#25.〔赤の書〕(スティーヴン)
アールが持っているのは〔妖精の樹〕だろう。近くにローレンスが立っている。彼らは手に入れてしまった……。
僕は取り戻すことを考えていた。そうしなければ僕が死んでしまう。そして、それはドラゴンの復活と、未来予知による支配を意味していた。
ローレンスが口を開いた。
「君は殺したはずだが?」彼はパトリシアにそう言って、左目の片眼鏡に触れた。
「うん。でも私死なないから」
ローレンスは眉間にシワを寄せた。……ローレンスの姿に違和感があった。
団長は、アールに従っていた戦士のような人々とそのリーダーらしき女性を見て言った。
「ブリジット……お前……」
「お久しぶりです、団長」団長は顔をしかめてうつむいた。もしかしたら、彼らは団長が言っていた「羽根をもがれた妖精」なのかもしれない。
ローレンスはアールに手を伸ばした。
「行きましょう、アール様。ソムニウムに戻るんです」
「でも……」アールは僕を見た。ローレンスは首を横に振った。
「私は彼を殺すのはやりすぎだと言いました。しかし、まだ、彼のスキルを取り戻すとは言っていません。そこには議論の余地がある」
「もう、僕たちだけの問題じゃないんですよ」僕は言った。「もし僕のスキルが破壊されたら、ドラゴンは人間と妖精を支配する」
アールが口を開いた。「そうなんだよ、ローレンス! 僕は、妖精たちを守りたいんだ!」
ローレンスは驚いたような表情でアールを見た。
「ええ。それはそれで良いかもしれません。でもあなたは? スティーヴンの力を得られず、ドラゴンの力も借りることのできないあなたはどうするんですか?」
「それは……」アールは押し黙った。
「ここでは彼らが守ってくれたかもしれません。でも下の世界にもどれば今までと変わらない生活が待っているんですよ?」ローレンスはアールの肩を掴んだ。
アールはうつむいた、が、すぐに決心したように顔を上げた。
「そんな事わかってる」
ローレンスは固まって、しばらくして、左目の片眼鏡に触れた。
「そう……ですか」
彼はそのまま片眼鏡を外した。地面に落とした。
アールは肩を掴まれたまま、その様子をじっと見ていたが、徐々に顔をしかめた。
「ローレンス……」
「なんでしょう?」ローレンスは右目の眼帯に手を伸ばした。
「どうして、眼帯と片眼鏡が逆なんだ?」
そうだローレンスは右目に片眼鏡をしていたはずだ。違和感の正体はこれだった。
ローレンスは眼帯を外した。彼の右目は深く真っ直ぐに抉れていた。
「見覚えがあるでしょう? アール様」
不敵な笑みを浮かべそういったローレンスは、詠唱を始めた。
「《妖精よ、私に従え》」
それを聞いた瞬間、僕とアール以外、皆が顔を歪めた。
「おまえ! ドラゴンだな!!」団長が叫んだ。
団長とルイーズは呻いて、膝をついた。ブリジットたちはそれほどでもないが顔を歪めている。
パトリシアは詠唱もせずナイフを取り出した。しかし、ローレンスがアールの首をきつく締め、彼女は立ち止まった。アールは助けを求める目をしていた。
「《空間転移》」ローレンスは転移してしまった。
団長たちはローレンスが消えると、大きく息を吐き出した。
「クソ!!」ブリジットが叫んだ。「あいつを、あの時殺していれば!!」
僕たちは彼女からやつと戦闘した話を聞いた。アールがそこまで戦闘に加わったと聞いて驚いた。
「アールのおかげで私達は生き残った。なのに、私達は何もできなかった。アールの目をみたか? 怯えていた、くそ!」
団長は妖精術式を使って、遠くの様子を見ていた。それは妖精の王が使ったのと同じ術式で、円の中に景色が映っていた。
「あの男の子を連れて、門に向かっている。下の世界に降りるつもりだ」
右目を負傷したから眼帯を入れ替えた。あまりにもお粗末だった。
「ドラゴンってのはそういうものなの。ドラゴンはあまり頭を使わない。やることなすことお粗末なの。未来予知ができたから頭を使う必要もなかったし」
それでも、ローレンスは成し遂げてしまった。
「〔妖精の樹〕も〔白の書〕も奪われてしまった。きっとローレンスたちはソムニウムに降りて〔魔術王の右腕〕の封印を解く。早くしないと……」
パトリシアは焦る僕を遮った。
「待って。お兄ちゃんは知らないといけない。〔赤の書〕に書かれている真実を」パトリシアはそう言ってまだ開いている小屋の中に入り、〔赤の書〕を持ってきた。
彼女は小屋の前にある石碑のようなところに〔赤の書〕を持っていき開いた。僕には読めない文字だったが、パトリシアはペラペラとめくって「ここ」と指差した。
かつて世界は邪悪なるドラゴンたちによって支配されていた。
人々はドラゴンに虐げられ生きていたが、反乱を起こす人間もいた。
ドラゴンは人間の未来を見ることができた。彼らはその予知の力によって人間の反乱を事前に防いでいた。また、彼らは姿を変えることができた。
