#10. 妖精の国
「そうだよ。お兄ちゃん久しぶりだね。元気じゃなさそう。ガリガリだし、身長もそんなに高くないし。最初の街で失敗したんだね。冒険者になるとか言って出ていったくせに。失敗だったね。村を出ていってから手紙の一つもくれないし、帰っても来ないし、人のこと心配させておいてこれだよ。反省して、ほんとに。これじゃあ私が言ったように村の中で牛を数えて生活してたほうがマシだった。昔から得意だったでしょ、牛見分けるの。それしか取り柄がないのによく出ていこうと思ったよね」
パトリシアは無表情のままべらべらと喋った。僕は泣きそうだった。久しぶりの再開でどうしてここまで言われなきゃいけないのか。僕がなにかしたのか。したんだけど。
手紙を送らなかったのは忙しかったからだし、それに「冒険者としてうまくやってるよ」なんて嘘をつくのが恥ずかしかったからだった。
僕が両手で顔を覆っているとドロシーが尋ねた。
「〔白の書〕について何を知ってるの?」
「いろいろ。でも重要なのはお兄ちゃんのスキルを直せるってことと、それを盗んだやつが暴れまわってるってこと。眼帯片眼鏡だって情報も入ってる。それに男の子を連れてるって話も。アール……って王子だっけ。ひどく臆病で何もできない王子様」
ローレンスだ。僕は尋ねた。
「どうしてそんなことまで知ってるの?」
「最近ずっとお兄ちゃんの周りを監視してたから」
「どこにいるのかわかる?」
「うん。そこに連れて行く」
僕はリンダたちも連れて行ったほうがいいのか悩んだ。パトリシアに相談すると彼女は、
「一人しか運べない」と言った。
「……あと、それだとすこし目立つかな」僕は自分の服を見た。使用人の服だから目立たないと思ったんだけど。
「高価過ぎる。身ぐるみ剥がされて、裸で歩き回りたくないなら、もっと安い服を着て」
僕は着替えることにした。そんなに治安が悪いんだろうか。
その間、ドロシーたちは宿にいるメイド長に詳細を話に行った。
メイド長はわざわざ教会まで来て僕に言った。
「アール様をよろしくおねがいします」
僕の目的はそれではないのだけど、あまりに懇願されるので渋々頷いた。
「じゃあ、行こうか」パトリシアがそう言って僕の手を掴んだ。
……一人しか運べないなら、帰りはどうするんだろうと今更ながら思った。
スクロールを使って《テレポート》をするものだと思ったら、パトリシアは深く息を吸い込んだ。どうやら詠唱魔法で転移するらしい。
思えば《テレポート》の詠唱って聞いたことないな。まあ聞いても何を言ってるのかよくわからないんだけど。そんなことを思っていた。
「《妖精よ、私と遊ぼう》」
え? 何その詠唱?
「《掠める女の姉、伝令、神託、虹の橋を渡れ。闇と夜の息子、口に含んだ銀貨、苦悩の川を運べ》」
僕とパトリシアの足元に光の輪が現れる。それは単なる円ではなく、複雑な模様が描かれていた。それに、青い。これは僕が使ってきた魔法とは違う。そう思った。
「《空間転移》」
詠唱が終わり、僕の視界がゆがむ。これは僕が使ってきた《テレポート》と似た反応だった。
◇
転移が完了して、僕たちは見慣れない場所に出る。目を細める。やけに寒かった。僕たちが立っているのは円形をした土地で、地面には魔法陣みたいな模様が描かれていた。僕たちの背後には石造りのアーチがあって、所々に蛍光石が埋まっていた。
森の方へまっすぐと石造りの通路が続いている。
なんだか、やけに霧が出ている。森の入口から先が全く見えなかった。
背後のアーチの向こう側は下り坂になっていて、その先も全く見えない。
「ついてきて」彼女はそう言って森の方へと歩いていってしまった。吸い込む空気に水分が多くて息苦しさを感じながら、僕は彼女の後を追った。
「ここはどこ? 来たことがあるの?」
「妖精の国」
森、と言ってもすぐに開けた場所に出た。
風が吹いて、霧が晴れる。
背の高い木々が広い間隔を開けて伸びていた。幹が異様に太い。木の根元に扉があって木の中に入れる様になっていた。木の幹をくり抜いて、建物のように使っているみたいだ。中がどうなっているのかわからないが、木にはかなり高いところまでたくさんの穴が空いていて、窓のように使っているらしい。木の間には橋がかかっていて、高い場所でも行き来できるようになっていた。
人がいればそうやって使うだろう。しかし、今は誰もいない。やけに静かだ。
木々の建物の窓や扉は全て閉まっている。
パトリシアが立ち止まって、僕を静止する。僕は彼女の視線の先を見た。
「ローレンス……」そこにはローレンスが立っていた。彼の手には〔白の書〕が抱かれていて、そばにはアールが立っていた。アールは何かを言おうとしたが、ローレンスに止められた。
「待ち伏せされてた……。こんな予定じゃなかったのに……」パトリシアは呟いて僕に言った。「お兄ちゃん、ここで待ってて」
彼女は腰から短いナイフを二本取り出した。果物の皮をむくためのナイフと同じくらい短くて、僕は心配になった。
「それしか武器持ってないの?」
「絶対近づいちゃダメだからね」パトリシアは僕を無視してあるき出し、右手のナイフを天に掲げた。
「《妖精よ、私と遊ぼう》」
パトリシアは唱え始めた。さっきと同じ、僕の知らない魔法だ。
「《鬼ごっこ、かくれんぼ、赤い糸を辿れ。異端者、地獄の六、墓より出ずる火焔を纏え》」
光の魔法陣が掲げたナイフの先に出現する。
「《火焔戦斧》」
パトリシアが天に掲げたナイフの先に、炎でできた斧が出現する。斧は巨大で、パトリシアの身長ほどもあった。あたり一帯が明るく照らされて、熱波が襲ってくる。
僕は強く目をつぶって、顔を歪めた。アールもローレンスも同じように顔をそむけた。
パトリシアは右手のナイフを振った。その動きに合わせて巨大な炎の斧が動く。火の粉が軌跡を描いて舞う。僕は後ずさってパトリシアから距離を取った。
ローレンスはアールに言った。
「逃げてください! ここは私が!!」
アールはその言葉にしばらく固まっていたが、パトリシアの方を見ると立ち上がり、走って行った。
ローレンスは左腕で〔白の書〕を抱えると、ポケットから細い棒を取り出して唱えた。最初は何を言っているのか聞こえなかったが徐々に声が大きくなり呪文が聞こえてくる。
「《満たされた大釜、浸された赤子、不死を疑え。トネリコ、死の踵、使われなかった武器を持て》」
ローレンスが掲げた棒の先には、パトリシアが出現させたものよりずっと大きな水の槍が出現した。
「《海ノ槍》」
ローレンスは持っていた細い棒を握るように持った。天に伸びるように縦になっていた槍は、傾き、穂先がパトリシアの方を向く。