FILE6:最愛者との別れ
この第6話から、18歳の頃に戻ります。
あの日から五年の月日が経った。
母に真意を聞いてからは、時が経つのが速く感じられるようになった。
抑えていた気持ちが晴れたからかもしれない。
毎日が本当に楽しくて、本当の笑顔を見せられるようにもなっていた。
誰に何を言われようとも母さえ居てくれればそれで良かった。
今では母が僕にとって、命よりも大切な人――。
だが三年前から母は病気に掛かり、容態が思わしくなくなった。
今はろくに動くことも儘ならず、ほぼ寝たきり状態だ。
現在、今まで母が出てくれていた分、僕が外に出て食料を集めている。
自分に職が貰えるはずもなく、自然の恵みを採ることしか出来ない。
それでも二人分には十分過ぎるほどの食物だった。
外で何と罵られようが、もう僕は気にならなかった。
それは笑って返せる程に。
人間変わるものだと思い、僕は家路を歩きながら一人微笑んだ。
家の前に辿り着き、見上げる。
景色も環境も家も何一つ変わっていない。
変わったのは自分の心と気持ちだ。
僕はお帰り、と掛かるいつもの母の声を思いつつ扉を開いた。
「ただいま、母さん」
いつものように帰宅を知らせる声を掛けて中に入る。
しかし、返事は返ってこない。
寝ているのかと寝室へと足を踏み入れた。
「母さん?寝てるの?」
そう言いつつ歩み寄ると、母さんの瞼が薄く開かれた。
しかしそれ以上開かれる事はなく、僕を探し見た。
そんな母さんは何処か弱々しい。
今にも消え入りそうな、存在が薄くなっているように感じる。
妙な頭に焦燥感が過ぎり、心臓が早鐘を打った。
「フェリス…いつも有難う……」
「っどうしたの?急に…」
声までもが弱々しく、紡がれた言葉に息を呑む。
時が止まったかのようにその瞬間が流れているように感じた。
「迷惑かけて…御免ね……?」
「何が迷惑?僕は母さんがいるから頑張れるんだよ」
迷惑を掛けられたなんて一度も思ったことがない。
逆に掛けている方だと思う。
そう言うと母は首を横に振った。
「これからは新しく踏み出さなきゃ駄目よ…。母さんに囚われ…ないで…。聖なる心の道標。その名の通りに…思うように…、道を…突き進んで…」
「母…さん?」
僕は思いにも依らなかった言葉に瞠目した。
こんなことを言い出すなんて、嫌な予感しかしない。
差し出された手を祈るように握り締める。
先を予期してか、自然と視界が歪む。
そんな僕を見て、母さんは微笑んだ。
「優しいフェリス…。でもこれからは…笑って…生きて……。きっと貴方の居場所がある…。広い世界の断片しか…貴方はまだ知らないんだもの……」
笑ってと言われても、涙が止まることはなかった。
ただ声も出さず、頷くことしか出来なかった。
ああ、これで最後なのだと判ってしまったから余計に…。
「貴方を認めて…くれる人が…絶対に…いるわ……」
「いる、かなぁ…」
「ええ…絶対……」
母の言葉が途切れ途切れになっていく。
僕は言葉の一つ一つを心に刻み付けた。
フェリスと名を呼ばれ、真っ直ぐに見返す。
すると一等大好きな暖かい笑みが其処にあった。
「今まで有難う…。大好きよ……フェリス…」
その言葉を最後に母は全身の力を無くした。
何度呼びかけても、もう動くことはなかった。
僕は母の身体を起こし、優しく抱き締めた。
「御免…。もう泣かないから…。今日だけ…」
貴方の為に、泣かせて下さい――。
僕は声を出さずに、涙を流し続けた。
様々な思い出が頭を走馬灯のように駆け巡る。
今日までとても楽しかった。
お礼を言うのはこっちの方だ。
本当に今まで有難う…。
僕も貴方が大好きでした。
そして…
サヨウナラ。
貴方が幸福な転生を迎えることを祈って…。
A-men……。