だが、ある日、とある人間が天使と契約をし、ドラゴンを殺す力を得た。それはドラゴンの能力を封じる力。
その日から、ドラゴンは人間の未来を見ることができなくなった。
天使と契約した人間が他の人々を先導してドラゴンを殺し、閉じ込め、地上から追い出した。その人間は、自らを〔魔術王〕と名乗った。
〔魔術王〕は自分の力を人に分け与えることができた。
彼は〈不老不死〉を少年に与えた。
彼は〈混沌〉を少女に与えた。
彼は〈霊視〉を老人に与えた。
彼は〈分霊〉を赤子に与えた。
与えられた力はまた、別の人間に継承され、移っていった。
歴史は繰り返す。
ドラゴンが封印を破壊し始めた。〔魔術王〕は自分の力の限界を感じた。
人々を統治していた〔魔術王〕は力を与えたものたち――〔勇者〕を集めた。
〈不老不死〉〈混沌〉〈霊視〉〈分霊〉は〔魔術王〕の命に従って彼女の体を分割し各地に埋めることで封印を強化した。その後〈霊視〉が王となって国を統治した。
「〔黒の書〕と違う……それどころか、よく聞く伝説も違うじゃないか!」僕が言うとパトリシアは頷いた。
「うん、そうなの」
「それに、姿を変えられるって?」
「ドラゴンは別の誰かに変化できる。だから……あのローレンスは、本当はローレンスじゃないのかもしれない。いつ入れ替わったのか、なんてことはわからないけど。……それに重要なのはここから」
一部のドラゴンを除いて全てのドラゴンは封印し直された。
残ったドラゴンは〔魔術王〕を復活させることで、全てのドラゴンの封印を解こうとした。
そこに〈分霊〉が現れた。彼は〈霊視〉が王になったことをよく思わなかった。
彼はドラゴンと結託して、自らを王にすることを条件に手を貸した。
〈分霊〉は自分の力を継承するだけでなく分け与える事ができた。そうして、一つの集団を作り出した。
「それが、魔術師」
ぞっとした。
僕は思い出した。エヴァから『記憶改竄』を奪った時、頭の中でなんと言われた?
――ユニークスキル『記憶改竄』をセーブしました。
「『記憶改竄』は、ユニークスキルだ!!」
「そう。オリジナルは〈記憶改竄〉。そしてそれは〈分霊〉なの」パトリシアはそう説明した。
「続き読むね」
ドラゴンは〈分霊〉とともに魔術師をうごかし、ときに姿を変えて人々を扇動した。
そうして、彼らは妖精の国を支配した。
また、歴史書を書き換え、虚偽の〔黒の書〕を作り上げた。人々の記憶は書き換えられていく。
〔魔術王〕の封印が解かれる日は近い。
私達、王立騎士団は〔魔術王〕を守りつづけなければならない。
パトリシアは必要な部分を読み終えた。
「お兄ちゃんはね、知らなかったかもしれないけど、ずっとドラゴンと戦いつづけてきたの。そして、お兄ちゃんの力はドラゴンを抑える最も重要な鍵になる。だから、私達王立騎士団は、ずっとお兄ちゃんを守り続けてきた」
僕は怪訝な顔をした。
「あれ!? 僕は何度も殺されてる! 全然守れてない!」
パトリシアは僕をじっと見た。その無表情の嘲笑をやめてほしい。
「時間を飛び越えられない私達にそれを言うのは酷。お兄ちゃんはいつの間にか未来で死んで帰ってきてる。私達はそれに気づくことができない。なのにどうして守らなかったんだって言われる。未来で折れた剣をどうやって今修理すればいい?」
僕はうっと言葉に詰まった。それはそのとおりだ。
「お兄ちゃんが死ぬことは正直全く問題ない。だって死んでも過去に戻って、自分でなんとかしてしまうから。現に今までそうだったはず。私達はお兄ちゃんの命を守るわけじゃない。守っているのはお兄ちゃんのユニークスキル。そしてそのユニークスキルが、今、危機に瀕してるってわけ。だから私はお兄ちゃんに接触したの」
僕は父さんのことを思い出した。父さんのスロットをみた。それはつまり父さんも〈セーブアンドロード〉を持っていたということで、僕の前任者だということを意味していた。
「父さんも僕と同じユニークスキルを持ってた。だから、アムレンがそばにいたのか。王立騎士団だから」パトリシアはうなずいた。
「お父さんがユニークスキルが継承した後、アムレンは王立騎士団を引退した。だから、お兄ちゃんの顔とか知らなかったんじゃないかな」
僕はうなずいた。王都で出会ったときアムレンは僕の顔を知らなかった。パトリシアは咳き込んでから言った。
「話を戻すと、私達はユニークスキル〈セーブアンドロード〉を守るために存在してる。ただ、未来で壊されるスキルを今守ることは不可能。さっきも言ったけどいつの間にか壊されているんだから。でも、今こんなふうに危機に陥ったら、私は全力でお兄ちゃんのこと助けるから」
「ありがとう」僕は頷いた。
「お兄ちゃん、今からソムニウムに戻るけど、覚悟しておいたほうが良い」パトリシアは無表情だが、言いにくそうに言った。
「何を?」
「ドラゴンたちは魔術師を従えている。だから、もしかしたらソムニウムに魔術師がやってきてるかもしれない」
僕は言葉につまった。焦りだけが募った。