大罪犯しの10秒間
「……何だコレ?」
夏休み明けの登校日。寝不足で鈍くなる足をどうにか動かし玄関のドアを開けると、地面に勾玉の形をした小さなボタンを見つけた。
そのボタンには「押すと時を10秒戻せるボタン」と墨で書いてあり、何とも言えない胡散臭い雰囲気を醸し出している。
「誰かのイタズラか? こんな石っころみたいなのを置いたのは」
俺はその石っころを疑いもなく庭の茂みに投げ捨てようと思ったのだが、ついついこの胡散臭いデザインや効果が気になってしまい、結局捨てないことにした。
「10秒だけ時を戻す、かぁ……」
太陽の光に謎のボタンを当てながら、俺は学校への道のりを歩く。見た感じ中に何か物騒な物とか、奇怪な物は入っていない。第一中は透けて見えないし、メチャクチャ軽い。時を戻すという時間操作が出来るにも関わらず、ここまで持ち運びに便利だとは思わなかった。
「使ってみたいけど、大丈夫かなコレ。実はこれを押すと時限爆弾が作動して、この辺一帯を焼きつくしたり、或いは……って考えたら、やっぱり押せねえよなぁ」
次第に勾玉ボタンを押す勇気が無くなり、俺はそいつを石に見立てて足で蹴り、転がしながら登校することにした。蹴るというのはつまり、誤爆してボタンを押してしまうかもしれない。そのようなスリルを味わえるので、集中力を鍛えるには良い(かもしれない)。
とある友人が俺の事をこう言っている。
「お前、ホンッとに物を扱う時って適当だよなぁ」
自覚はないが、適当らしい。確かに物を良く無くすし、使い方が荒い。
ただし、俺は別にそれが悪いことだとは思っていないのだが。
「おーい! 護ー!」
「誰だ、こんな朝っぱらからうるさいヤツは――って、何してんだ円」
「いや~寝坊しちゃってさ。急いでるのー!」
後ろからする声を頼りに振り向くと、前方からとんでもない速さで加速する自転車に乗る幼馴染少女――鈴谷円の姿が。
小学校から今の高校に至るまでの仲で、住む場所は少し遠いがとても友好的な関係にある女の子だ。
とても活発で明るく、スクールカーストナンバーワンの座に座っている。それと引き換え俺と言ったら……クラス内で円と先生以外に見向きもされない陰キャ男に成り下がってしまった。屈辱的で仕方ない。
「降りて休んでみたらどうだー? 疲れただろー!」
「はぁはぁ……うん! じゃあそうしよ――あれ?」
「? どうしたー?」
降りるはずの円の自転車は一向にスピードを落とさず、ますます俺に近づいてくる。大丈夫かな? と思いつつも、俺はまた前を向きゆっくり歩きながら石を蹴り続ける。
…………タイヤの回る音が徐々に近づき始めているのは、俺の聞き間違いだろうか。
「ちょ、ごめん避けて護! ブレーキ壊れた!」
「何を言ってるんだお前は――」
再び後ろを向いた時、俺は心臓の縮むような思いをした。
目の前に一瞬だけ自転車とそれに乗る円が見え、消えた。……説明不足かもしれないが、ほんの0.1秒だけ俺が轢かれる結末が見えた。という感じだ。
「えーっと……あれ?」
気づいたら、歩いたはずの数十メートル前に視点というか、体全体が戻っている。ついでに言うと、さっきまで蹴っていた石すらも不思議なくらい場所が戻っている。
「おーい! 護ー!」
「えっ……あ、ま、円か」
「どしたのー、そんな怯えた顔して」
「――いや、何でもないぞー!」
さっきの不可解な映像は、俺の脳が勝手な誤作動を起こしたと解釈しておこう……それしか考えられない。
もしくはアレだ。デジャビュ――
「ちょ、ごめん避けて護! ブレーキ壊れた!」
いや、これ絶対デジャブじゃねえ! この展開さっきも見たぞ! 10秒前くらいに。
もしや……
「まさか、な……」
先程まで際限なく蹴り続けていた時間を戻すボタンを拾い上げ、凝視する。傷というか汚れがほとんど付いておらず、さすがにおかしいなと思った。コンクリートの上で蹴っているのだから、少々の傷や汚れは付くはずだが……
「――えい」
押しちゃった。特に躊躇いもなく。
すると、どうだろう。何かに引っ張られたような感覚など無く、気が付いたら体が10秒前に戻っている。
そして、
「おーい! 護ー!」
という、お馴染みの光景が再び現れた。
そうやら、記憶はリセットされないみたいだ。
――――――――
「でさ、今日開店のパン屋がこの近くにあるらしいからさ――」
「あ、ああ……」
始業式後、陰キャの俺は寂しく一人下校する……かと思いきや、今朝大事故を起こしそうになっていた円に不意に声をかけられた。どうやら、今日開店のパン屋に一緒に行かないか、というものらしい。
