#18. ドラゴン(アール)
その夜、夢を見た。
まだ7歳かそのくらいのときのこと。アールは今よりずっと明るく、外に飛び出すような子供だった。アールはその頃の夢をみた。中庭を駆け回って、虫に触って、転んでも笑っていたあの頃を。
アールは勉強も武術訓練もあまり好きではなかった。昔から武器が好きで、よく工場に忍び込んでは、修理工のおじさんに兵器についての説明を受けていた。
「王子様、これは秘密ですよ」そう言って、彼らは仕事を見せてくれた。アールはその時間が大好きだった。
ある日のことだった。武術訓練の時間に抜け出して、アールはまた工場へ向かおうとしていた。城の中にあると言っても工場は端の方にあって、アールはかなりの距離を歩かなければならなかった。メイドや使用人に見つかればすぐに連れ戻されてしまう。そのスリルも抜け出す楽しみだった。
廊下の様子を伺い、人がいなくなったタイミングで足早に渡る。今でも覚えている。最難関の場所があって、そこには常に見張りが立っている。メイド長の部屋だ。彼女は部屋の扉を開いたまま仕事をしている。アールだろうと誰であろうと部屋の前を通ろうものならすぐに反応して、顔を上げる。何度もそこを通ろうとしたが無理だった。
アールはメイド長の部屋の前を行くのは諦めた。代わりに裏道を見つけたのだ。
その道は暗くジメジメとしていた。常に建物の影になってしまう屋外の道で、かび臭く、石造りの地面には苔が生えていて滑りやすい。城の中でもこの区画はあまり立ち入らないようにといつも言われていた。
アールはその言いつけを破った。この道は人通りも少ないし、メイド長の部屋を通らずに住む絶好の場所だった。
その日もアールは暗いジメジメした道を通って、歩いていた。
「こんにちは」
と、突然声をかけられたアールは小さく悲鳴を上げた。見つかった! そう思った。
「驚かせてごめんね」とても美しい女性だった。長い髪は仄暗い場所だと言うのにかすかな光にきらめいて見えた。まるで水面みたいだと子供ながらに思った。
アールは彼女を見たことがなかった。彼女も同じようで、言った。
「君、名前は?」
「アール。第二王子のアール」
女性ははっとして口を押さえた。「ああ、これは失礼しました。でもどうしてお一人で?」
「探検中なんだ。授業から逃げてきた。……誰にも言わないで」アールはそんなことを言った。
女性は笑って頷いた。
「ええ。内緒です」彼女は口元に人差し指を当てた。
「名前は何ていうの?」アールは尋ねた。
「バルバラといいます。よろしくおねがいします、王子」バルバラは手を差し出した。アールはその手をとった。彼女は愛おしそうに手を擦って、突然抱き寄せた。
「うわ!」
「ああ、なんて可愛らしい」バルバラはアールの頭をなでた。アールは抵抗した。
「やめてよ! 僕は男だ! かっこいいほうがいいんだ!」バルバラの腕から逃れるとアールはそう叫んだ。バルバラは少し頬を染めて微笑んだ。
「かっこいいですよ、王子」バルバラはかがみ込んでアールに目を合わせた。胸元が近づいて、アールは目をそむけた。
それで……
◇
アールははっと目を覚ました。目の前にクララがいた。
「え?」
「ねえ王子様、おねがいだから……。もっと持ってるんでしょ?」
よだれを垂らしながらそんなことを言うクララを見て、アールはげんなりした。もう二度と誰にも料理は食べさせない。そう反省した。
「持ってるけど、あげない」
クララは心底ショックな顔をしてアールを見た。
「いや! いや! ちょーだい!!」こころなしか幼児退行しているように感じた。出会ったばかりの頃は子供扱いしてきたのに……。
クララはアールにしがみついて離そうとしなかった。アールはため息をついた。
「僕はすぐにいなくなる。短い時間だけどよろしくっていったのは君の方だ。そしたら食べられなくなるよ」
クララはアールを睨んだ。
「ついてく。小屋壊されたし。一生料理を出さないと許さない」ひどい取引だった。全くもって不公平だ。
「だめだよ」アールが言うとクララはうなった。
彼女の前では食事ができない。アールは朝食を抜いて外に出た。クララはアールの背中にピッタリとついてくるようにして歩いている。どこかで料理を食べようものならすぐさまご相伴に与るつもりらしい。というか奪い取る。
あんまりにもくっついて歩くので周りからの目が奇妙だ。
ブリジットのところに行くと彼女はアール達を見て言った。
「ネズミも一緒にしておくと、いつの間にか増えてるしなあ」
「ちがう! 見てこの目! 僕の一挙手一投足を見逃さない鋭い目! ずっと開いてるから充血してる!」アールは抗議した。
