#20. 守備(アール)
次の日も、森の中を歩き続けた。夜の睡眠不足で、アールはふらついていたが、なんとか行軍についていった。太陽が照って汗ばんだ。
しばらくして街のような場所についたが、誰もいない。それもそのはずで、あちこちに大きな爪痕が残っていた。ドラゴンに襲われたんだ。アールはまたふらついた。
「アール、大丈夫?」クララが心配そうに言った。アールは頷いた。水が飲みたかった。
近くに井戸がある。アールたちはそこに近づいた。
と、そこに影ができた。ああ、太陽を雲が隠してくれたんだ。これでしばらくは暑さが和らぐ。
そう思った。
……おかしい。この島は雲の上だ。
アールは空を見上げた。
巨大な体が空に浮かんでいた。それは羽ばたいて、強風を叩きつけた。真っ黒な体は鱗に覆われている。背中にはいくつもの棘が生えていて、徐々に大きくなり、頭の上では角のようになっている。
強風に顔をしかめながらブリジットは叫んだ。
「ドラゴンだ!! 逃げろ」
そうはいってもここは森の中ではない。隠れる場所など、どこにもない。
ブリジットはアールが譲ったドラゴンの刃を取り出して、詠唱を始めた。
「《同士達よ、私と謳え》」戦士たちは弓を構えて彼女を援護するように立った。アールはクララに手を引かれて、ハッとして走り出した。
ブリジットの詠唱が終わる。
「《鉄茨ノ弓矢》」ブリジットの体の近くに、金属の弓が出現する。バリスタのように大きい。弦は茨でできていて、鋭いトゲがいくつもついている。矢はまっすぐだったが同じように棘が生えていて、刺さったらひとたまりもなさそうだった。
ブリジットはナイフを立てるように持って、弓を引く動作をする。実際に棘の弦に触れているわけでもないのに、弓は引き絞られる。彼女はドラゴンに狙いを定めて、矢を射た。
棘の矢がドラゴンに向かって飛んでいく。ドラゴンは羽ばたきをやめて、頭を俊敏に下げることで矢を避けた。が、矢は翼をかすり、血が吹き出した。
効果はある!
「くそ!」ブリジットは弓を構えたまま、次の矢が出現するのを待つ。
地上に降り立ったドラゴンは翼をみて、苛立たしげに唸り声を上げてから、口を広げた。一瞬ドラゴンと目が合った気がした。
「走れ!」ブリジットはアールたちに向かって逃げるように指示した。
ドラゴンの口の前に巨大な魔法陣が出現する。一つの円だった魔法陣は徐々に図形が変わっていき、五つの円に変わる。
光の円が消える。
巨大な火の波が襲いかかって来る。それは四足の魔物の形をしている。馬よりずっと速いその炎はドラゴンから放射状に広範囲に吹き付けられている。これからどう逃げろって?
ブリジットたちは走ってきて、アールとクララを捕まえると、建物の影に隠れた。ブリジットのほんの僅か後ろを炎の魔物が通り過ぎていく。彼女は服を叩いて、火を消した。
「荷物が燃えてしまった!」ブリジットは叫んだ。
クララが震えている。ブリジットは建物の影から周りを見回して絶句した。
「そんな……」炎の魔物が駆け抜けた場所は建物だろうとなんだろうと壊されて灰になっていた。
アールたちが隠れている建物も、ほとんど壊れて、一枚の壁だけが立っているような状況だった。
「他の戦士はどうなった……。クリストフは? サミーはどこだ?」
「こっちです!」戦士の一人が手を上げた。そこは少しだけ急な坂になっていて、小さな堀のように見えた。炎は傾斜台のようにそこを飛び越えて行ったようだった。
ブリジットはまだあたりを見回していた。何人かは炎に巻き込まれてしまったようだった。アールは目をそむけた。しかし臭いが死を無理やり押し付けてくるように鼻から入ってきて、吐き気を催した。
「アール……アール!」ブリジットが肩を揺らした。
「あの攻城兵器を出すんだ! 妖精術式で出した弓は一つじゃダメだった。けれどかすりはしたんだ! 二つ以上同時に放てば、倒せる!!」
「でも、誰も使えないじゃないか!」ブリジットはアールの目をじっと見た。
「まさか!」
「ああ、そうだ。お前がやるんだ、アール。発射するのは他のやつでもできる。だが、矢を設置するのはお前しかできない」
「無理だ! 僕は……」アールが目をそらそうとすると、ブリジットは言った。
「いいか? このままだと全員死ぬんだ。周りの建物をちゃんと見ろ。どうしてかここだけは運良く倒れなかったが、ほかは崩壊している。次に炎を食らったらひとたまりもない。そして、私達に有るのは細い弓と、それからドラゴンの刃だけだ。お前にかかっているんだ、アール。どうかお願いだから、助けてくれ」
アールはうなだれた。断ろうと必死で理由を考えた。だがそのたびにローレンスの言葉が頭に響いた。
――社会のために有益な力を持っている者は、それを社会のために使う義務がある。
自分だけが逃げるわけにはいかない。それに逃げ切れる保証なんて一つもない。
アールは荒く呼吸をした。
「もし失敗したら? ……これは間違った選択だとしたら?」
そう呟いていた。自分の選択で人が死ぬなんて嫌だ。だから、スティーヴンの力を必要としたんだ。ドラゴンの力を必要としたんだ。
なのに……どうしてこうなったんだ……。
「アール」ブリジットの声にアールははっと顔を上げた。
ブリジットは微笑んでいた。
「その時は一緒に死ぬだけだ。私達は誰も恨まない。誰かを守ろうと戦ったやつを恨むやつなんかここにはいない」
壁に一緒に隠れている戦士たちも笑いかけてくれた。
クララが、腕を掴んだ。
「アール、お願い。また一緒にご飯食べたい。私はもっと世界が見たい。だから、立って」
アールは焚き火を囲んだことを思い出した。自分でいられる気がしたあの場所を思い出した。
どうして、スティーヴンが何度も自分の街を守ろうとしたのかわかった気がした。どうして彼があれほどまでに王子である自分に反抗するのか、わかった気がした。
同じなんだ。
これを守りたいんだ。
アールは頷いた。「援護して。なんとか走って設置するから」
戦士たちは微笑んでアールの肩を叩いた。
ドラゴンの様子を見る。奴は肩の傷を見て、グルルと唸っている。恐怖がどっと押し寄せてくる。ブリジットがアールの背に触れる。彼女の手も震えているのがわかった。
――誰もが怖いんだ。僕だけじゃないんだ。
アールは息を吐き出した。「やるぞ」
彼は走り出した。