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FILE5:涙の絆

一瞬一体何が起こったのか理解できなかった。

次第に熱を持って、じわじわと痛みが染み渡っていく。

暫らくして漸く頬が叩かれたのだと気付いた。

僕は叩かれた場所を押さえて、泣くのではなく薄く微笑んだ。

いや、顔は泣きそうなものであったかもしれない。

でも自分で客観視できるはずもなく、笑っている事しか解らない。

きっと長年の月日を無駄に僕へと費やしてきた疎ましい気持ちは、これくらいでは治まらないだろう。

僕は次の打撃を避けようともせずに、ただ俯いて待った。

しかし、いつまで経ってもその時は訪れなかった。

彼女の足元を見つめていると、ぽたりと何かが落ちて、床に敷かれた絨毯に薄く小さな染みを作った。

それは不規則に落ちては、また染みをつくる。

僕は一体何かと顔を上げて、すぐにそれが何であったのか解った。


「かあ…さん…?」


僕は思ってもいなかったことに驚いて、目を見開いた。

目の前の彼女は泣いていたのだ。

目元を手で覆うこともせず、ただ声を押し殺して透明な涙を流す。

様々な感情が入り混じったような表情で…。


「そ…んなこと…!言わな…いで…!」


嗚咽を抑えながら、彼女はやっとのことで言葉を紡いだ。

僕はまだ困惑していて、何も返せない。

彼女が泣いたところなど見たことがなかった。

僕に対してはずっと笑顔を絶やさない人で、街で何をされても泣くことはなかった。

それだけに動揺は激しく、彼女が歩み寄っても僕は一歩も動くことが出来なかった。

彼女は僕の前まで来ると、そっと僕を抱き締めた。

その行為はとても優しくて、暖かくて…。

僕に対しての侮蔑や憤りは感じられなかった。


「貴方は母さんの愛した父さんとの…大切な子なの」


母さんは未だ震える声で、静かに口を開いた。

僕は振り払うことも出来ず、か細い声にただ耳を傾けた。


「病気で死んだ父さんとの念願の子。たった一つの大切な命よ」


「大…切?」


「そうよ。産まなければ良かった…なんて思ったことはないわ」


父さんは僕が生まれる前に病死していた。

それは聞いていたが、そんなに好きであった人の子であるなら、奇異な存在で産まれてしまった僕は疎ましいのではないかと思う。

自分自身異物だと解してしまうと、なかなか言葉が信用できなかった。


「それにね。母さんは貴方が生まれて来てくれた事を感謝してるの」


「どうして?僕は皆と違うのに…」


そう、貴方にも。

そして貴方の愛した人とも。

同じなのは空色の髪と、純白な片翼だけ。

僕には悪魔の羽が付いているから。

なのに彼女は首を横に振り、僕の考えを否定した。


「貴方は人と片翼が少し違うだけ…。あとは何も変わらないじゃない」


ただそれだけの違いなのだと彼女は言う。

そして抱き締める力を強め、言葉を継いだ。


「嫌な事を言われれば傷つくし、怪我をすれば血も出る…そうでしょう?」


その言葉は、難なく心に染み渡った。

それは何回も自分に言っていたこと。

何かを言われるのは仕方ないのだと頭の隅で思いながらも、その実、翼以外の何処が違うのだと言い返していた。

本当は「たった一言」を言って欲しかったのかもしれない。

期待する事は出来ないけれど…。

誰か僕にそれを言って安心させて欲しいと――。


「貴方は人間よ。フェリス…」


ふいに放たれたその言葉に僕は身を固まらせた。

一瞬我が耳を疑った。

そんな偶然があるわけがない。

だが彼女は僕を抱き締めたまま繰り返した。


“貴方は人間(天使)よ”と――。


それを聞いた瞬間、熱いものが込み上げてきた。

視界が歪み、僕はいつの間にか涙を流していた。

僕が人であるというその一言を、どんなに今まで望んでいただろう。

違うのは羽だけなのに、誰もが外見だけを見て決め付けて、決して内面を見ようとはしなかった。


「フェリスの意味はね、古代オルフェニス語で“聖なる心の道標”っていう意味なの。貴方に明るい未来への道が訪れるように、清らかな心でいられるように、そう願いを込めて名付けたの」


彼女はそこまで言うと抱擁を解いて、僕を真っ直ぐに見た。

そして、あのいつもの暖かな柔らかい微笑みを浮かべた。


「産まれてきてくれて有難う。願い通りの人の気持ちを思いやる、優しい子に育ってくれて有難う。貴方のような子を持てて、母さんは幸せよ」


そう言うと、御免ね。痛かったでしょう?と僕の頬を優しく撫でた。

その行為でそれまで一線引いていた糸がぷつりと切れた。

僕は彼女に抱き付いて、初めて大声で泣いた。

信じて甘えてしまっても良いのだろうか。

そう思いながらも僕は心身ともに決断していた。



有難うと御免ねを繰り返しながら、僕の頭を優しく撫でている。


そんな”母さん”と共にこれからも生きていこう。


僕が母さんを守っていこうと――。



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