正直、行くか行かないかはどっちでもいいので、
「良いよ」
とだけ返事をしておいた。
「じゃあ、帰りのホームルームが終わったらすぐ昇降口ね!」
「あんまり急がなくてもいいだろ」
「早く食べたいじゃん!?」
福男を決めるかのように一番にこだわる。まあ、好きにしてくれって感じだ。
パン屋じゃなくて、ラーメン屋なら自ら進んで行っていたのに……(ボソッ)。
「じゃあ、ちょっとトイレに行ってくる!」
「……おう」
陰キャ生活を定着させそうな俺にとって、彼女は神にも等しい存在だ。何せ、クラスで認知されなくなるという事態を回避しているから。でも、トイレに行く事を逐一報告することはしないでおいてほしい。
しかし、現実はそんなに甘くなく、
「おいおい護くぅ~ん。お前、鈴谷さんと付き合ってんのかぁ? あん?」
「陰キャにはもったいねえだろ、はっはっは」
などと俺に言ってくる低能ヤンキーもいるため、良い事ばかりでもない。
「近づくんじゃねえよ。この陰キャがよぉ~」
「ちょ……」
胸ぐらを二人組の金髪の方のヤンキーに掴まれる。何故敵意を向けるのか、胸ぐらを掴むのかが理解できない。抵抗したいと何度も思っているが、運動を碌にしない俺では無理。
「ちょっとこっち来いよ」
「こいつ、何回殴っても聞かねえからよ! 今日も一発……」
毎日のように俺にいちゃもんを付けて殴る金髪ヤンキー小木。しかも、円が同じ場所にいない時にだけ。
さすがに俺も嫌気がさしてくる。今すぐにでも殴り返したいのだが、騒ぎになって学校側から謹慎処分を喰らうのは避けたい。だから――
ポチっとな。
「おいおい護くぅ~ん。お前、鈴谷さんと付き合ってんのかぁ? あん?」
「陰キャにはもったいねえだろ、はっはっは」
ポケットに入れていた10秒戻るボタンを押し、ヤンキーの絡みの部分からやり直す。
もちろん、殴られたくないから。しかし、このまま何もしないと同じルートをもう一度通るだけ。だから、嫌な運命を変えるには機転を利かせる事が重要だ。
「…………」
「おい、逃げんのかよ!」
関わるとやはり良い事はないので、無言で教室を立ち去る。しばらくは図書室に引き籠っておいて、ホームルームの時間になる時にさりげなく戻ってくるか。
……そう言えば、借りていた本を返し忘れたまま、夏休みに入ってしまっていたな。早く返さないと、また先生のお呼ばれがきてしまう……。
――――――――
「よーし、パン屋に行こー!」
「あ、あんまりデカイ声出すなって……」
「あっ、不味かったー?」
「他のヤツも気づいて行くようになるだろ?」
「……確かに!」
ホームルームまで何とかヤンキーと接触せずに持ちこたえ、やったぜ! と心で叫び、円と昇降口へ向かう。
こういう円と会話をしている和気あいあいな雰囲気は結構好きで、だから、俺は円が好きなんだと思う。ただ単に美人だからというのもあるのかもしれないけど、そこも魅力である。
「どんなパンがあるのかなー! やっぱり、クリームパンとカレーパンは外せないよね?」
「……そうだな。俺も結構好きだし」
「だよねー!」
嬉しそうに会話をする円を見て、俺も笑顔になる。そういう良い循環が生まれるからこそ、同じクラスになれたのは救いであって、生きがいでもある。だから、あの低能なヤンキー共には絶対にやらない。大事の時は俺が守る、という気持ちで生活することを常日頃から心がけている。
しばらくして学校近くの交差点に差し掛かり信号で止められた。暇になったなと思った俺は、即座にスマホを取り出して「トゥイッター」というSNSを眺める。大抵の陰キャは俺みたいに道端でもバンバンスマホを起動するので、周りへの配慮に十分気を配らないといけない。
「いやー長いねー信号!」
「……ああ。ここ、もうちょっと短くしてほしいよな」
「うんうん」
スマホを眺めておよそ三分。独特な音楽と共に、歩行者信号が青に切り替わった。
歩きスマホをしないようにスマホをポケットに戻し、再び歩き出す。
「もうちょっとで着きそうだし、走ろうよ!」
「お、おい! 危ないだろ!」
「大丈夫大丈夫! 私、足だけは自信があるから!」
気分が上がったのか、勢いよく走りだす円。活発すぎる行動が、時には重大な事件になる――の教訓を勝手に設定している身の俺からすれば、「追いかける」以外の選択肢は無い。迷いなく俺も遅れて走り出す。
その時、
「おい! 危なっ――」
