#9. 死体
三階につくと下の階ほど喧騒はなかった。というかほとんど誰もいなかった。突然、メイド長が僕たちから手を離した。
「アール様からお話は聞いています。あの箱はあちらです」
僕たちはぎょっとして顔を見合わせた。メイド長はため息をついた。
「それにしても、あまりにお粗末ではありませんか? もう少し堂々となさったほうが、バレませんよ」
歩き方から練習する必要があったなんて言えない。
「すみません」僕たちはしゅんとして謝った。メイド長は僕たちに顔を近づけて小声でいった。
「失敗されては困ります。あの男――ローレンスは少し、信用なりません」
ドロシーが眉根を寄せた。
「どういう意味?」
「ローレンスは最近、アール様のそばにつくようになった男です。私はアール様が小さな時からそばにお使えしていますが、なんというか、今までの従者と違って気味が悪い。仕事ができる人間だとは思います。ただ……なにか隠し事をしている、そんなふうに思うのです」
「例えば?」ドロシーが聞くと、メイド長は少し考え込んだ。
「アール様はあまり人前には出たがりませんが、心の優しいお方です。人の上に立つにはまだ経験が足りませんが、まだまだ成長の余地があると考えています。……ローレンスはそれを無理やり伸ばそうとしている、そう思うのです。彼はあなたのスキルのような外的な力を使ってアール様に自信をつけさせようとしている。それは外的な力への依存の危険がある行為です。今のままではアール様は力に依存してしまう。ローレンスもそれはわかっているはずです」
僕は口をギュッと閉じてメイド長を見た。驚いた。アールの周囲の人間は必ずしも妄信的ではない。ドロシーも同じようで眉間にシワを寄せて言った。
「じゃあ今回のことはローレンスが強行したってこと?」
メイド長は頷いた。
「私達は反対しました。ただ、……いわゆる第二王子派の力のある貴族たちはローレンスの味方でした。おそらく、力に依存した、未成熟のアール様の方が、操りやすいと考えたのでしょう。それにやり直しの力もそばにあれば、彼らはアール様を使って何でもできます」
僕の力を使おうとするように、アールの権力を使おうとする人がいるわけか。僕は小さく頷いた。
「どうかローレンスを止めてください」メイド長はそう言って頭を下げた。アールのためと考えると不本意だったが、奇妙にも利害は一致している。僕たちは頷いた。
彼女は少しだけ微笑むと、僕たちを廊下の突き当りまで案内して、扉を開いた。
彼女の顔が青ざめた。僕たちはメイド長の後ろから部屋の中を見た。
元は客室だったのだろう、ベッドなどが一式ある部屋で、机の上に金属の箱が倒れておいてあった。それは〔白の書〕と〔黒の書〕が入っていたあの箱で、鍵が開いて、蓋が開いていた。
地面に女性が一人倒れていた。メイド服で、カーペットには血溜まりができていた。真っ白な顔には眼鏡をかけていた。彼女を見たことがあった。昨日の夜、アールとともに教会に来ていたメイド――ジェナだ。
倒れた金属の箱からは〔白の書〕が盗まれてしまっていた。
メイド長はすぐさま振り返り、階下に向かって指示を出し始めた。すぐにメイド数名がやってきて首を横に振っていた。
「何があったの?」ドロシーは呟いて、ジェナの死体をじっと見つめていた。観察しているようにも見えた。「着衣は乱れてない……、争ってない? ……親指の傷がないわね。治したのかしら?」
と、そこにメイドの一人がバタバタと走ってきて、叫んだ。
「ローレンス様とアール様がいません!!」
僕たちはばっと振り返った。
「なんですって!?」メイド長は階下へ駆け下りていった。僕たちもあとを追う。
部屋の前まで行くと警護をしていた騎士がメイド長に詰め寄られていた。
「どうして気づかなかったんですか!?」騎士は狼狽して答えた。
「部屋の中に入ったのは、ローレンス様だけです。まさかこんなことになるとは……」メイド長は頭を抱えた。
「ローレンス……まさか……アール様を誘拐するなんて……」そう考えるのが妥当だったし、おそらくそうなのだろうと思った。
