のギルドで見たスクロールの「場面」を思い出していた。だから、斜めから見た場面だったりすると、ちょっとずれて転写されたりしていた。これはそうじゃない。場面は出てこない。だからいつどこで誰が〈記録〉したのかはわからない。
ただ、妖精術式そのものが〈記録〉されている。
僕は〔魔術王〕の言葉を思い出した。
――君のユニークスキルは全て完全に戻った。これを忘れないように。
こんなことができるのか……。
〈混沌〉のユニークスキルは代々受け継がれてきた。多分これは彼らの〈記録〉だろう、そう思った。先代達の蓄積だ。僕の〈記録〉ではないからそう考えるしかなかった。
しかもその中に、怪しい記録があった。
《禁術・怒》
《禁術・哀》
《禁術・喜》
《禁術・楽》
《禁術・苦》
《禁術・妬》
《禁術・魔剣》
《禁術・屠竜剣》
……触れないほうが良いかもしれない。何が起きるかわからない。屠竜剣、気になるけど禁術だし。
妖精術式それぞれには説明がついているが、禁術に関しては何も書いていない。
僕はそれを避けて、一つの術式に絞った。
《聖剣》
妖精術式の剣の中で禁術を除いて最強。と説明書きがある。必要妖力は100。
僕はペンのカタリストに集中した。線が四本だけ引かれた。
「ここではそんなものだ」ブリジットは言った。「ドラゴンの近くではどうかわからない。……ただ近づけるかどうかもわからない」
僕は言った。
「僕がドラゴンに近づきます。僕なら、最悪、死んでも今に戻ってこれる」
ブリジットはぎょっとして、それから言った。
「ああ、わかった。……たのんだ」
僕は〈記録〉をした。