またもや、頭にある映像が浮かんだ。勢い余った円が右から来る車に気付かず、撥ね飛ばされるという映像を。
「なら……っ!」
無意識に左のポケットに左手を突っ込み、ボタンを押した。
「もうちょっとで着きそうだし、走ろうよ」
「…………」
「? どうかした?」
「はっ。い、いや。何でもない」
「じゃあ、先行くね!」
「ま、待て!」
「えっ」
当然だが、このまま走らせておく訳にはいかない。このボタンは、このようなタイミングで使うべき代物だろう。
「……無闇に走ったら危ないだろ」
「あっ……そ、そうよね。気を付けるよ。それより……この状態、恥ずかしいんだけど」
「――う、うおお! すまん! つい不可抗力で」
思わず腕を掴んでいる右手を離した。
「フフっ。いーよ別に。嫌じゃないし……」
「ご、ごめん……」
不覚にも、普段は陽気でうるさい幼馴染にキュンとしてしまった瞬間であった。
――――――――
そんな至福の時間を過ごした次の日の朝、
「おい陰キャ。ちょっと表出ろよ」
「…………何?」
「いいから出ろよ!」
「っ!」
いつも通り胸ぐらを掴まれ、今度は引っ張られながら校舎裏へ連れて行かれる。しかも、今回はクラスの二人に加えさらに人員を三人追加している。そこまでして、俺をどうするつもりなのか。
「昨日さぁ、俺の仲間がこんな写真を撮ってきてよぉ。どういうつもりだ?」
「写真……? ああ、それか」
示されたのは、昨日の帰り道に二人でパン屋に向かっていた時の写真。写っていた場面と言えば、俺が円の腕を掴んだ時のものだ。まさに、俺にとっては最悪の事態……だな。
「見せつけてくれるねェ、護君」
「それがどうしたんだよ」
ヤンキーの小木がポキリポキリと関節を鳴らしながら、こちらへ近づいてくる。俺はと言うと、他の二人のヤンキーに腕を掴まれ身動きが取れない状態だ。あーこれ、また殴られる展開だな。不登校生徒になりた良気分――
「殴らねぇと気が済まねぇよ!」
「ぶほっ!」
腹めがけて思い切りのパンチを食らった。何でだろう、肝心な事を忘れていた……ボタンが押せない事を。
「どうしたどうした、いつものように逃げないのかぁ? まあ、無理だろうがな! 円ちゃんを汚した罰だ!」
「……クソが」
「さあてと、もう一発――」
「ふざけんな!」
両腕に渾身の力を込め、ヤンキー達の拘束を引き剥がす。家で密かに筋トレをしていた成果が、まさかこんなところで発揮されるとはな。
「どの口が言ってんだよ、陰キャが。死ね!:
「くっ!」
例え振りきれたとしても、元々の格闘センスはほとんど無い。ならば、今手元にあるボタンを有効活用するべきだろっ!
「ひゃっはぁ――ぐはっ!」
「ふんっ!」
小木の拳が当たる直前にボタンを使い、狙ってくる場所をあらかじめ知っておく。やはりこれが最強で、基本どんな相手でも通用する。相手の手の内が読めれば、対抗策は10秒の間に思いつくだろう……多分。
「ま、まぐれだよなぁ……。お前ら、やっちまえー!」
「ちっ……」
今度は一対一じゃなくて、一対複数らしい。ヤンキーって個人個人で闘争心があって色々やらかしているかと思っていたが、最近のヤツらは敵を倒せれば何でもいいらしい。要はドラクエ方式ってやつだ。
まあいつもの通り、ボタンを押して突破口を見つけてどうにかすれば――
「――うっ」
その時、胸に鐘を打たれたような衝撃が走った。そして、そのまま地面にドン、と倒れる。
「…………なんっ、で?」
「? 何してんだテメェ」
「っ、はぁはぁ……」
何をしているんだは俺が言いたいくらい……なんだが。中々動悸が止まらない。
胸が急に痛みだしたタイミングと言えば、ボタンを押してすぐの1秒にも満たない間だった。多分、俺の知らない何かが作用して、俺を苦しめているに違いない。
苦し紛れに見えた光景は、襲い掛かるのを止めたヤンキーと手に持っている――赤い10秒ボタンだった。
目が霞んで良く見えないが、多分、こう書いてある。『時を操り運命を変える事は、大罪に等しいものだ。死に値する』と。
「う、嘘だろ……」
つまり、アレだ。どうやら俺は、とんでもない地雷を踏んでしまったらしい。
今回で確か8回目か9回目のボタンの起動。という事は、その分俺の寿命が――あ。
『不届き者には罰を。持ち主の死亡後、あるべきはずの運命へ軌道修正を行います』
き、軌道修正……? ま、まさか……っ!
「そ、それだけは止めてくれ! ――っ」
今思えば――二つの命が途絶えた。そんな感じがする。