「なんだ? もう他の女に手を出したのか?」
「僕にそんな度胸あるわけがないだろ……」アールは顔を覆った。
「クララも捜索に当てようかと思っていたが、この分だと王子様と一緒にいさせたほうがよさそうだな」アールは大きく首を横に振った。
「つれてってくれ! この子を僕から離してくれ!」じゃないと一生食事ができない。
ブリジットは優しい笑みを浮かべていた。
結局、彼女はクララを置いていった。恨むぞ。
早くここから出たい。ローレンス、どこに行ったんだ……。
日が高くなってしばらくするとブリジットたちが帰ってきた。彼女たちは神妙な面持ちで小屋の中で座り、誰も何も言わなかった。
「どうかしたんですか? まさか、ローレンスは……」アールはローレンスが、スティーヴンと一緒にいたあの少女にやられてしまったのではないかと思った。ブリジットは眉間にしわを寄せていた。
「いや、見つからなかった。ただ……、これ以上捜索は難しいと思う」
アールは目を見開いた。「どうして!?」
ブリジットは言った。「ドラゴンが出たんだよ。街も村も関係なく襲ってる」
「ドラゴン? もう絶滅したんじゃ?」
ブリジットは首を横に振った。「下の世界にはいない。この妖精の国に何匹か残っていたんだ。奴らはずっと眠っていて、まるで死んだような感じだった。そのうちの一頭が最近目を覚ましたんだ。おとなしくしていたから誰も気にしていなかったんだが……」
戦士の中で一番背の高い男が言った。「ここも危ない。あいつは見境がないようだ。小さかろうが関係なく襲う。実際俺たちが見てきた村も、数十人規模なのに、無残にやられていた」
ブリジットは下唇を噛んだ。「逃げるしかないだろうな……」
「どうして襲いかかってくる? 聖なるドラゴンたちは僕たちの味方なんじゃ?」アールが言うと、ブリジットたちは不思議なものでも見るような顔をした。
「聖なるドラゴン? 何だそれは、聞いたこともない。あいつらは昔から獰猛で傲慢で、人間も妖精も支配してきた野蛮な奴らだよ」
〔黒の書〕に書いてあることと話が違う。アールは困惑した。
「俺たちには逃げるしか選択肢はない。ドラゴンを追い払うには武器が足りない。王子様が持ってきたドラゴンの刃は使えるが、一本ではな……。それに小さい。大きな魔法は使えない。……つまり、全員を一度に《空間転移》させるのは無理だ」
「逃げるにしたって武器がない。全員を守りきれるだけの武器が……」ブリジットは考え込んだ。
アールは言った。
「あの……武器ならあるんだ。だから、僕を守ってくれ」
「さすが王子様だな」ブリジットは呆然としてそういった。戦士たちもそうだった。彼らは目の前にある武器に唖然としている。
アールは《マジックボックス》を発動して、その中に入っていた武器を取り出した。武器はアールの趣味で集めたもので貴重品ではあったが、中にはただ数だけ集めた物もあった。少し修理すれば使えるもの、奇妙な形をしているもの、いつの時代のものか不明なものまで数多くあった。
《マジックボックス》に入れていたのはアールにとっては予備軍みたいなもので、本当に好きな武器に関しては飾ったり眺めたりするために部屋に出したままになっていた。失うのは惜しいが、部屋にあるものほどじゃない。
「どうしてこんなにたくさんあるんだ?」ブリジットの言葉に、アールは苦笑いした。
「どれが良いか決められなくて……。集めるだけ集めてしまうんだ」
アールは《マジックボックス》からものを出す手を止めた。
「これで全部か?」背の高い男が尋ねた。
「ああ、ちがうんだけど、ここでは出せない。外に出てくれるかな」背の高い男はブリジットと顔を見合わせた。
アールは外に出て地面におろしてもらうと、別のスクロールを開いて《マジックボックス》を発動した。
「おい、これって……」背の高い男はそれを見上げて唖然とした。
「そっちがバリスタ《アルテミス弐号機》《アポロン弐号機》《アポロン参号機》、あと投石機《ダビデ六号》二機。片方は修理が必要。それとそこにあるのは魔石が大量に必要で攻撃範囲が広い魔術砲台《ケラウノス》。これはあんまり実用的じゃないないけど好きなんだ。何より攻撃範囲が広い。ロマンがある。一回発射すると再装填に時間がかかるし、壊れやすいし、お金がかかる。でも何より攻撃範囲が広い」
「攻城兵器かよ!!」戦士たちが叫んだ。
「うん」アールは頷いた。ブリジットはアールを細い目で見た。
「武器商人か、お前」
「王子だが」ブリジットはニッと笑みを浮かべてアールの肩を叩いた。