ドロシーもメイド長を否定しなかったから同じように考えているのだろう。
「どうしたら……」僕がドロシーに尋ねると彼女は言った。
「研究者達に聞くのよ。あの人達〔白の書〕を解読してたんでしょ? ローレンスは〔白の書〕も一緒に盗み出した。スティーヴンとの交渉が決裂して、別の方法を実行しようとしていると考えるのが妥当よ」
何という冷静な判断。僕は感服した。
メイド長が頷いて、研究者達の部屋に向かった。
彼らは羊皮紙やら文献やらの山に埋もれて埃を吸って生きていた。メイド長が部屋に入ると彼らのリーダーらしき人が静止した。
「この部屋を掃除するのはやめてくれ!」
メイド長はため息をついた。
「わかっています。お聞きしたいことがあったのです。〔白の書〕についてです」
そう言うと、研究者達は顔を見合わせた。
「ローレンス様に口止めされています……」
「そのローレンスがアール様を誘拐したのです。それに〔白の書〕も持ち出しました」
研究者たちはあんぐりと口を開けた。
「〔白の書〕を持ち出したですって!?」
「アール様を誘拐したのです」メイド長は鼻にしわを寄せて言った。
研究者は聞く耳を持たず慌てふためいた。リーダーだけがまともに応対できそうだった。
「では、〔白の書〕に従って行動を?」リーダーの言葉にメイド長は頷いた。
「おそらくそうでしょう。なので、あなた達を尋ねたのです。次の行動は? どうするつもりだったのですか?」
リーダーは研究者達に指示して羊皮紙を持ってこさせた。彼は頬を掻いて言った。
「〔白の書〕にはこう書かれていました。〔魔術王〕の封印を解くには、〔王家の血〕を探せ、次に、〔妖精の樹〕を探し封印を解け」
そこでリーダーは顔を上げた。メイド長は眉根を寄せた。
「他には?」
「ありません。これだけです……」
「〔精霊の樹〕が何なのか、どこにあるのか、そういうことは書かれていないのですか!? あんなに分厚い書物なのに!?」
研究者のリーダーはたじろいだ。
「ええ……。ありません……」メイド長はうなだれた。
◇
メイド長主体でアールの捜索が始まったが、僕たちにできそうなことはなく、《テレポート》を使って教会に戻ってきた。ローレンスは行動を始めてしまった。それはつまり、僕の死が近づいたということだ。彼は〔魔術王の右腕〕の封印を解くだろう。それが一年後なのか、一ヶ月後なのか、それとも明日なのか、僕にはわからない。ただ処刑されるということだけがわかっていて、僕は死刑囚の気分だった。
教会に戻るとアンジェラがドタバタと屋根裏にやってきた。
「あ! 戻ってきましたね!」
「大変なことになったわよ、アンジェラ」
ドロシーが言うと、アンジェラはそれどころじゃねえ、みたいに首を横に振った。
「こっちだって大変ですよ! お客さんです! 対応してください」
ドロシーは頭を掻いた。「あなたが対応してよ」
「ええ……」アンジェラがつぶやいたのと、屋根裏のドアがバタンと開いたのは同時だった。
背の低い少女が立っていた。ツインテールをそれぞれ毛玉のようにまとめた髪型は、獣人たちの耳のように見えた。口元は布で覆われていて、顔全体は見えないが、吊り目が印象的だった。
「ちょっと、待っててくださいよ」アンジェラが言うと、その少女は言った。
「遅い。急いでるから来た。どうして降りてこないの?」
ドロシーは顔を拭うようにしていった。
「大変なことが起こって、それどころじゃないからよ」
「〔白の書〕が盗まれでもした?」
僕たちははっとして少女を見た。少女はうつむいて呟いた。
「やっぱり」
「何を知ってるの?」ドロシーが尋ねたが彼女は答えず、僕をじっと見ていた。
「え? 何?」僕がキョロキョロしていると、少女は口元を覆っていた布を外しながら言った。
「急がないといけないから」
無表情の顔がそこにはあった。少女はやはり幼く見えたが、それより僕はその顔をみてぎょっとしていた。少女は言った。
「一緒に来て、お兄ちゃん」
「パトリシア!?」
そこにいたのは、生まれ故郷を出てから一度もあっていなかった、僕の妹だった。