#28. 教会(アール)
ソムニウムの教会にアールは連れてこられた。教会の外には仮面をつけた人間たちがぞろぞろしていたが、ローレンスの格好をしているドラゴンが通るとうやうやしく頭を下げた。彼らが守ってくれたかも何者なのかアールにはわからなかった。仮面の一人が、ローレンス姿のドラゴンにいった。
「すでに準備はできています」
彼は頷いて、アールとともに教会に入った。
教会の中はガランとしていた。長椅子が全て壁に押しやられていて、広くスペースが開いていた。礼拝堂近くには空色の髪の女性が立っていた。あれは確か、Sランク冒険者のマーガレットだったか? アールは名前をなんとか思い出した。それともうひとり女の子が座っている。
マーガレットは少しぼうっとしたように地面を眺めている。
アールの視線を追って、ローレンス姿のドラゴンは言った。
「スティーヴンたちとのお話のときにいましたね。あの方は〔魔術王〕の血を引いているのです。〔魔術王の右腕〕は誰でも装着できるわけではありません。〔勇者〕の血を継いだ者が装着できるのです。彼女の記憶は書き換えてあります。スティーヴンの〈混沌〉を破壊してくれるでしょう」
彼は手を差し出した。
「さあ、アール様、〔妖精の樹〕を」
アールは後ずさった。
「どうしたのですか?」
アールは彼を睨んだ。「お前はドラゴンなんだろ? ブリジットたちが言っていた」
彼は右目の傷に触れて言った。彼はもう眼帯も片眼鏡もしていない。
「ええ。そうですよ。私はドラゴンです。あなたに追い詰められ、あの元妖精に傷をつけられたドラゴンです」彼は一歩近づいた。アールはまた後ずさる。
「いつからだ。いつからローレンスのふりをしてた? まさかはじめから?」
彼は微笑んで首を横に振った。
「いいえ。つい先日です。正確には、妖精の国に旅立つ直前ですね」
「ローレンスはどうした!?」アールは両手を握りしめて言った。
彼は言った。
「殺しましたよ。もちろん。ええ。殺しました。死体はソムニウムに置いておきましたがどうやら見つかってしまったようですね」
アールは目を見張って頭を抱えた。「そんな……嘘だ……」
「いいえ。嘘ではありません。そして、殺したのはローレンスだけではありません」
彼はそう言って、彼女になった。
ジェナになった。
「私も殺しました。アール様」そう言って彼女は右手の親指を見せた。そこには深い傷跡があった。
「スティーヴンと話すために一緒に行ったときの……お前だったのか……」
「ええ。そのとおりです。まだ他にも殺したことがありますよ」彼女はクスクスと笑った。
「どうして……どうして……」
彼女は更に一歩近づいた。アールはもう後ろに下がる気力がなかった。彼はただ呆然と立ち尽くしていた。
彼女はアールの目の前に来ると、アールをギュッと抱きしめた。彼女はアールの頭をなでた。
「アール様。心配しなくて良いんです。これから先、絶対に守ります。何にかえても。もうあなたは選択する必要はありません。私が全部見通してあげます。幸せにします。だから私に従って生きていれば良いんです」
アールは背筋に悪寒が走るのを感じた。この感覚は知っていた。アールは顔を上げた。
そこにはバルバラの顔があった。
ドラゴンはバルバラだった。
「もう、東か西かで悩む必要はないんです。私が全部決めてあげますから」
アールは叫んだ。だがバルバラは彼をギュッと胸に抱いて、悲鳴をかき消した。
アールは抵抗して、バルバラの腕から逃れると言った。
「今わかった。全部わかった。あの日、僕に選択をさせたあの日、お前は逃げ出したんだな! お前が王都にいるドラゴンなんだ!! だからあの部屋には研究者や騎士がいたんだ。あの人達はお前を管理していた!!」
バルバラはニッコリと笑った。
「ええ。そのとおりです。お利口ですね、アール様。研究者たちは邪魔だったので殺すつもりでした。でもその前に少しゲームがしたかった。次に通りかかった人に同じゲームをさせるつもりでした。そこにあなたが通りかかった」
バルバラは頬を赤く染めた。
「興奮しました。運命だと思いました。私は神に愛されている、そう思いました」
