#16. 最大魔力量(スティーヴン)
「ええ。私は死にました。でも残っているものもある。あなたの中に」
「それは『記憶改竄』のことか?」エヴァは首を横に振った。
「いいえ。もう一つの方です」
もう一つ?
僕は考え込んだ。あのとき何かエヴァから引き継いだか?
そして、ハッとした。
――最大魔力量をセーブしました。
「あなたは私の魔力を引き継いだ。ここにいる私はその魔力が具現化したものですよ。この場所は魔力を具現化してくれる場所のようですね」
思えばレンドールとアンジェラに王都へ誘拐されたのはエヴァの『記憶改竄』を引き継いでしまったからだし、今この状況が起きているのも彼女の魔力を引き継いでしまったからだった。
「死んでからも僕を呪い過ぎだよ、エヴァ」
「知らなかったとはいえ、あなたの能力ですよ。文句を言われる筋合いはありません。私は巻き込まれただけです」
僕はエヴァの手から制御棒を奪おうとした。彼女はふっとそれを上げて避けた。
「いけません、これを渡してしまったらあなたは私を消そうとするでしょう。私はあなたの中で生き続けます。永遠の命、とはこういうことを言うのでしょうか」エヴァはニッコリと微笑んだ。
「お前はただの魔力だ。エヴァ自身じゃない」
「果たしてそうでしょうか? 私はずっとあなたの中にいましたよ。あなたの中からあなたのことを見ていました。王都に行ったことも、無理やり〔魔術王の左脚〕を手に入れようとしたことも全部見ていました。この世界ではない別のループもね」
「ただの記憶だ。僕の中の記憶を見ただけだろ」僕は言ったが自分でもそれは無理があると思い始めた。
「ではあなたの知らない私の記憶を言えばいいでしょうか。でもそれでは判別のしようがありません。困りましたね。私は私です。私を特徴づけるものとは一体何でしょうか? 体? 心? 精神? わかりません。私は私であることを証明できません。では、スティーヴン、あなたは?」
僕は黙り込んだ。黙っているのにエヴァは続けた。
「あなたは体があるので、自分自身だと言うことができるかもしれません。周りの人もそこにいることを感知できる。では王都で出会ったデイジーはどうでしょうか? あの子はオートマタでした。彼女の魂はあの肉体に収まっていますが、もし仮に別の肉体に移したとき、同じ人物だ、と言えるのでしょうか? あるいは全ての体のパーツを置き換えたらそれはあの子だと呼べるのでしょうか、という質問に変えてもいいです。ああこれでは別の問題になってしまいますね」
「ペラペラとよく喋るやつだな」僕が言うとエヴァは苦笑した。
「ええ、話すのは好きですよ。あなたとはあまり話す機会がなくて残念でした。死の直前にたくさん話しましたけど」
そこで僕はハッとした。
「僕の記憶を見たんじゃないのか?」
僕はさんざんエヴァと話をした。それは彼女の奴隷になってから、よく庭にある東屋に呼び出されていたからだ。
エヴァは首を横に振った。
「私はあなたの中であなたを体験しただけです。それ以上のことは何も知りませんよ?」
僕の記憶を見たわけじゃない。それはつまり、僕の記憶から作り上げられた幻想というわけじゃないということを意味する。
彼女は自我を持っている。そう思った瞬間、ゾクッと寒気がした。
「僕から出ていけ。気分が悪い」
エヴァは笑った。
「私のことを認めましたね。嫌ですよ。私だって死にたくありません。誰だってそうだと思いますけど? それに、あなたの中は快適です。あなたの苦しむ姿を特等席で見られますから」
最低だ。僕はまたエヴァの持つ制御棒に手を伸ばした。彼女はまたひらりと躱した。僕はなにかに躓いてころんだ。
「〔魔術王の右腕〕を手に入れられなかったのは残念でした。それにどうやら私は選ばれし者ではないようですね。あなたがドロシーと会話しているのを聞きました。私がつけたときは《アンチマジック》が効いて、選ばれし者がつけたときは効かなかったようですね。なぜでしょう。選ばれし者が装着した場合、使われるのは妖精術式なのかもしれませんね? あの槍は、パトリシアやローレンスが使う魔法の武器に似ているとは思いませんか?」
確かにそのとおりだった。あの巨大な武器は炎の斧や水の槍に似ていた。僕は手をついて立ち上がる。何にぶつかったんだろう、丸太のような大きさだったが、柔らかかかった。
「でもロッドの魔法が発動する前に出現したのは光の輪だった。魔法陣じゃない」
「ああ、たしかにそうでした。では妖精術式ではありませんね」エヴァはあっけなく自分の論理を放棄した。僕は呆然とした。
「お前は、本当に……つかめないやつだな」
エヴァは笑った。「そうでしょうか? 真実のためならいくつでも案を出しますよ。そして少しでも矛盾する場所があれば外します。矛盾しているのに固執して失敗するどこかの誰かさんと一緒にしてほしくはありませんね」
僕は顔をしかめた。「うるさい」
エヴァはクスクスと笑った。
「それにしても不思議な世界です。私はこの棒に触れることができる。とするならば、あなたに触れることもできるでしょう。私は具現化し、実体化している。この霧のせいでしょうか? ……先程の議論を繰り返しましょう。スティーヴン。あなたはあなたであることを証明できますか?」
そう言ってエヴァは制御棒で地面を指し示した。僕はそこにあるものを見て、ぎょっとした。
「そんな……」
そこには僕の体が横たわっていた。僕がつまずいたのは、僕自身の体だった。僕の体は目をつぶって、小さく呼吸を続けている。
「肉体がない以上あなたはあなたを特徴づける事ができません。つまり、今のあなたは何なのでしょう?」
僕は自分の手を見た。見慣れた両手だ。と、エヴァの手がそこに触れた。冷たい感触にぞぞぞと虫唾が腕を走ってきて、瞬間的に手を離し、僕はエヴァから距離をとった。手は一瞬色を失ってもとに戻った。
触れてしまった。エヴァは、そこにいる。
「私達は同じ状態です。肉体がなく、自我だけでここにいる」エヴァは不敵な笑みを浮かべた。「さて……もしも、私があなたという自我を殺して、あなたの体を乗っ取れたとしたら?」
僕ははっとして横たわる自分の体を見た。
エヴァは僕の方へ制御棒を向けた。
「や……やめろ!」
エヴァは微笑んで制御棒を下げた。「私は妖精術式は使えません。でも、あなたと違って詠唱魔法が使えます。さて、『空間転写』ができず、魔法をうまく使えないあなたに勝ち目はあるでしょうか?」
エヴァは詠唱を始めた。
彼女の体がすこし揺らぎ始める。僕は後ずさって、逃げ出した。
が、突然透明な壁にぶつかってしまったように先に進めなくなる。周りは霧で覆われていて、そこに何があるのかわからないが、とにかく進めない。僕は壁に手をついたまま歩き始めた。
おかしい。エヴァとの距離が変わらない。いや、正しくは僕の体との距離が変わらない。どうやら、僕は僕の体から一定以上離れることができないようだ。
エヴァが詠唱を終える。
「アクティベイト」
ダメだ、逃げられない。
光の輪が消えると同時に、炎の渦が僕を包み込んだ。
「あなたが私を焼き尽くした方法で、あなたを殺してあげましょう」
そんな声が聞こえた。
僕は目を強くつぶった。