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#27. 記憶(アール)

 アールはバルバラの記憶を思い出していた。


 暗くジメジメとした、かび臭い、石造りの苔が生えた道を通ってバルバラに声をかけられたあのときの記憶。


 バルバラは、突然アールを抱き寄せた。


「うわ!」


「ああ、なんて可愛らしい」バルバラはアールの頭をなでた。アールは抵抗した。


「やめてよ! 僕は男だ! かっこいいほうがいいんだ!」バルバラの腕から逃れるとアールはそう叫んだ。バルバラは少し頬を染めて微笑んだ。


「かっこいいですよ、王子様」バルバラはかがみ込んでアールに目を合わせた。胸元が近づいて、アールは目をそむけた。


「こんなところで何してるの?」アールが尋ねる。


 バルバラはしばらく考え込んでいたが、良いことを思いついたように頷いた。


「内緒にしてくれるなら、お話しますよ」バルバラは微笑んで言った。アールは頷いた。


「内緒にする……」


 バルバラは更に微笑んで、アールの頭をなでた。


「じゃあ、一緒についてきてください」


「え……?」


 工場に行きたかったが、彼女のことも気になった。どこか魅惑的でドキドキした。王子という立場上よく貴族や役者を見ることがある。その中には「絶世の美女」とか「稀代の美人」とかなんかそんな、いろんな表現をされる美しい女性がたくさんいた。でも、バルバラはそんな人たちにはない魅惑を持ち合わせていた。


 彼らとバルバラを比べると、多くはバルバラのほうが劣っていると言うだろう。美しくはあるがどこか欠けている。バルバラはそんな印象だ。


 それなのに、アールにとって彼女は魅力的に映った。


 どうしてだろう。




 彼女の申し出にアールは小さく頷いた。


「じゃあ、決まりですね。行きましょう」バルバラはアールの肩を抱いて、ピトッとくっついて歩き始めた。彼女の体はひどく冷たかった。


 彼女は暗い廊下を歩いて、角を曲がり、更に暗い場所を歩いていった。


 扉を開けて、アールがいつもは通らない場所を進んでいく。


 この場所は来たことがあるような気がする。ただ、いつ来たのか、どこへ向かう道なのかわからない。そのもやもやが嫌でアールは尋ねた。


「ここ、どこ?」バルバラは微笑むだけで答えなかった。


 階段を降りていくと、ますます暗くなって、隣りにいるはずのバルバラの顔が見えなくなった。彼女が体に触れる感覚だけが頼りだった。


「ねえ。どこに行くの?」アールはだんだん怖くなって、足が重くなった。バルバラはアールの背中を擦った。


「もうすぐですから」


 と、行き止まりについた。いや、そうじゃない。それは壁じゃない。大きな扉だった。扉はほんの少しだけ開いていて、嫌な臭いがしていた。何の臭いかわからない。


 アールは鼻をつまんだ。


「なにここ……くさいよ」


「おいで」バルバラはアールを引っ張って、扉の中へといざなった。


 真っ暗で何も見えない。アールはほとんどバルバラに抱きつくようにして歩いていった。ときどき何かを踏んだ。それは柔らかい何かで、アールは悲鳴を上げた。


「大丈夫。大丈夫」バルバラはくすくすと笑った。


 バルバラは立ち止まった。カチャカチャと音がなって、突然あたりに光が満ちた。アールは眩しさに強く目をつぶった。バルバラが背を押す。アールは歩く。


 目が徐々になれてきてあたりが見える。


アールの背で扉の閉まる音がした。そこは石で囲まれた部屋だった。部屋は広く、競技場のように見えた。


 多分魔法で壁を作ったのだろう。石を積み上げて作ったときのデコボコがまったくなく、壁はのっぺりとしている。ところどころに傷があって、崩れている場所もあった。


 目が完全に慣れる。


 アールは部屋の中心を見る。


 そこには何人かの男女が座っていた。研究者風の女性もいれば、騎士のような男もいた。彼らの多くは傷ついていて、倒れて血を吐いているものもいた。


 よく見ると座っている人達は二つに別れていた。左右に二つのグループができている。


 彼らは手足を縛られて、猿ぐつわをされていた。


 アールはショックを受けて後ずさった。


「なに……これ」


 騎士たちがアールを見てぎょっとし、呻いた。


 バルバラは椅子を持ってきて、アールを座らせた。


「あそこで待っていたんです。誰か通らないかなと。もうひとりメイドか、使用人が通ったらあそこにくわえるつもりでした。だって人数が違うでしょ?」


 バルバラはそう言って研究者たちの方を指差した。


「左のグループは七人、右のグループは八人ですから。でも、そこに王子様が通りかかった」


 アールは震えた。「僕も痛めつけるの? 手足を縛って、……あんなふうに」


 バルバラは首を横に振った。


「いいえ。そんなことはしません。だって大切な王子様ですから」


 バルバラはアールの頬に触れた。アールは身を固くした。彼女はアールの後ろに回って、椅子ごと抱きしめた。耳元に唇が当たる。アールは更に身を固くする。


「王子様、あなたはこの先、しっかりとした選択をしなければなりません。あなたは王家の人間です。王になるかもしれません。重要な判断をしなければならない時が来るでしょう。それは民の半分を殺すか、そうでなければもう半分を殺すか、なんていう重大な判断かもしれません」