対して、アールの顔は真っ青だった。彼は首を大きく横に振った。
「僕はお前に従わない。従うもんか! お前に〔妖精の樹〕は渡さない。お前が未来を予知できようと、ダメだ! お前は妖精たちも人間たちも支配するつもりだ。そうだろ!?」
バルバラは微笑んだ。
「ええ。そうすることが私達ドラゴンの望みです。ですが……」バルバラは口元に人差し指を当てた。「もしアール様がお望みなら、アール様のために力を使いましょう。私が尽力してドラゴンを説得し、支配も最小限にします。ドラゴンと共生するとお考えください。そして私は、アール様が死ぬまでそばでお使えします。ただし、そのためには〈混沌〉を破壊する必要がありますが」
アールはバルバラを睨んだ。「共生なんて、嘘だ。きっとお前は、妖精たちを支配する。僕たちを支配する」
バルバラは言った。「ええ。どうなるかなんてわかりません。共生とは常にそういうものです。そうではありませんか? 歴史的に見ても、他民族との戦闘は頻繁に起こってきました。外の者が現れて、自分の領土に住み着けば、軋轢が起こるのは目に見えています」
「だったら……」アールは口を開きかけたが、バルバラは続けた。
「ですが、それはドラゴンと人間の間だけでなく、人間同士でも起きることです。……アール様、よく考えてください。あなたは王子なのです。きっと王になるでしょうし、政治にも関わるでしょう。東と西、両方から敵国の襲撃にあうこともあるでしょう。それは人間同士の軋轢から起こることです」
バルバラは小さくため息をついて言った。
「ドラゴンが支配していようと、そうでなかろうと、争いは起きます。それは敵国からの侵略かもしれませんし、国内の不満が爆発するからかもしれません。あるいは、城の中でのいざこざからかもしれません」
アールは口をつぐんだ。彼女の言うことは確かだと思った。
「私は力を貸します。約束します。はじめからそうすると言っていたでしょう? 〈混沌〉を破壊すれば、私は力を取り戻します。そうしたら、アール様のために力を使いましょう。未来をみて、正しい選択をお教えします。さあ、〔妖精の樹〕を渡してください」バルバラはまた、手を差し出した。
アールは〔精霊の樹〕を強く握りしめた。
「スティーヴンの力を取り戻せば、きっと、彼が力を……」
バルバラはため息をついた。「貸してくれると本当に思っていますか? 彼はソムニウムのためにだけ使うでしょう。彼とは大義が違う。それはこの前の話で十分理解できたのでは? ……それに、もし、スティーヴンが力を貸してくれたとしても、そこにあるのは茨の道ですよ」
バルバラは教会の扉に目を向けた。そこを開ければ、あの仮面の集団が待っているだろう。
「教会の外の人たちを見ましたか? 彼らは魔術師です」
「なんだって!?」アールははっと顔を上げた。
「大丈夫です。心配ありません。彼らはドラゴンの手下です。私が指示をしない限り動きませんよ。……ただ、もう、彼らは姿を表してしまいました。魔術師はこれで、完全に公になります。それはドラゴンの存在もです。私達はもう後戻りできないところまで来ているのです。……もしも、私ではなく、スティーヴンを選んだ場合、敵になるのは私達ドラゴンと、魔術師たちです。それはおわかりですね?」
バルバラはアールをじっと見た。アールは震えていた。バルバラはアールから離れて、扉を指差した。
「どうしますか、アール様? 私を選んで〔妖精の樹〕を手渡し、少しの支配と私の未来予知を手に入れるか、ここから逃げ、得られるかわからないスティーヴンの力に賭けて彼に〔妖精の樹〕を手渡し、ドラゴンと魔術師におびえながら暮らすか」
アールは扉を見た。
そしてバルバラを見た。
「私はあなたを守りますよ」バルバラは微笑んでいった。
アールは逡巡して、
〔精霊の樹〕を手渡した。
バルバラは深く息を吸い込んで、アールを強く抱きしめた。
「ああ。こうしてくれるとわかっていました。アール様、私は安心しました」
彼女はアールの額に口づけをした。アールは動かず、それを受け入れた。
「二人で世界を作っていきましょう。大好きですよ、アール様」
バルバラはニッコリと微笑んだ。