 アールは更にバルバラに強く抱きしめられて、小さく悲鳴を上げた。


「これはその予行演習です。私からの授業ですよ。間違わないように今練習しておくんです」バルバラが頬に口づけをした。アールは涙を流した。彼女はアールから離れると、つかつか歩いて、アールの前でかがんだ。


「王子様。選んでください。右の人々を救うか左の人々を救うか」


 バルバラは少しだけ考えてから言った。


「こんな状況だと思ってください。あなたの国に二つの敵が同時にやってきました。片方は東、片方は西です。両方に援軍を出すことはできません。救えるのは片方です。どうしますか?」


 バルバラはアールから離れて、右のグループの方へ歩いていった。彼女は騎士の一人の襟を掴んで立たせた。その騎士は腕に深いキズがあった。


「こちらは八人です。公正を期すために一人死んでもらいます」


 彼女は部屋の端に騎士を連れて行くと、地面に落ちていた長剣を取る。


「やめて!!」アールは叫んだが、バルバラは聞かない。彼女は長剣で、騎士の首を切り落とした。


 心臓が強くはねて、顔から血の気が引くのがわかった。アールはうつむいて、嘔吐した。


 バルバラは長剣をもったまま、アールに近づいてきて、背をさすった。


「ああ、王子様、吐いてしまったのですね。大丈夫、大丈夫ですよ。少しずつ慣れていけば良いんですから」


 剣から血が滴っている。


 アールは顔を上げて口を拭った。「どうしてこんな事するの!? どうして!?」


 バルバラはアールの頭をなでた。アールは首を振って拒否した。


「さっきも言ったはずです、王子様。あなたは王家の人間です。しっかりした選択ができなければならないのです」


 バルバラはそう言って、部屋にある机の方へと歩いていった。そこにはたくさんの本や何に使うかわからない道具がたくさんあった。彼女はそこから時計を持ってきて、時間を合わせると地面に置いた。


「さあ、選んでください。東の民と」バルバラは右のグループを指した。「西の民」左のグループ。「どっちを救いますか?」


 アールは怯えた目でバルバラを見た。彼女は微笑んでいる。どうしてそんな顔ができるのかアールにはわからなかった。


 さっき人を殺した。彼女は本気だ。本気で殺すつもりだ。自分の選択でどちらかのグループが死ぬ。


 また吐き気がこみ上げてきた。アールは部屋の中心に座り込む人々を見た。怯えている。皆が自分を見ている。助けを求める目をしている。


 それが怖かった。


 見ないでくれ、見ないでくれ、見ないでくれ!!


 アールは目を強くつぶった。


 カチリ、時計の針が動いて、鐘がなった。


「ああ、時間ですね」バルバラはそう言うと、アールに背を向けた。彼女は部屋の中心に向かう。剣を振りかざす。


「やめろ!!」


 バルバラは次々に人を殺していく。血の匂いがする。殺される人々の目がこっちを見ている。


 嫌だ。嫌だ。


 アールは目を強くつぶり、頭を伏せて、耳をふさいだ。


 どれくらいそうしていたかわからない。


 頭に手が載せられた。アールは目を開いた。


 剣が目の前に落ちていた。血の足跡が見える。少しずつ顔を上げる。バルバラの服は真っ赤に染まっている。彼女の顔も血で濡れている。


 でも、彼女は笑っている。


「アール様、救えませんでしたね。選択しないからですよ。ときには切り捨てる勇気が必要です。あなたはただ見ているだけで援軍を送らなかった。だから、東も西も、どちらもしんでしまった」


 バルバラはしゃがみこんで、アールの頬に触れた。今度は、彼女の肌は暖かかった。


 それが、誰の体温なのか、考えたくなかった。


「片方は救えたのに、救わなかったのは、あなたです」


 と、扉の開く大きな音がして、武装した騎士たちが突入してきた。後からローレンスがやってきて、アールを見ると大きく目を開いた。


 アールは気を失った。




 次に目を覚ましたのは自分の部屋のベッドの上だった。メイドたちが慌てた様子でアールを甲斐甲斐しく世話した。


「あの、異常者は捕まえました。もう大丈夫ですよ」


 その日の夜に、ローレンスがやってきてそういった。彼の話ではバルバラはおかしな考えの殺人者だということだった。でもどうしてそんな人が城の中にまで入り込んで来たのか説明はしてくれなかった。




 それから、眠れない日が続いた。殺された人たちの目が、ずっと責めてきた。あの助けを求める目が、怖くて怖くて仕方なかった。


 アールは思った。


――僕が選ばなかったから、皆死んでしまったんだ。もしも僕がきちんと選べていたら……。


 アールはそれから、部屋に引きこもるようになった。


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